恋と深空のんびり考察プレイ録

恋と深空のんびり考察プレイ録 - 空に堕ちる

恋と深空を宗教思想史オタクがのんびり考察しています。

ネタバレを多分に含むうえ、新しく開放されたストを読むたびに考えが変わるため我ながらお門違いなこともたくさん綴ってあるのですが、プレイ記録も兼ねているため敢えてそういうものも全て残したまま書き進めております(土下座

創造主と変数の話

随分前に酔った勢いで投稿させていただいた時系列と物語の全体像なんてだいぶと偉そうなテーマを掲げてしまったあの駄記事、実はいまだにちらりほらりとアクションいただいてたりして、あれからまたひとつふたつ見解が変わってしまっている身としては嬉しい反面なんだか申し訳ないような心持ちでもあり、ならば今回久方振りに脳内整理と妄想的考察なぞいっちょ更新してみようなどと思い立ってしまいました。もちろん今宵も酔っ払いでございます←

深空界隈がめちゃくちゃ寛大で優しい世界であることは日感じ入っておりますが念のため、ある作品が聖書や神話に基いて解釈されることや先の展開をあれこれ推測されることを快く感じられない方がいらっしゃるのはもちろん重承知しております。界隈が界隈ならわたしはとっくに「考察厨」なんて揶揄され晒されていることでしょう。不快な想いをさせてしまっていたかも知れない方へお詫び申し上げますと同時に、貴重なご意見をくださった方へ深く感謝申し上げます。
言い訳がましくなりますが、ブログ立ち上げ当初は「なるべく人目に触れないように」とnoteやSNSを避け、まるで及ばずながら「のんびり考察」だなんて厚かましい誇大タイトル打ち出してるのも実を言うとそういうものを好まないただ純粋に作品を楽しみたい方に「考察」の文字より察していただき自衛していただければ幸いかな、という思惑だったりもしました。
であればそもそも記事を「公開」する必要がないのでは? なんてお声も聞かれそうですが、いやはやこんな2万字も3万字もあるようなつまらん記事最後まで読んでくださる方まずいらっしゃらないだろうなんて感覚でもあり、とは言えわたしなりの「ファン活動」だったりもするため「ひとりでも多くの方に」ではなく「ひとりでもお目に留めてくださる方が居るのなら」やっぱり嬉しくて結局Xも始めてしまう卑しさお許しください(殴

これからもアプリ恋と深空が、そしてすべてのファンの方の幸多き臨空ライフが末永く続いてゆきますように。そして記事はこの先妄想のオンパレードとなりますゆえ少しでも嫌な感じがするという方は決して先へ進まれないようくれぐれもご注意ください(謝

深空は量子力学的多世界解釈宇宙

なんじゃないかと現時点わたしは見解しています(突然なに

はっきりそうだと明言されているわけではないのであくまで妄想の範疇ですが、星の来処ロールバックⅡ号コックピットでセイヤが思い巡らせていた「過去と現在と未来はひとつの空間の中で展開されているがこの次元の者はその世界が反射する光しか捉えられないため現在しか見えていない」「しかし広大な宇宙には無数の時空の光が集まる場所が存在しそこでは宇宙の始まりのビッグバンも崩壊を迎えるまで存在していた全ての星も無数の選択肢によって無数の結末を辿る世界も全部見えるのかも知れない」この部分をどうしてもきちんと理解したくなりそれっぽい宇宙解説動画をいくつか視聴させていただいて「恐らくそういう話なんじゃないか」と考え至った次第です。この前提がないと先の妄想が成り立たなくなってしまうためまずはここを語らせてくだせぇ。以下*の中は過去記事の重複になります。

