和光同塵
こちらはかつて「血統」による自分の「価値」を信じていたイズミがその「価値」によって貶められ喪失した自己認識を取り戻していく中で、それまで絶対だったはずの「価値交換」ではない「ただそこにいるから受け取れるもの」に静かに触れる物語。単なる「ひどい目に遭って丸くなった話」として片付けられるのではなく彼の確固たる価値観が徐々に揺るがされ崩されていく過程に焦点が集中しているのがいいですね。キノアの雑で気取らない「新しい価値」の差し出し方はごく生活的で庶民的で時に安っぽくてしわくちゃなのだけど、無自覚ながらも初めてそれを受け取ったイズミにはやっぱり少し品性が残っている感じが対照的でとても印象に残ってます。
個人的には「イズミの視点を介したこと」で彼らの故郷がまた少し違って見えるのがすごく新鮮で、特にアストライアー時代セイヤって割とひとりで行動していることのが多いイメージだったけど、規律を損なう「ノイズ」としてこれがどうしても目に付くイズミの視界の中ではこんなにしょっちゅうキノアと一緒にいたんだなって思ったし、それこそ「和光同塵」が服を着て歩いてるような王子が次期統治者に立っている星だからか正直わたしは彼らのフィロスをこれまでそんなに身分差別の根深い王侯貴族社会だとは感じてこなかったのだけれども、少なくとも王室周辺にはこれほど顕著な選民思想が根付いてて、イズミはその社会的正統規範の中心にいたというだけで何も彼だけが特別差別的でイヤなやつってわけじゃなかったんだなと思ったよ。
王族や貴族の過剰な特権意識はただの階級文化のそれではなく「誰かが餌になる」星の構造において「誰が生き残る価値を持つのか」制度的な自己正当化とも強く結びついていたのかも知れないね。そう考えるとむしろここではセイヤや王妃の方がよほど異質な存在で、それが正しいかはさて置き社会規範に従順だったイズミは本来とっても素直で染まりやすく真面目な子だったのかも知れないな。
彼がその「高い口撃力」を高貴な身分よりもっと「価値」のある「唯一無二の輝き」として認め、あるいは「理不尽な理屈に反論する力」や「建設的な議論をリードする力」として使いこなし、エンドウマンを屈辱ではなく誇りに思えるような日は来るのかな? 気長に楽しみに待つとしようw
価値の物差し
イズミの重んじるものは実に単純明快で一貫性があり分かりやすい。人の価値というのは「優秀な血筋とこれに見合う能力」によって決まり、どんな場面においても「より価値の高い方が選ばれる」という社会統制である。自分よりも価値の低い相手を確かに見下してはいるが、だからと言って無秩序に踏みにじることを彼は美徳としていない。掘り下げてみればフィロス社会が秩序と効率性を持って維持されるため「そこに属する人々はそれぞれが価値相応に行動を律するべきだ」というとてもシンプルな主張になっている。
追光騎士団の選抜試験を目前に控えたアストライアー聖騎士学校は騒がしく、これまた露骨な階級差別主義者と見えるとある若い侯爵の一派が本来であれば時間予約制で誰もが自由に順番に使えるはずの訓練場を「王室の所有物である以上血統と実力に優れた者へ資源を集中させるべき」だからと我が物顔で占領し、規則通りに「この時間に事前申請をしていた」ことを訴える庶民の学生たちと激しい口論になっていた。喧騒に集中を削がれ訓練を邪魔されたことに苛立ち不機嫌に剣を納め現場へやって来たイズミは、「あなたほどの方が出てくるような大した問題ではない」などと媚びた愛想笑いを浮かべている侯爵には見向きせず、この争いの行方を決めるに足る身分を持つ自分に僅かな希望の眼差しを向ける学生たちの方へと向き合い「父の主催する晩餐会へ出入りできる外部エリアの通行証」なるものを差し出すと、有無を言わせぬ威圧感で「そこで運試しでもするといい」と立ち退きを促した。
