陰陽の境
めちゃくちゃお久し振りでございます。子どもたちの進級・進学と自分の部署異動でなんやかんやとバタバタしておりました。先月からアプリログインもままならずフレンドの皆様には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。大事なイベントもいろいろとすっ飛ばしてしまったな(悔
私事ですが去年の6月頃からずーっと実装したかった「コメント返信機能」を少し前にようやくデプロイすることができました。ほんの出来心で設置してしまったコメントフォームだったけど、せっかく送信いただいたメッセージにはいつか必ずお返事したいと思ってて、専用テーブルに送信内容を保存するというところまではなんとか実現できたものの、その保存データを「PHPで取り出しJSに渡す」というたったこれだけのことが素人にはあまりに大掛かりでねぇ。長らく苦戦していたが、なんと最後は拍子抜けするほどあっさりと昨今流行りの「生成AI」が仕上げてくださいました。
いやーAI活用でついに非エンジニアがCMSにWaveboxのような機能を実装できる時代がやってきてしまったよ。古い人間なもので「AIなんて」とこれまでだいぶ軽んじてきたけども、こりゃあいよいよ侮れないなと心底認めざるを得ませんでしたわ←
恋と深空についてもさ、たとえば作品を物語としてそのままAIに読み込ませて時系列やモチーフを整理してもらったり、神話・宗教・文学・科学や物理の分野からも既存の知識を収集して照合してその構造や構成を分析して欲しい、なんて命じれば、もはやわたしという人間ひとりの記憶力や持てる参照範囲なぞ塵にも満たないほどの領域で、それも比べ物にならないくらい高速で、きっと限りなく正解に近い「考察」を展開してくれるのだろうなと思うよね。
それでもこの「のんびり考察プレイ録」の書き手がわたしという「人間」であることの意味はたぶん別のところにあるはずで、それはわたしがどの場面にはっと息を呑んだのか、どの台詞に引っかかり何を連想しどんな感情を呼び起こされたのか、ある演出に触れたとき誰かの内部で何かが起こり、何かと繋がり、あるいは何かと反発し合う、そういう連鎖反応みたいなものはその人がそれまでに何を見て、何を失って、何を信じて、何に傷付いてきたのか、要するに「人生を通ってきた心身」があるからこそ起こり得る現象というものがあるためで、その「生きた通過痕」そのものが「ひとつの批評」になるからなのだろうな、なんて考えたりもしました。
知識の量や正確さや参照範囲では人間に負けることがなく人間より余程「正解」に近いことが言えるAIには「人生」がないですからね。感受の固有性というものもまたその人の「魂」の一部なのでしょう。
言い訳がましい前置きをてんこ盛り並べ立てたところでさて本題に入ろうと思いますが(ぇ、今回の伝説スト恐らくは古代中国の神話伝説体系の中に物語の骨組みや世界観の起点となるような題材がきっと明白に現存するのだろうなと感じます。ぶっちゃけここは思想史として学ぶ宗教道教の神格体系とも陰陽五行や四神の宇宙論とも出自が違う「神話の古層」となっており、とにかく数として膨大な冥界観・輪廻観・地域伝承・王朝史・怪異譚がないまぜになった創造論が並立する個人的には「どこから手をつければいいか分からない」からと掘り下げることを避けてきた部分だったりもするため正直「答え」には辿り着くことができないのだけども、それこそ漢文的編纂文化の影響下で今の形になった日本神話のイザナギとイザナミのように、特に南中国から東南アジアの海域には「兄妹でありながら夫婦でもある男女が天命を担い世界創世や生死の分断さらに秩序の再建に関わるような神話類型」がきっと数多く存在するのだろうなと思います。
すると今回も一貫して「本当は彼らも天命を捨て輪廻を下り有限な生を引き受けて別世で結ばれることを求めていたのかも知れない」という発想、あるいは「神の物語」の中で離別を選ぶ他なかった彼らには今度こそ「人間の物語」の中を愛に自由に生きて欲しいという願い、神のような無時間的永遠ではなく失われるからこそ永遠たり得る人間的な愛の発見、そういう読みが論理的にも感覚的にもきわめて収まりがよい「正解」に近い解釈になるのかも知れません。