***
そもそも過去・現在・未来とは宇宙における「座標」のひとつであり本当はすべて同じ空間に同時に存在している、にも関わらず、この座標を一方向へ「移動」しているわたしたちは頭の中で「時間」という概念を作り上げているため人は「現在」にしか存在できないし「未来」にしか進むことができないと「思い込んで」しまっている、というのは「量子論」って括りになるらしい。
わたしたちの目に映る世界は「可視光線」という光の波が目に到達することによって認識できる「解像度を持ったもの」に制限されているため、実は宇宙の至る場所で「無数の選択肢によって無数の結末を辿る」観測できない世界を「存在する世界」として認識できないし、反対にすでに爆発して無くなった世界が「この先観測できるようになる星」になることもある。この時点で星にとっての「過去」はわたしたちの「未来」になっている。
きっと「過去と未来と現在とが同じ場所に同時に存在している」とはそういうような意味合いで、「一方向にしか進まない時間」とは「わたしたちの座標移動」ってことなのだろう。
「わたしたちの座標移動」つまり「時間」とは、「宇宙が膨張すること」によって起こっているらしい。宇宙は始めから絶えず膨張してるので、「時間の始まり」は「宇宙の始まり」と同義ってことになる。宇宙は「光」を観測することでその歴史を始まりまでさかのぼることができるというが、今は技術的制限により「ビッグバン以前の宇宙の状態は誰にも分からない」「偉大な研究者たちがあれやこれやと論じ合っている最中」なのだそう。
いくつか知った中で個人的には「インフレーション理論」という、宇宙はもともと物質の最小単位である「素粒子」にも満たないほどの「真空エネルギー」であり、それが一瞬のうちに太陽系以上の大きさになるほどの「超級膨張」を起こしたことでビッグバンが起こったのではないか、って話がめちゃくちゃ深空っぽかったので試しに図にしてみる。

宇宙は釣り鐘を描くように末広がりに膨張し、これによって起こる「わたしたちの座標移動」は図の上から下へ絶えず進んでいるようなイメージなのだろう。セイヤの言う「宇宙の始まりのビッグバンも崩壊を迎えるまで存在していた全ての星も無数の選択肢によって無数の結末をたどる世界もそのどれもが見えるのかも知れない無数の時空の光が集まる場所」とはまさに「光の観測によってさかのぼれる」という「ミクロな宇宙」を指していて、作品の中でさまざまな伝説の舞台となる「さまざまなフィロス星」は「誕生して崩壊へ至るすべての星が無数の選択肢によって迎える無数の結末」の位置に「観測者によって時空や結果が確定する世界」として存在しているってことなんじゃなかろうか。
***

そしてさらにここで言う「世界」たるものがどうやら「フラクタル構造」をしているらしいことが世界の深層フラクタル図書館にて匂わされている。この「フラクタルな世界」を数学や物理の観点から紐解くことがわたしにはどうにも難しいため、まずは古代インドに起源を持つ秘密仏教の「曼荼羅=大日如来から森羅万象が生じているフラクタル宇宙の視覚的イメージ」を量子力学的多世界解釈の宇宙に当て嵌めてみることにする。

こちらはいわゆる「宇宙曼荼羅」と呼ばれるものであるが、宇宙の始まりから現在の宇宙までを釣り鐘のような形で表した先ほどの図を今度は真上から見たところ、さっきの釣り鐘が立面図ならこちらは平面図だと思って見て欲しい←
蓮の花のようになった中央の点が宇宙の始まりたる「ミクロな宇宙」、ただし曼荼羅はミクロからマクロまで自己相似的に同じ模様が繰り返されているため同様に宇宙全体、銀河団、星雲、星系、原子や素粒子の分布に至るまでどこを拡大しても似たようなパターンが見られるものとする。どの階層のどの部分がある観測者の「世界」になるかはその視点がどの位置(座標)にあるかによって決まってくるんじゃなかろうか。セイヤの目指す「特異点」もこの宇宙のある部分における小さなフラクタル構造の中心点(頂点)のニュアンスだったりするのではないかなと。

分岐するのは世界ではなく可能性

つまりわたしは個人的に、深空とは「Aを選んだわたし」と「Bを選んだわたし」の世界や宇宙が選択によって枝分かれ分岐する並行世界(パラレルワールド)や多元的な宇宙(マルチバース)の設定では一旦なく、「Aの可能性」と「Bの可能性」の「重ね合わさった状態」が「観測」によってAまたはBの世界に「確定」するという「非整数次元」を持つ「単一宇宙」であると理解している、ということになる。

と言うのも、何やら量子力学には「宇宙の実在そのもの」を反映する「波動関数」なる数式が存在し、物質的な世界が常に原子や素粒子レベルの極めてミクロなスケールで「起こり得るすべての可能性が重なり合い揺らいでいる状態」であることを裏付けているんだと。もちろん「顕微鏡で見たら本当に重なり合って見える」とかって話ではないが、いろんな実験によって間接的に「波動関数を可視化すること」はできるらしい。