イズミからすればこれは庶民学生たちにとっての「訓練場の奪い合いよりはるかに効率的な価値交換」なのだ。彼らは一時の訓練を得られたからとて名誉ある宮廷の騎士に「選ばれる」には値しない、であれば王族の晩餐会に出入りできる機会を与えてやる、恐らくイズミはこれが悪意ある買収行為だとはちっとも思ってなくて、むしろ「こっちの方が得だろう」と本気で思っているのではないかな? ただし庶民学生たちは屈辱と葛藤が入り混じったような表情でその品格ある箔押し封筒を受け取りあぐねてる。彼らが求めていたのは王族に目を掛けられるチャンスではなく自分たちが正当に予約した訓練の時間を奪われないこと、恩恵の「施し」が欲しかったのではなく「権利」を認めて欲しかったわけだよね。イズミの価値観は侯爵のように露骨に横暴ではないが、彼の守ろうとしている秩序はやはり同じ身分制の側にある。
するとそこへ「寮長を呼んで来てくれ」と頼まれていたらしいキノアがセイヤを連れて現れて、事情を察したセイヤは何やら「柔らかくも堅固な光の幕」により「学生たちの予約時間がまだ終了していないこと」を入り口に示したのだと言うが、これは光のEvolで入場管理システムに干渉し予約記録画面をホログラムスクリーンのように拡大して投影させたようなイメージなのかな? 機器はきちんとメンテナンスされているようだが「お前は目が悪くてよく見えないんだろう」「これで見えるか?」などと淡々と述べ告げて侯爵側を引き下がらせてしまうけど、そうして無事予約権を認められ訓練場という資源を消費する者に「選ばれた」庶民学生たちのはしゃいだ声に囲まれているセイヤは始まりから終わりまでまるで存在を意図的に無視しているかのように一度もイズミを目に留めることがなかった。
この場面とても象徴的で面白いのが一見セイヤの行動によってに蔑ろにされたイズミは決してセイヤを「敵視」しないのだよね。なぜならセイヤはフィロス王室における王位継承第一順位でありイズミの価値基準に基づけばこの中でもっとも「優秀な血筋とこれに見合う能力」を持つ者、するとイズミの「価値」というのはセイヤがこの正しい秩序の頂点に居てくれなければ成立しないものなのに、どういうわけかセイヤは時にその身分制の秩序の外に居て、自分よりも遥かに価値の低い庶民たちを始めから自分たちと同じ権利や資格を持つ者として対等に扱ってしまう、これに敵意よりも「心の奥底にある本能的な焦燥が抑えきれずこみ上げてくる」というのは、どうしてセイヤは自分と同じ高位の価値基準で判断してくれないのか、どうして正しい王族でいてくれないのか、でないと自分の価値が肯定されないじゃないか、そういう焦りなのだろうと思う。
そしてそういうやり場のない鬱憤の矛先はなぜかいつも当然のような顔をして秩序の頂点と並び立っている「キノア」へと向けられる。優れた血統の証たるサラサラ銀髪ヘアとは程遠い巻き毛、偉ぶらず気さくな人柄もイズミにはまるで品位を欠いた無遠慮さのように見え、そんな一介の庶民が分不相応にも追光騎士団の座を狙っていること自体「騎士の位の意義と重みを軽んじている」のだとイズミは言うけども、これは彼にとっての「騎士」が単に生まれの高さを誇る者ではなくその血統に見合う能力と責任を鍛錬によって維持し続ける者にこそ許される位であり、さらに自分がその「フィロスの未来を担う高貴な血筋」を背負うものとして相応の努力と実績を積んできた自負があるからこその侮蔑だったりもするのよね。本編でも同じような感想綴ってしまったが、こういうところに「高慢さ」はあっても「卑しさ」はない彼の「品性」みたいなものを感じるよ。
半ば強引に「名誉の決闘」を申し込み聖剣碑のもと両者十回ほど打ち合ったところでキノアに勝利したイズミはついに自分の信じる「価値の物差し」があらゆる場面において誰の目にも正しいことを証明できたはずだった。血統に伴う責任、責任に見合う剣術、勝利のために払われる覚悟、王位継承者と真に肩を並べる騎士とはそれらをすべて持ち合わせた価値ある者でなければならないし、自分にはキノアよりも明らかにその価値がある、あるいは自分を隣に置くことでセイヤの品格はより正統で格式高いものになり、同様に自分の価値もまたもっと確かなものになる、これが「価値交換」だと示したかったのかも知れない。