なんだけど、やはりわたしは相当偏屈でひねくれた人間なのだろう。このふたりの悲恋が真に伝えているのは「自己献身の称揚」ではなくむしろ「その限界」の方なのではないかと感じてしまったのだよね。ふたりの「愛」は確かに切実で美しく尊いのだけれど、物語としてこれが無条件に肯定されているかと言われれば決してそうではなかったように思える。彼らは「愛し合ってるのに結ばれないから」切ないのではなくて、互いを愛すれば愛するほど「世界を愛せなくなるから」切ないのではないかなと(苦悩
これはマヒルの物語に限らずだけど、彼女はたぶん「深空」における何か「宇宙の相転移に必要な核」になっていて、場合によっては「破壊」や「変数」のように秩序の均衡を乱す特異点ともなり得るような存在、本当にヨミの言う通り「彼女を出現させてしまったこと」が本編地球に裂空災変をもたらしたのかも知れないし、ひょっとしたら「ワンダラー」も今スト「陰陽」に該当する何か「深空エネルギー」の不調和や混沌が外在化された「悪鬼」と同じような根源なのかも分からない。ただ、実は彼女は「災厄そのもの」ではなくあくまで「転換の核」であるというだけ、災厄の波及要因は常にその特異性を正しく受け止める知恵や文明を持てなかった「人間たち」の側にあり、神の定めた有限を物理的永遠に変えるため、あるいは自分たちのもたらした秩序の歪みを正すため、まるで彼女を救済の供犠であるかのように意義付けながら最終的には「犠牲の器」として利用する、どの世界の物語においても必ずこれが「悲劇の始まり」になっている。
ある人は「犠牲」を用いない救済を求めて代用できる「核」を探しに時空を超えるかも知れないし、またある人はそれでも秩序と法則の中で民が正しい知恵と文明を持つ成熟した土壌を築こうと奮闘するのかも知れない。彼女に与えられた天命に火をつけて書き換えようとする人もいれば、あるいはそれを打ち砕くため敢えて同じ天命を共に背負う人もいるのかも。しかしどんな風に痛みを伴い世界を敵に回しても「愛」が「継承」や「未来」に開かれている限り「それでもふたりが世界を愛することができるかも知れない物語」を想像することができる。
ところがマヒルは「妹の痛みや苦しみは全て兄ちゃんが被る」という確固たる役割意識を第一原理としていつもこの犠牲の器を「丸ごと肩代わりする」「自分が身代わりになる」ことを黙って選択してしまう。これは「犠牲を要求する世界に立ち向かう」のではなく「自分が犠牲者となって世界を引き受ける」という理屈である。
彼は彼女と対を成すように「新生」や「天」の概念で語られることが多いけど、実際担う役割は新たに何かを生むと言うより「転換の核」によって立ち上がった世界を「維持」するための原理、天のモチーフも「天空神」や「天帝」ほど上には寄らず、どちらかと言えば「天を受けて地上に開き人間の歴史が流れる場を保つ」ようなニュアンスで、そんなマヒルが「核」の役割を代行した結果何が起こるのか、世界は迎えるべき転換を迎えないままあらゆる歪みに蓋をされた状態で不自然に延命し、残された妹は世界に背を向けて兄の後を追う以外にできることがなくなってしまう。なぜなら彼女には蓋の開け方が分からない、世界の実態を目の当たりにして絶望することも天命の主体となって苦しみ傷付くことも全て「マヒルの自己犠牲」の内部に回収されているからである。
妹を守りたいという切実な愛が彼女の役割や主体性まで奪ってしまうとき、マヒルは兄として絶対的な保護者でありながら絶対的な簒奪者になる。その愛は「世界の中で生きる力」になるのではなく「世界から退却する力」としてふたりを繋ぐものになり、これって感情としてはきっと互いに互いの存在を除く全てがどうでもよくなるくらい完成されていて美しいのだけれど、こうなると彼女は永遠に無菌状態でありマヒルは常に壊れかけである。
悲しいことにマヒルはかなり本気で「これが正しい兄の役目」だと信じて疑わない。それは彼の「正義」であり「自己定義」なのである。ぶっちゃけわたしは今ストを読み終えても「どうしてマヒルがこう異様なまでに彼女の兄であることに執着しているのか」「その原初がどこにあるのか」はっきりと理解できなかったんやが、戦闘人形のマヒルは「ふたりの魂が同調すること」を「約束」であると語り、さらにそれさえ守れば「次の世界へも一緒に行ける」と確信しているように見えたことからふたりは「兄妹性を持続させること」で転生もしくは世界更新をまたいでも「再会できる」設定だったりするのかも知れない?