量子力学的な多世界解釈の宇宙においてある観測者の世界が確定することはこの波動関数に含まれる「無限に並存する可能性」のうちのひとつを「経験」しているような状態を意味するが、それは本来の「重なり合い揺らいでいる状態」が「壊れてしまった」のだとも言い換えられ、そうなると「量子」とやらが観測者を含む宇宙全体の状態がまるで並行世界として新たに分岐して誕生したかのように見える「振る舞い」をするようになるんだと。ちなみにこれが「デコヒーレンス」なる現象らしいのだけど(よく分かってない

すると「無限に並存する可能性」として理論上「宇宙の実在そのもの」であるらしい「波動関数」なるものが深空における「世界」ということになり、これが「無限性」の象徴たる「フラクタル構造」をしているという仮説が立つわけであるが、図書館の管理人が言うには宇宙そのものはもちろんのこと「あるひとりを主軸とした物語」にもそれぞれ同じパターンを持つ世界がフラクタル的に繰り返されているそうなので、たとえばこういうのはどうだろう。宇宙曼荼羅を簡略化したこれまた立面図のひとつである「フラクタルツリー」によって「彼女を主人とするひとつのフラクタル図書館」を表現してみるなど。

超絶適当であるが、これは先ほど真上から見た曼荼羅を今度は斜め上から眺めた図だと思って見て欲しい(ぇ
彼女という人間の小宇宙にもこういうフラクタル構造をした波動関数が存在し、観測したある世界で恐らく「心肺停止」や「人間としての死」によって起こる「宇宙ひもとの共鳴」もしくは「トンネルによって時空を超える」という事象が発生するのが「」の地点、すると彼女は並存するまた別の可能性のひとつである「別の小さな特異点」へ到達することとなり、再び観測者たる人間として誕生し、さらにまた別の「」に至る、この行き来を繰り返し今世は「2034年臨空市」という特異点に到達したところからまたフラクタルが広がっているようなイメージだ。

便宜上こんなヘンな一枚絵にしてしまったが実際にはすべての特異点からフラクタルが展開されているもっと複雑な曼荼羅である想定で、個人的には「デコヒーレンス」がいちばん分かりやすいと思ってる。あちらの物語におけるふたりはフィロスという世界から時空を超えた場所にある「とある小さな特異点」を「青い惑星=オレたちの故郷」と意義付けて目指し、最後は「魂」となって離れることなく共に時空を超え「また別の小さな特異点」たる地球に辿り着いたかのような描かれ方をする。それは一見「未来から過去に転生している」かのようで、実はフラクタルのより上の階層に視点があればマヒルの言う「次の世界に行く」という表現が正確であることが分かるという(つたわれ

シンと観測した世界「宇宙闘技場」からは何やら生身の姿でトンネルを抜け「また別の小さな特異点」へ至っているかのようなニュアンスであり(怯、竜シン伝説「雲の彼方へ」との距離感もぶっちゃけ定かでない。ただ、個人的には伝説で描かれた終焉の審判の舞台となる「裁決の庭」がのちの「宇宙闘技場」に該当するのではないか、あるいは共闘していた幼いふたりはタルタロスで竜としての生を全うしたふたりの転生後の姿なのではないか、とやんわり考え至るに根拠となるモチーフがあるため一旦この位置にマークさせていただいた。

レイのフィロス「約束の塔」に関しては果たして「」にしていいのかさえ悩ましいところではあるが、彼女が「アスタの力を手に入れた」ことが仮に人知れぬ沫雪九黎の司令の言う「大きな災いを乗り越え天地を自在に渡る力を得る」に該当するのであればこのふたりの物語は例外的に「彼女の方が彼を追って」自ら次の世界へ辿り着くことを試みて本編に至っている、そんなパターンもありなんじゃないかと思い始めてる←