ところが人垣の外に立つセイヤは剣先を突き付けられたキノアが潔く「オレの負け」だと告げるのを待って彼に歩み寄り、ごくありふれた同輩同士の手合わせを見届けたかのように、弾き飛ばされた剣を拾い上げキノアの手に返すだけ。これが「イズミが懸命に証明しようとした価値の物差しはセイヤから見れば取るに足りないものだった」なんて締め括られるあたりイズミはセイヤに「価値がないと判断されたこと」ではなく「正しいはずの物差しで測ってもらえないこと」に傷付いていると見え、さらに「渾身の力で剣を振るって断ち切ろうとしたが揺るがせなかったもの」として「秩序」や「資格」の言葉で武装されていない「絆」だなんて概念が出てくるとはいよいよ「セイヤに認められたい」理屈よりも感情の方が大きくなり始めていたのではないかなって感じする。
投薬試験記録
すっかり忘れ去っていた遠い昔の記憶あれこれがようやく繋がり始めた気がしてるんだけど(ぇ、世界の深層「埃の中」にてちらり匂わせのあったあの「副産物」なるものが混入された謎の薬剤、レインウェアは「これでハンチングを制御できればセイヤも制御できる」だなんて言ってたが、恐らくこれが今スト「ゲン」が星の移植計画の裏で開発を進めていたらしい危険分子セイヤを制御するための新薬「Beta型適応剤」の試験薬だったって話よね?
イズミを被験体とした投薬試験記録には「生理的年齢の変動が次第に安定し時間経過による影響がさらにベースラインを下回っている」「これは王族の血統にテロメアなんちゃらかんちゃらと細胞再生能力を維持する何らかの遺伝機構が組み込まれている可能性を強く示唆している」なんて書かれているけども、これってたぶん「イズミは普通ならもっと進行するはずの老化や劣化が基準値よりも少ない」「王族血統には老化耐性と再生力があるんや」っていうゲンの新たな発見で、するとここに至るまでを大雑把にまとめるならゲンは大前提星の移植計画を進めたい、そのためにセイヤ制御薬を開発したい、同じフィロス人であるハンチングとかで試してみたけどなんかもう結構老けちゃってこれ以上無理、新しい被験者にはもっとセイヤに近いサンプルを探さなきゃ、みたいな流れだったんじゃないかと思うのだけど。
そしてどうやらゲンがこれを企てている場所がEVERの「支部」、被験者イズミは神経も細胞もだいぶ壊れているが「不可逆的損傷は現れていない」つまり「ハンチングよりもっと先のフェーズに移行できそう」だからと「観察カプセル」を最新のものに交換できるよう「本部」への申請記録も残しているが、恐らくこの「支部」というのが本編1部7章2年前に暗点に暗殺されたコア研究員の所属する「EVER傘下の医薬品メーカー」で、6部1章蟻の巣とは別れたカップルのような間柄であると自認する「ジン」が「今は手が出せない」と警戒していた「博生製薬」なのだろうと思う。
記録が後半へ進むにつれイズミの拒絶反応は限界の域に突入、それでも「制御ポイント」の取得はもう目前だからと危険な実験を停止しないのは「本部による対象サンプルSの直接確保が再び失敗に終わった」ためだと記されてたりもするけども、こちらは伝説「来たる夜明け」にてセイヤを「制御」して取り込もうと接触してきたあの「リヘイ」のことを言っていそうだよな? つまりリヘイは少なくとも「博生製薬」の研究員か関係者、もしくは「本部」で博生製薬を動かす側にいる人間なんだと思うのだがどうだろう。そうなるとあのタイミングでセイヤが自ら投与していた注射薬もまるで無関係というわけではなさそうであり、あるいは「光と共に」で明るみになったEvol制御装置報告書といい、なんとなく「星の移植とかどうでもいいけどセイヤの生体データが得られるなら利がある」からとゲンに整った開発環境を提供していたのがこの博生製薬で、そういう意味ではEVERの側からは制御薬は「副産物」だったんだろうなって気する。
