果てしなき海に沈む
イベントストーリー海が暮れるまでの方では割愛されていたあのビーチパーティー前後の詳細を描いたホムラのお誕生日思念ストを遅ればせながらようやっと読んで参りました。
現世においてはあのリモリアの事件以降どこか思い詰めたような危うい様子だった彼が「小さなことから幸せを感じられる能力」を彼女の「支え」によって取り戻し始めている、と言うメッセージも感じたし、個人的には全体的に海神や潜行者があのときこのとき少女に「どんな感情を抱いていたのか」今世の彼を通して紐解いてくれるようなシーンがたくさん詰め込まれていたような印象。
わたしは「海神伝説」の世界設定についていまだに理解し切れていないところが多く、特に潜行者ホムラのお話はまだ「セイヤのフィロス星のその後なのだろう」なんて恐ろしい勘違いを前提に読み進めたため「ふたり」にフォーカスされたいろんな場面にまで当時考えが及んでいなかったのですよね。
バースデーサプライズはソプラノ歌手タンレイが主演を務めるビロノの歌劇公演を「ふたりで観に行く」口実で彼女がホムラを連れ出すところから始まるが、舞台を終えたタンレイがカーテンコールで突然「実は甥っ子が観に来てくれています」「今日は彼の誕生日なんです」なんぞ公表したことで観劇に集った「リモリア人の友人たち」始め客席は丸ごと祝福ムードに包まれて、思いがけず注目を浴びることになったホムラはその気恥ずかしさを「何を言い出すんだ」と不機嫌な態度にしてごまかそうとするもどうやら「つい上がってしまう口角を何度も堪えようとしている様子」や「結局こぼれてしまう笑み」を隠すことはできないもよう。
タンレイさんのガーデンウェディングを思い返してみても、ホムラはタンレイ本人には「式には出席しない」し「すでに祝福もした」と素っ気ない態度を見せながら裏では当日に向け完璧な演出や会場コーディネートを手配していたりして、「叔母」とは言えホムラにとっては恐らく「母」のような存在でもある彼女の前でだけ表出してしまう彼のこの「高校生男子感」はあるいはホムラが「家族にだけ見せる顔」のひとつなのかも知れないな。
タンレイと彼女が段取る彼のバースデーパーティーは、日の入りに砂浜が「ピンク色」に染まるビロノの美しい浜辺に屋外用のテーブルや椅子を並べたそれこそあのガーデンウェディングのようにカジュアルな催しだ。
「誘い出す役」がタンレイだったこれまでは「誕生日を祝われるのは苦手」だと言ってそれを拒んでいたらしいホムラが今日ついに誘いを受けビーチに到着すると、「リモリア人の友人たち」は代わる代わる彼の元へやって来てお喋りに興じたり手を引いて踊りの輪の中へ彼を招き入れたりする。
タンレイは「誘い出す役」が自分から彼女に変わったことでそうして彼が素直になったのだろうと見解していたが、「以前はこうして集まって過ごしたが今は昔みたいにみんなが集まることはなくなり誕生日は僕にとって特別じゃなくなっていた」と溢していたホムラはもちろん気恥ずかしさや照れはあれど大きくは「海で暮らしていた頃が恋しく思われること」や「一族への申し訳の立たなさ」から無意識的にそれを避けていたのではないかな。涙
そして宴もたけなわという頃、彼女は「まるで海からやってきた使者のよう」なカモメの群れが陽気にさえずりながら翼で空を切るのを手を伸ばして感じ、「食べ物に寄って来るかも」なんて彼の助言を受け、手の上に止まりパンくずをついばむ数羽をそっと撫でてみたり、直後密かに練習を積んできたモーターボートに彼を乗せ「海の真ん中」へ移動して「今年はあなたの世界へ行ってみたい」なんて打ち明けてくれたりするのだけれど、これって海神が海の全てを捧げたくなった「朝焼けの中カモメを肩に乗せ気持ち良さそうに海面を歩く彼女」や潜行者が庇護欲を湧かせた「古い書物の中で描かれる青く澄んだ水の中で魚たちが戯れ合い色彩豊かな貝や珊瑚が溢れる宝箱のような海に恋焦がれる彼女」そのものじゃないか?