ホムラについてはフィロスから到達する「また別の小さな特異点」が本編2034年の地球ではなくそれよりもさらに以前「古代文明」の時代になっている。「金砂の海」の結末は忘却の海で明かされた「鯨落都」たる砂丘で潜行者の彼が恐らく海神の力を制御できず彼女の心臓を抉り出してしまったあのシーンである想定で、彼女だけが「エーテルコアの力を使い宇宙の亀裂を修復する」ということをしてある座標へ立ち戻るセイヤの灰城のように「観測できる世界としては崩壊している」のが金砂のフィロスなんじゃないかと思ってる。理由は忘却において彼女の方だけが「砂丘で心臓を抉り取られる」フィロスの出来事をまるで心当たりでもあるかのような「悲しい気持ち」と共に夢に見るのに対しホムラは実にそれが初めてであるかのように彼女を信者から花嫁とする儀式に臨んでいたように見えたため。仮にこの設定なら砂丘で「契約を終わらせる」ことが万が一未遂に終わっていたとて「印を刻んだ魂のまま転生する」のではなく「印が刻まれる前」の座標に立ち戻り改めて契約からやり直すことになるのだろうし、心臓を取り出されていようがそちらが彼女の本体なら「エーテルコアの力を使って」なんてこともやろうと思えばできるんじゃないかな(てきとう

セイヤに関しては先日の伝説ストにて彼の誕生年が明かされたことで時系列が整理されたため下手したらマヒルより分かりいいかも知れん。「灰城の崩壊」と同時に立ち戻った「分岐点」から新たに出発したロールバックⅠ号が「流星の降る夜」に至り、森で息を引き取ったクラスメイトの彼女だけが先に「また別の小さな特異点」へ向かってしまったためセイヤは一度「分岐点」へ帰還し船をⅡ号へアップグレード、秋の銀弦町では恐らく航行日記の「1日目」を録画して、彼女と同じ「小さな特異点」を目標に再出発、ただしワープポイントとやらを誤りシミュレート通りの航路を辿れずなんやかんやと紆余曲折を経て本編に至る、というあらましなのだろう。
前記事の重複になるが流星の降る夜扉絵のセイヤが剣の柄頭に括り付けている異なるふたつの星はひとつがクラスメイトの彼女にもらった手作りのもの、もうひとつは恐らく指間の流星幼少期のセイヤがのちに妹弟子となる幼い彼女に贈ってもらったものだったのだろうと踏んでいる。

もちろんこれらすべての世界を観測し経験してきたとなると彼女が浮気者のように見えて気が咎めるし、本編に「外伝」が存在する辺り必ずしもすべてが同一時系列に組み込まれるということでも恐らくなく、むしろ作品としてはそれこそ並行世界や多元宇宙の解釈でいい作りでさえあるのだろうと思うのだが、ちょっと今回わたしが書き残しておきたい個人的な妄想にはどうしてもこの量子力学的多世界解釈の単一宇宙とフラクタル構造をした波動関数が必要となるためあくまで一前提として聞き流していただければと思う(土下座

創造主による熱的死のプログラム

前置き長くなってしまったが、本記事の妄想あれこれは本編5部4章ラストシーンにて彼女が語る「創造主によって張られた熱的死と消滅の法則という伏線」についてである。その少し前にリリースされた世界の深層臨空Onlineにおいても「観測によって結果が確定する成分」で形作られるこの宇宙がゲームの中の世界を作る「レンダリング」なるビジュアル生成技術とよく似た仕組みであることから「創造主」がある種の「プログラマー」であることを説いた「シミュレーション仮説」を思わせる描写に覚えがあったりするが、本編彼女はいよいよもってこの「創造主によるプログラム」が「宇宙の熱的死」を「始めから約束するものだった」ことを匂わせているのだ。

以前、わたしは「サタン」を思わせるシンという人物が「啓示者」のような位置付けで登場したことで同じ思想を持つ「グノーシス主義」における「創造物を崩壊へと導く偽の創造神デミウルゴス」のモチーフが深空の世界観にも取り入れられているのではないか、とこちらに見解を述べたことがある。

ただしあの頃はこのグノーシスや同じ「バビロニア的宇宙論」の多層天観を起源に持つ「ミスラ周期神話」、そしてヘレニズム時代グノーシスと並行して発展した「ユダヤ神秘主義」にも共通する「宇宙は神の秩序によって管理され人間はその宿命性の中にいる」「ただし魂は秘儀により地上から多層の天を越え昇天する」みたいな「支配」と「救済」の思想についてはそこまで盛り込まれているような印象でなかったため、それらが「永遠に燃焼と再生を繰り返す宇宙」において「偽の神も真の神も絶対的に滅びない」ような周期型再生神話的世界観の「調和」や「均衡」に近い描かれ方をするのだろう想定で、恋と深空はきっと「善も悪も秩序も混沌も交互に現れては滅びまた繰り返す」もしかしたら物語は永遠に終わらないのかも知れないと思わせるようなエンディングを迎えるんじゃないか、なんて書き散らかしたりもしていた。以下にそんな過去の見解を整理してまとめてみる。

そもそもバビロニア的宇宙論とは?