超絶脱線が長くなってしまったが(殴、投薬試験の次なる被験者としてイズミに目を付けていたゲンは、どこから入手したのか「ロールバックが始まってから迎えた無数の春の記録」が綴られているらしいイズミの書き残した日記帳を「まるで何かを検分するように」注意深く読み耽り、そこから見て取れる彼の選民思想、セイヤへの対抗心、ロールバック隊への苛立ちを「指向性の心理介入に必要な資料」として拾い上げ、どの言葉を与えれば彼を懐柔でき、どの感情を刺激すれば自ら実験へ足を踏み入れるのかを緻密に分析していた。
ちなみにこの日記帳はなんだかめちゃくちゃ可愛くて、イズミはセイヤが初めてロールバック計画について打ち明けてくれたとき「ついに彼はどういう者がフィロスの運命を担う価値があるのかを悟ったのだ」と密かに喜んだのものの、いざ地下の秘密基地に入ってみればそこに居たのは「最低限の価値基準にすら達してない」寄せ集めの庶民集団で、セイヤは目を瞬かせながら「どの隊員にもそれぞれに唯一無二の輝きがある」なんて言ってるが「そんなのあいつが自分のEvolに目をくらまされてるだけだ」とかって書き殴られてるの、ここ想像すると愛くるしいの大渋滞じゃないか? まず「彼らはみんな輝いてるんだ」ってキラキラしながら訴えているセイヤの純度が可愛いし、それお前のEvolじゃないのかってばっさり切り捨てるイズミが辛辣で何ひとつ響いてないとこがまた可愛い(?
イズミは変わらず血統に見合う「効率的な指揮」や「必要な犠牲」を「価値の高いもの」として重んじていたため、たとえば「ワープ強度に耐えられないかも知れない隊員ひとり」のために迷わずルート変更を選ぶセイヤが正しい指揮官だとは思えなかったし、またある時はようやく掴んだ絶好のワープポイントを前に自らもっとも過酷なポジションを務め必要とあらば「名誉の殉死」さえ想定していたイズミを救出するために好機を手放すセイヤが「高貴な血筋の者が引き受けるべき覚悟」を受け入れるどころかフィロス救済へ進むはずだった道を決断力のなさによってみすみすドブに捨てたものと思えて我慢ならなかった、ロールバック隊にいるといつも誰かと言い争い苛立ってばかりいたが地球に閉じ込められてからはひとりまたひとりと口論する相手も減っていた、日記にはそんな不満やもどかしさが延々綴られているのだが、これらを念頭に偶然を装ってイズミに接触したゲンは、血統、能力、効率、犠牲、救済のための合理性、そういうイズミと同じ価値基準に基づいて「セイヤを超える証明」を語る、イズミにとってはようやく現れた「自分の価値を理解する者」と見えたのかも知れない。
ゲンは徹底して「被験者の王位継承者を超えたいという競争的自己証明への欲求」を「心理的暗示により継続的に強化する」ということを怠らなかったためイズミは長らく投薬実験に協力的だったが、最後の試験記録には「被験者が星の移植計画の存在を把握し投薬を拒否」したこと、そしてこれ以降は「強制管理措置」が実施される旨が記されており、添付された「対話録音」にはイズミが「資料」を手にしながら「お前は最初から俺を助ける気なんてなかった」「最初から最後まで俺をあいつの代用品としてしか見ていなかった」と怒りと失意を露わにするような声、これを受けて「セイヤは生まれながらに全てを持ち合わせている」が「お前は俺と同じ残された側の人間」だと努めて「超えたい欲」を強化するゲンの説得が収められているけれど、残念ながらゲンはイズミの心理を完璧に掌握したつもりで実はちっとも理解し切れていなかったってことだよね。