「あなたの世界へ行ってみたい」彼女にホムラはこれ以上ないくらい優しい声で「怖くない?」って尋ねるのだけど、わたしにはこれが潜行者ホムラの言うあの「楽しい?」に重なって聞こえてしまってな…


潜行者は「軟禁状態で育った世間知らずな彼女」が「もう見ることのできないすっかり干上がってしまったかつての海」をまだ「存在するはずのもの」として「見てみたい」と語るのをいつもどこか微笑ましく聞いていて、用水路の先の溜池のような小さな湖で初めて水面に足を踏み入れようとした彼女が躊躇うのを「これが怖いなら海なんて見せてあげられないよ」とからかったりもするのだが、「怖くない」「ただびっくりしただけ」だと答える彼女がいざ水面に触れればなんのことはないとにかく喜んでにっこりと莞爾するのを見て思わずこの「楽しい?」を発してしまうのだよね。
そうかホムラは潜行者であれ芸術家であれただ彼女が「自分の世界を知ろうとしてくれること」が嬉しくてたまらないのだな。というくらい、この「怖くない?」と「楽しい?」には同じ感情が込められていたように聞こえたよ。
そうして海に飛び込んだふたりは「遠くから聞こえてくるクジラの長い鳴き声」を感じつつホムラが幼少期退屈しのぎに隠れ家にしていたらしい「深海へ落ちるような岩礁を抜けた海域」に泳ぎ着くのだけど、「このクジラの声に聞き覚えはない?」「前に僕たちが助けてあげたあの子かも」って聞いてクジラの歌の「涙」のくだりまで思い出してはっとした、そう言えば海神の「誕生日」でもある「海神祭」は彼の従える「クジラのような海獣」によって開会するんジャン←
「君が会いに来るのを待っている友達の数」を100まで数えたホムラはそうして「友達を呼び寄せることができる」のを「僕は海の中では魔法を使える」ためだと言い張るが、彼女が「それはあなたが誕生日だから起こる特別扱いなのでは」と返すとホムラは自信ありげに「僕がいちばん大切な人を連れきたことを彼らは知っている」からだと答えてる。集まった海の生き物たちはホムラが「好きな人を連れてきた」その様子を「見ている」のだと。

これって忘却の海アソに教わったリモリアに住む全てのものが憧れる厳粛で神聖な「海神祭」は「火種が消えてもう一度灯るときに新しい海神の書が現れる」だの「リモリアの未来について語られた予言を知ることができる」だの「おじいちゃんのおじいちゃんがまだ子どもだった頃」から伝わる伝承的な意味や定義はさて置いて、実際はごくシンプルに単純に「クジラの海獣」にまたがった海神が少女の前に降り立ち手を取ってそれこそ海に祝福を受けながらふたりで花道を歩き神殿へ向かうセレモニー、つまり「海神が成人するその日に大切な人を連れてくる」ことをよく知る海の生き物たちがあちこちから集まって彼が「好きな人にキスを捧げる」その様子を「見ている」ただそれだけの喜ばしくて幸せな祭典だった、ってことを言いたいのではないか…?
そうやって「僕達がいちばんよく知る方法」で友達に彼女をお披露目した彼は不意に頬を染めはにかんだりするが、海神もそんな風に赤くなって照れくさそうにしながらただ嬉しくて幸せな気持ちであの海神祭に臨んでいたのかも。
心臓をえぐり取るだとか取られるだとか延いては信者の犠牲と引き換えにリモリアの存続を得るだとか愛する人のために海神が海を欺いたとかそのために海が枯渇するだとかっていう悲運はやっぱり神使や王侯貴族という「背信者」によってもたらされる「拒絶できないある未来」であって、彼らの「深海」は本来は海神が「好きな人を連れて来ること」を心から祝いたくて楽しみに待っている、ようなニュアンスなんじゃないか(そうだと言ってくれ
幼いホムラはこの岩礁を抜けた先で見付けたピンク色の貝殻を砕き「あの時」に見たピンク色の海を再現しようと絵を描いたが「リモリアが消える」と同時にその大切な絵も絵の具も「なくなってしまった」と「故郷を想うような表情」で語ったりするのだけど、その「ロマンと幸せを象徴している」かのようなピンク色は「今日大切な人が自分の世界へやって来てくれたこと」でもう一度見付けられたのかも知れない、と話してくれたりもする。それは光に堕つ彼が溢していた「見なくても感じられる」という「色に込められた感情」を指しているのかな?
グロリオサの花のように燃える炎の赤に象徴される「ロウソクの火」と海をピンク色に染める「ビロノの夕日」を重ねて見せたりするホムラもまた「雨水と海水がやがて混ざり合い別れる前の姿に戻る」ということを感じていたりしたのかな。それともこれは「海の火種の夕日と陸の太陽の夕日とが重なる」ことの暗喩だったのだろうか。
いずれにせよ、ふたりがこれからもずっとこんな誕生日を過ごせますように、と願わずにはいられない幸せなストでしたねぇ。