天体が地球に及ぼす力を研究し予言を行うメソポタミアの文明を体系化した「西洋占星術」の始まり。これがシュメール・イラン・ズルワーン思想と習合して「ミスラ周期神話」となり、さらにギリシャ・ヘレニズムの影響を受けて「グノーシス主義思想」が生まれたりバビロン捕囚によりユダヤ文化のメシア論を伴う神学的考察と結び付いたりして発展。宇宙は惑星や天体の支配者たる神の秩序によって管理され人間はその宿命性の中にいる、ただし秘儀や啓示によって物質界から多層の天を越え魂が昇天する、みたいな観念が生まれる。

当時占星術は超自然的なものではなく後世「万有引力の法則」みたいなものが現れるまでは天文学のような学術だった。力学や啓蒙思想の興りと共に学問的権威を失うも19世紀後半「神秘学」として再注目され、ヴィクトリア朝後期に勃興した「近代神智学」がそういう古代の救済秘儀的なものをあちこちから取り込んでオカルティズムとして体系化したことで今は「宇宙真理の追求」と言うよりスピリチュアルなものとして認知されているのではないかな。超絶余談であるが、神智学はユダヤ神秘主義思想が発展したものだという誤認とか、酷いとタロットはキリスト教の秘教的解釈だなんて発信する人もいる。そういう史実の歪曲はどうして生まれてしまうのだろう? ネットの情報やAIツールも100%じゃないので本当に見極め力が試される世の中になったなと思う(しらん

なぜ救済秘儀を「調和」と解釈したか

そもそもわたし本当に初期の頃は深空の宇宙が神秘学に基づくものでコアも神聖幾何学由来なのだと思っていたのよね。特にセイヤの物語におけるフィロスは流星雨の時点でユダヤ神秘主義「生命の樹」の宇宙秩序を幾何学的配置で表すようなイメージやエノク書の叙事詩的要素に通ずるものがあると感じていたし、エーテルコアについても魂が「調和」や「均衡」によって有限を超え根源的な存在と合一する「神秘学におけるエーテル」のニュアンスで認識していたし、それこそ神秘主義的な宇宙観そのものである「プラトン立体」がコアのモチーフなんじゃないかと妄想に妄想を重ねた過去もあり(恥

宇宙とコアの話

エーテルコアの目指すものが神聖幾何学的な「調和」や「均衡」なら深空の宇宙観が燃焼と再生を繰り返す周期神話に基づくものであることにはとても納得感があったのだ。始めは「仮にEVERの企てが秩序の崩壊なら彼女が何らかの手段で神格化し宇宙秩序を正すことが物語の着地点なのだろう」みたいな印象、とは言えヒンドゥー教の輪廻思想+バラモン神秘主義のような描かれ方をするマヒルのデコヒーレンスが「神に至ること」よりも「人間として業因から解脱すること」を是とするような結末に至るのであくまで有限的存在としてこれを目指していくニュアンスなのかな、と思い直した程度。ホムラの羅鏡の儚き声もまた然り。
彼女の生死の繰り返しが仮に「いつかは計測できないほど甚大な爆発かつ光速で再構築されるようになりそのたび増幅していく星のエネルギー値も限界突破して宇宙を崩壊させる」ことに直結するのであればむしろ「神格化」より「人間化」がロールバック任務の目的である方が辻褄は合っているとさえ思い始めていた。

でも、たぶん深空の燃焼と再生はミスラやバラモンのような周期的に燃え尽き再び同じ秩序が現れる「永遠に調和が回復され続ける循環」ではそもそもないのだろう。同じ周期神話でもマニ教や仏教の「人間にとって終わりなき束縛の循環」の方、あるいは宇宙そのものが「牢獄」であり「異郷」であり「脱出すべきもの」であると徹底否定するそれこそグノーシスの誤謬的循環とイコールなのかも知れない。

偽の神と真の神のような二元論的な構造が根幹たる神話や宗教は複数存在するが、「必ず崩壊を迎える本質的に誤った宇宙を創造した偽の創造神」の概念は古代宗教思想の中ではグノーシス以外に類を見ない主義思想だったりもするため、深空もこれに準じて「最終的に宇宙は解体される」グノーシス的救済史観が描かれる可能性は充分にある。