セイヤを超えたいけど彼をもっとも価値ある者として認めてる、彼の価値基準には従いたくないけどやっぱり認められたい、表層は「競争的自己証明」でもイズミの中にはもっと矛盾した複雑な感情があるし、何より彼は星の移植計画に反発しただけでなく初めて自分の「優秀な血筋とこれに見合う能力」を高く評価しセイヤではなく自分を「選んで」くれたはずの人物が裏ではその誇らしい血統を「代用サンプル」に貶め「セイヤとは別の固有の人格を持つ者としてさえ見ていなかった」ことに興醒めしてるわけだから。これは王侯貴族社会秩序という与えられた狭い世界の中で必死に自分の「価値」を模索していたイズミにとっていちばん屈辱的な「価値の剥奪」だったのではないかな。
きっとそうして頭を打たれ、これまでの「投薬試験記録」を何とか奪取して隠し持ったままゲンの元を逃げ出したイズミが本編6部1章で語られる「EVERの機密資料を持ち逃げして記憶障害を患ったような状態で発見された」イズミに繋がるのだとは思うけど、それが「強制管理措置」が始まってからどれくらい経った頃だったのかは判然とせず、制御薬開発は結局未了に終わったのか、それとも完成した「Beta型適応剤Ⅱ」の状態で今も博生製薬の手中にあるのか分からないのが怖くもあると(震
カーニバル
療養中のイズミを訪ねるキノアはとにかく健全で、ぶっちゃけセイヤに頼まれなければ見舞いになんて来たくない、仲良くしたいわけでもないしなんなら許したわけでもない、でも「拘束された形跡」や「注射痕」の残る身体で時に朦朧としたり反射的に身をすくめたりする弱った患者がそこに居ればベッドを起こし温かいご飯を食べさせる、イズミはキノアが何を思ってこうして自分の世話をするのか「俺から何かを得たいのか」あるいは「当て付けに失態を責めているつもりなのか」次第に居た堪れなくなって自分は「ゲンのことを始めから信用してなかった」し「そもそも誰もが自分の利を得るために旅立ったはずのロールバック隊から真心を感じたことなんて一度もない」のだと虚勢を張ったりするけれど、キノアはイズミが「固いから」と端に避けたブロッコリーをひょいパクもぐもぐしながら「セイヤが初めてアストライアーの食堂のマズい肉餅をオレにくれた時あいつはオレが星の救済を手伝うなんてこれっぽっちも期待してなかったぞ」って言い返す。
いやなるほどなって思ったよ。確かに「真心」って始めは必ずしも分かりやすく「理解者」の顔はしてないのかも知れないね。セイヤはキノアに何かを期待して肉餅を渡したわけではないし、星の救済に役立つからとキノアを選んだわけでもない、ただたまたまそこに一緒に居たから食べるかなって分けただけ、そんな風に始まって何度も相互に繰り返されるうちに気付けば「信頼」や「絆」になっているようなものなのかも知れないな(唸
キノアもまたイズミから何かを得ようとはしてないし彼を救うべき可哀想な人として特別に扱ったり理解を示したりもしない、けど花の配送のついでに立ち寄って残したブロッコリーは引き受け代わりにスプーンを差し出しなんとなく口論にも付き合う、そんな日々が「終わりなく繰り返される」なんて書いてある辺りイズミにとっては「いつも誰かと言い争い苛立ってばかりいた」「真心を感じたことなんて一度もなかった」ロールバック隊で過ごした鬱陶しい毎日の再来なのかも知れないが、あるときその繋がりが「価値交換によって揺るがされることのない絆」になっていると気が付いて初めてこれらを「真心」だったと振り返れるのかも分からんね。
程なくして臨空市には年に一度の「カーニバル」なるものが催される祭日がやってくるのだが、これは変装して街を歩き出会い頭に誰かと贈り物を交換し合ったりする見たところハロウィンのような年中行事なのかな? イズミはPhilo花店の窓辺に飾られた祭日の訪れを祝う小さなランプを眺めながらも「こんな子どもじみた地球の茶番になど付き合っていられない」と確かに感じていたはずなのに、そこへ彼女がやって来てニコニコと笑いながら真っ直ぐに歩み寄り「これあげる」「受け取って」なんて丁寧に包装されたプレゼントを差し出すと、その背後で「きっとこいつは交換用のプレゼントなんて用意してないぞ」などと真面目な顔で密告するセイヤのひそひそ声も「確かにイズミは地球の行事なんて何にも分かってないから」だと同調するキノアの茶々もなぜか気に障ることがなく、ただ耳の付け根が熱を帯びていくのを感じながら静かにその包みを受け取り「ぎゅっと胸に抱いた」って言うんだけど、なんとこんなに素直でいじらしい反応を見せてくれることもあるのか(驚
思えば彼女は民衆に華々しく擁立されたフィロス陛下ではあるけども決して「王族の血筋の者」ではないし、イズミはどの辺りに「価値」を見出して彼女を「特別な存在」だと定義付けてきたんだろうね。能力が特別だったから? セイヤの妹弟子だったから? 何かきっかけになるようなエピソードがあるのかな。
そうして強く拒めないまま流されるようにして「口元の筒からキャンディーを発射できるエンドウ豆の着ぐるみ」を着せられ街へ連れ出されることになるイズミ、単なる悪ふざけのように見えて実は「なんでお前をエンドウ豆の着ぐるみにしたか」わけがあるのだと大仰に語り始めるキノアは「飴玉を飛ばす機構」と「イズミの辛辣な弁舌」は「高い口撃力」という両者に共通する輝きだからだなんて揶揄して笑っているけども、ひょっとしたらこれもかつてセイヤがロールバック隊員ひとりひとりに見出していた「唯一無二の輝き」をからかい半分本音半分くらいで返してたのかも知れないね。きっと「口論」って誰とでもできることじゃないし、ましてふたりの口喧嘩はロールバック隊の名物であり「リラックス法」でもあったと聞くしw
不機嫌な「エンドウマン」に「エンドウアメ」をねだって群がる無邪気な子どもたちへ渋々飴玉を放り出せば「まるで宝物を手に入れたかのような大歓声」が上がり、道を歩けばすれ違う街の人々から「カーニバルおめでとう」と言い添えられ「手作りのクッキー」や「毛糸で編まれたコースター」なぞ小さな贈り物が次々と手渡されていくけれど、それらは「外部エリアの通行証」や「晩餐会の招待状」のように渡す側と受け取る側に「価値」が問われるものではなくただ「祝日だから」「楽しいから」「そこに居合わせたから」分け与えられるもの、実際どれも安っぽくて軽くて庶民的で実用性すらささやかなはずなのに、いつの間にかたくさんの「誰かの善意」となって袋の中に積み重なりイズミの腕の中では「なぜかやけに重い」ように感じられたりする。
あるいはついに通りを歩き終え路肩のベンチに腰かけて袋の中から安っぽいフルーツキャンディーをひとつなんとなく手に取り包みを剥がして口に含んでみるけれど、これもかつてフィロスの宮廷料理人が作っていたような控えめで深みのある洗練された味わいとはまるで違う人工香料の真っ直ぐで力強い甘さばかりが舌に広がるもの、ところが不思議と麻痺していた味覚を打ち破るように「喉から身体へぬくもりが広がる」ようだとも感じてる。
最後にずいぶん経ってからようやくベンチを立つと「自分でも気付かないうちにしわくちゃだったキャンディーの包み紙を丁寧に四角く折りたたみ手のひらに握り締めていた」ってのも含め、この「思考よりも身体の方が先に反応してしまっている」感じが「彼の価値観が変わったこと」ではなく「変わり始めたことに本人だけがまだ気付けていない状態」の描写っぽくてすごくいいなって思ったよ。
彼は最後までカーニバルを気に入ったりしないしありがとうも言わない、仏頂面、難癖もつける、でも安っぽいフルーツキャンディーの食べ終わった後の包み紙は無意識のうちに綺麗に整えて手に持っている。これが「なぜか捨てられなかった」ならもっと本人の意識があるし「じっと見つめていた」ならもっと感傷が前景化するけども、たぶん意識できるほど素直じゃないし感じ入るほど謙虚でもない「まだ何も整理できてないけどなんか受け取っておきたい気持ちがちょっと手癖に出ちゃった」くらいがイズミ像なんだろうなってめちゃ思う(深頷