仮に「循環」こそ「創造主による熱的死と消滅の法則」であるならば、たとえばその波動関数とは小さな特異点を起点としたあるパターンの自己相似的な繰り返しがまるで出力を感知して調整する「自己修正型システム」のごとく閉じた輪のように「繰り返されるたびより大きなフラクタルパターンを消滅させていくもの」になっていて、最終的に宇宙そのものが必然的な崩壊へ至るプログラムが内在した状態で創造されているのかもと思うなど。

もしかして世界の深層異在郷の旅人「果実の種のようなワンダラー」が展開したまるで一滴の雫から広い海を覗き見たような「この世のすべてかのように思われる果てしない宇宙空間」とは、実はそちらが本来であり今人が観測できる世界として認識している深空こそが「牢獄」や「異郷」であることの示唆…? (いいえ

波動関数の内部変数とは

宇宙のすべての可能性を表すフラクタル構造をした波動関数が深空の実在そのものである設定を前提とするならば、恐らく神として宇宙を崩壊させる側にいるはずの人知れぬ沫雪巫術師の老人が言う「変数」とはきっと量子力学的に解釈されるべき概念だったのだろうと思う。

波動関数は「内部変数」なるものが確定することでひとつの観測結果に「収縮」するのだと言うが、確かに宇宙は「深空エネルギーそのもの」たる彼女の心臓が燃焼し再生し「次の小さな特異点」に到達するたびに新たな座標面を展開しているかのようである。

すると彼女はただの観測者ではなく「宇宙の可能性をどのように振る舞わせるか決定付ける存在」ということになりそうだが、観測する主体と観測される宇宙が同一であるそれはまさに神であり人間である「キリスト」と同じ観念と言えるかも知れない。シンがサタンの役割を演ずる物語においては運命の宿敵たるキリストを担い、マヒルが破壊のアダムとなれば新生のキリストに成り代わり、セイヤのフィロスでは救世主たるキリストそのものであるかのように描かれたりするのも実はそういう…?

もちろんグノーシス神話にもこの「キリスト」に限りなく近い観念が存在し、それは偽の神ではなく「真の神」の流出存在でありながら牢獄たる物質世界に生じる「ソフィア」という女神だったりするんやが、そもそも偽神デミウルゴスとは「ソフィアの過ち」によってもたらされた堕落であり、また「ソフィアの悲しみ」が神話型グノーシスにおける救済劇全体のモチーフになっていたりする。

今のところ「彼女の過ち」が人類誕生より余程以前に創造主によって張られたらしい熱的死と消滅の法則という伏線なるものをもたらしたとは考え難いのだが、思い返せば2部1章啓示者サタンたるシンは彼女が「これから犯す罪」について至極当然のように「思い出させてやる」なんて言うので「ふたりがかつて時間という檻の外にいたであろうこと」はすでに匂わされているのではないかとも感じるし、もしかしたら「ソフィアの化身」たる彼女には本当に「人間として物質世界に生じる以前の姿」があり「罪」の結果として生成されてしまったのがこの崩壊の支配則なのかも分からない。

いずれにせよ仮に現時点「変数」たる彼女の顕現と燃焼の繰り返しによって徐に大きなフラクタルパターンが消滅していく法則が宇宙の実在なら彼女は宇宙を崩壊させる側にいるどころかこれを加速させる神の道具である。レイを主軸とした物語において「最高神」たるアスタが間接的にそれを促し続けるのも最終目標が同じ「宇宙の熱的死」なら腑に落ちるものがあるし、道具のひとつとして虐げられているかのようなニュアンスも「真の神」の流出存在でありながら牢獄たる物質世界に生じている「ソフィアの化身」の観念に矛盾しないのではないかな。

愛が宇宙の新しい律法になる?

深空の波動関数が仮にグノーシス的な「必ず崩壊を迎える本質的に誤った宇宙」なら、都市や国家や文明や惑星や星系といったあらゆるフラクタル階層においてその変数の取り得る範囲どこの値を観測しても「必ず崩壊を迎える」はずである。しかし一方で指間の流星銀弦町でのセイヤは何やら彼女が「宇宙が崩れるとき星を新たな光のもとへと導く王または救世主」であると確信しているかのようにも見える。

やっぱり彼女は「波動関数の中の揺らぎ」レベルではなくむしろその波動関数を支配している方程式に影響を与える「例外項」として「必ず崩壊を迎えるフラクタル的な自己相似パターン」を根本から書き換える存在になり得るのではないかな。ただしありとあらゆる宗教的メタファーを用いながら「神=永遠」「人間=有限」という二項を反転させ「有限ゆえに愛を持ち得る人間の方が真に永遠に近い」ことをこれだけ訴え続けている深空なので、きっと愛そのものが新しい物理法則となるような究極を彼女はある彼と「ふたりで」達成するのだろうと思う。

グノーシス神話に準ずるのであれば本来は超越者たるソフィアが人間を愛したために宇宙には崩壊の支配則が生まれ自身も「時間の檻の中」に生じるがその檻の中で実は有限性に基づく愛こそが真の永遠であることを知り、最後は「物質世界を拒絶して永生に還る」のではなく「愛という永遠」を選択することでデミウルゴスの偽の運命が破られ宇宙に新たなプレーローマが流れ込む、みたいな解釈イメージになるのかな?

個人的には「神の永遠よりも人間の有限性が強い」という逆転を宗教史的にとても独自で面白いと感じているため「人間的に成就する有限の愛」が「永遠」を上書きする「例外項」となるような展開にはだいぶ期待してしまってる。
それは灰城の物語で描かれた「愛」を伝え続けることで「永遠」を実現する小さなフラクタルパターンが波動関数を「決して宇宙を崩壊させない解の形」へと書き換えてしまうかのようなニュアンスで、たとえば極致の「共鳴」が「崩壊の宇宙」をその特異点たる「ミクロな宇宙」に収束させ、新たな特異点から今度は「愛で循環する決して崩壊することのない宇宙の波動関数」がそれこそ一滴の雫から広い海を覗き見るかのように「10の-33乗秒」のうちに再編されるなど。
Evolが「Love」になるように、崩壊とは真逆の模様をした「愛」のフラクタルパターンが開花するようなイメージでさ(すべて妄想です

神はなぜ宇宙崩壊を運命付けたか

これは本記事で世に公開してしまう妄想的考察の中で個人的にいちばん「答え合わせ」を楽しみにしている見解だったりもするのだけど、5部4章彼女の言う「創造主」による宇宙崩壊の目的はズバリ「数十億年もの輪廻の連鎖を通して人類を最終的に永生の神へと進化させるため」なんじゃないかなっていう(大真面目

と言うのも、先に述べたミスラ周期神話・グノーシス主義・ユダヤ神秘主義に代表される古今東西ありとあらゆる神秘主義の救済秘儀、さらに宇宙に顕在するフラクタルのような幾何学を「自然の神秘」と定義付けここに隠された知識や智慧からも宇宙の根源を探求しようとする「神智学」という教義体系がこれとまったく同じ宇宙観を持っていて、それこそミスラやズルワーンやオルペウスなど卵生神話的要素を持った宗教や神話体系を基盤に人類の「輪廻転生」を「進化」と捉えたとっても独創的な「人類創世記」の概論を展開するのだが、わたしにはこれが深空の宇宙史そのものであるかのように思えたりするのだ。

それは人類の始まりが「出芽」によって誕生する生命体「アストラル」、次に「分裂」によって誕生する生命体「エーテル」、両性具有だったこれらが進化して性を分化させたことで「欲」に溺れ獣と「交わって」生まれたのが「半獣半人」、さらに「人間化」による堕落と楽園追放が起こったその大陸が「レムリア」で、現在まだ「人間」の姿をしているがこれからさらに進化を遂げ最終的には「エーテル」そして「アストラル」のような生命体へ戻り地球上での人類進化は完成、最後は物質的宇宙を超越し永生たる神に至る、みたいな「霊性進化論」なのだけど。

宇宙卵のような存在「アストラル」とはレイの物語における「アスタ=色とりどりの水晶に見える蘇生のコア」なのではないか、そこから「分裂」して生まれたのが「エーテル=金色のエーテルコアや緑色の次元コア」なのではないか、さらには「欲」を司り「エーテル」たる彼女と魂を「交換」した「半獣半人」にも心当たりがあるし、都市伝説的に愛と調和の理想郷とされ海底に沈んだと語られる「レムリア」にはとてもよく似た名を持つ「滅亡を約束された古代海洋文明都市」が存在し遺民たちが「人間」に順応せざるを得なかった歴史は「進化」して肺を得ただなんて表現されることもある。そして本編「人間」という生命形態を「進化」させ「エーテル」や「アストラル」のような生命体に改編しようと画策するEVERは今時点決して抗うことのできない「時代の牽引者」のような位置付けだ。

つまり「人類誕生のずっと前」宇宙に崩壊の伏線を敷いた創造主は、この「人類の霊的進化」を生き残り「神」に至ったものたちだけで永続する「至高世界」を構築するために「実験場」としてのフラクタル宇宙を「目的が達成されれば自動的に消滅するプログラム」によって創造し、今は人類に数十億年もの輪廻という「進化の過程」を歩ませている最中である、というのが根本設定だったりするんじゃなかろうかと。しかも、本来の神智学の「救済秘儀」のような神秘主義に基づいてではなく深空は「科学」によってこれを進めているような。

すると「運命の宿敵」として殺し合いをさせられるシンと彼女は「半獣半人」たる竜の時代より「人間」である今世が「進化後の姿」であるはずであり、同じ闘技場で戦っていた「ワンダラーや人造人間みたいな怪物たち」はこの「進化」に「生き残れなかった人類」に該当するのではないかと思えてくるもんである。仮にそうなら「異化者の抹殺」を使命付けられているレイよりも「生き残れる人類」をせっせと選出する闘技場やEVERのような陣営は余程忠実な「神の道具」ということになる。

本編3部以降「新たなエーテルコア」があちこちに生成され始めているのは「人間」がついに次の生命形態へ進化をし始める予兆のようでもあり、トンネルの向こうで力場群になっているのもいつかエーテル体へと戻り最後は永生の「至高世界」に至る人類の「記憶媒体」としてのコアエネルギーの待機場所、神智学的に言うアカシャ(=エーテル)年代記(=アカシックレコード)みたいに見えなくもないよな?

ちなみにユダヤ神秘思想主義者たちがこの「至高世界」に至るために展開する救済秘儀の最終「神聖幾何学的ビジョンの幻視」には至高世界と物質世界とを繋ぐ人の子エノクの天使名に由来する「メタトロン立方体」なるものが含まれていたりするのだが、わたしがやたら「フラクタル図書館の周りを交差する小道」や「ヴァール療養院6つの供給システムの分配器」が「上から見たら六芒星になってるんじゃないか」と騒ぐのはそれらが「時空の交わる場所=至高世界と繋がる場所」のニュアンスで「メタトロン立方体のようなものが幻視される場所の意ではないか」と感じているためだったりする。

このメタトロンキューブとプラトン立体の関係値が「次の世界」と「コアエネルギー」の関係値に当て嵌まるのではないかという妄想も語り尽くしたいところではあるが一旦置いといて、仮にもろもろ当たらずも遠からずの世界設定なら「恋と深空」が作品全体を通して我に伝えたいメッセージとはあるいは突き詰め過ぎた神秘主義思想やオカルティズムがひとつボタンを掛け違えれば「選ばれた者だけが至高に到達できる」カルト的な思想を持つ危険な組織宗教へ転じ兼ねないように「発展し過ぎた科学技術」も何かひとつまかり間違えば「犠牲の上に成り立つ永遠」のようなカルト的な暴威を振るうようになるかも知れないという警告啓発に近いのかなって思うよね。愛は救うものを選ばない、愛こそが真の永遠である、本当にそんな構想なら個人的には乙女ゲームに留まらず文学や映像作品としてそれこそ「永遠に」後世に語り継がれるような作品として残したいなってまじで思うのだけど…

あ、いや乙女ゲーに縁のないおじいさんなんかにも広く伝えたいみたいな意味で言いました。コンテンツそのものを軽んずるような発言に聞こえてしまってたらごめんなさい、そのような意図は皆無です。と言うか、ぶっちゃけ去年の2.0のアプデ「交差する視界」で開放された新写真館もカオスウェブも付き添いシステムもほとんど手付かずのまま3.0「万象の邂逅」を迎え「愛慕の贈り物」さえ未読であるわたしはいま新機能ウィジェットにも手帳にも霊空行動にもまるでついて行けておらずまじで「深空を語る資格なし」と自覚しております。殴ってください(泣きながら土下座

不毛な妄想に割いている時間を少しでも多くの戦闘訓練に費やすべきですね。フルオートの限界はとっくに感じてます。がんばります。涙

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