物語はこれが「限界」を迎えたことでマヒルは「お前のために人間界の全てを守る」ことを決断し、数え切れないほどの不思議で感動的な「悲しみと喜び」そして「出会いと別れ」がある状態でその場所を維持していたようなのであるいは「それでも世界を愛せた瞬間」というのもどこかにあったのかも知れないが、だからと言って彼は彼の中にある「正しい兄の役目」を自ら降りるつもりはないし、彼女もまた全てをかなぐり捨て兄を追い続けることを諦めてはいない、もちろんそれだけ「次の世界」を思わせる終わり方ではあるのだけど、これは言い換えれば「ふたりが何度でも同じその一点を繰り返すこと」を予感させる終わり方であって、決して「次こそはふたりの愛が世界と和解すること」を期待させる幕ではなかったんじゃないかなってわたしはすごく思う。
むしろマヒルにとって本当の悲劇は「それでもふたりが世界を愛することができるかも知れない物語」の方だったりするのかも知れないよね。だって恐らくそれは「彼女という存在に救済や分節の天命が与えられる以前に人間たちの側が正しく陰陽の失衡を理解し欲望や恐怖に呑まれることなく世界の有限性を受け入れるべきだったのではないか」という一見人の手には負えない宇宙論的難題にふたりで立ち向かわなければならないことを意味しているはずだから。マヒルは世界がどれだけ彼女を傷付けても彼女を世界から隔離してはならないし、彼女がどれだけ苦しんでもそれを肩代わりしてはならない、きっとそれでは「どうすればお前を守ってやれるのか分からない」、けれど「お前はもう守られなきゃならない子どもじゃない」のかも知れない、全てを被る愛と自己犠牲によって彼女を守り抜くことが正義だと疑えない世界より、ずっと正しかったはずの自己定義を疑わなければならなくなる現世マヒルの今立っているそここそが実は彼にとってもっとも非情で冷徹な世界なのかも知れない。怒りよりも冷え、失意よりも摩耗、これがマヒルの物語の痛ましさなのかなってちょっと思った。
幽冥界の主
物語の舞台となる世界は大前提「天地混沌」「人界は恒に昼」「冥域は恒に夜」などと冒頭で語られる読んで字のごとく、平たく言えば生きる者の領分である「人界」と死者の領分である「冥域」が「両界門」なる門を通じて常に繋がれているような状態、人界に朝靄がかかれば冥域が丸ごと「夜に消えていく」ような描写から両界は「時間」により棲み分けが曖昧になるイメージで、恐らくは陽と陰、生と死、昼と夜のように対立する要素が「境界」という媒介項により物理的に結合しているような全体図を想定しているものと思われる。
これは神話で言うなら「宇宙分節」と呼ばれるもっともポピュラーな世界創世の原型で、たとえば「カオス」という無形の空間が原初神の登場により「ウラヌス(天)」と「ガイア(地)」に分節されることが「宇宙秩序の始まり」である古代ギリシャの創造論、あるいは「宇宙卵」と呼ばれる「一」の状態から多元的に分離していく曼荼羅のようなパターンもあれば、もちろん「陰陽」も大きくは「混沌」から分節することで無秩序が「宇宙」として体系化されていく古代神話的変容論理の典型である。つまり今ストはふたりにとっての「創世記」もしくは限りなく「起源世界」に近い時代の位置付けなのではないかなと思うなど。
するとふたりは過去世どこかのタイミングで「同じ瀕死の星」から二柱のエネルギーをそれぞれ「魂」に取り込んだ状態で生まれ変わることになった何か決定的な出来事があったのではないかというわたしの読みは誤りで、彼らは天地創造の中でそれこそ天命として始めから与えられていた何か兄妹神的な権能のような力が現世まで持続しているって理解でいいのかな?
重要なのはこの時点すでに陰陽の均衡は崩れかけ秩序は危うい状況下にあるという点。幽冥界は蓮の花のような見た目をした金色の法器や鎮獄と呼ばれる霊剣を司り悪しき亡魂を討つ兄マヒルと引魂鈴なる幽具を操り魂を制御する妹が「冥主」と並び称されて秩序を保っているが人間界は「無主」であり、さらに幽都には「天地を存続させるために不可欠な支柱」として「山頂には天の陽気が集まり山麓は地の陰気を鎮めている」という「定墟山」がそびえ立つが人間界にはこれと一対をなすようなスポットが見たところ機能していない。
それこそ「陰陽図」を思い浮かべてみても陽の中には陰の点があり陰の中には陽の点があるその表裏の「対称性」が秩序に直結しているのがこの手の構造機能の根幹なわけだけど、今ストにおける世界秩序はそうして自然に保たれているのではなく始めから「両界を行き来することができる冥域の兄妹が維持している人工的な秩序」になっている。この不自然な「非対称」が直接的な原因であるかは分からんが、いつからか陰陽の二気が混ざり合い濁ってしまったことが原因で世界には「悪鬼」と呼ばれる禍つものどもがどこからともなく湧いて出て「新鮮な血肉」を欲し人を喰らうようになったんだと。
本来「鬼」は「幽冥の使い」であり寿命を全うしていないために脆弱で「輪廻台」に上がることができない魂がやがて強健となり転生ができるようになるまでの間「幽都で冥主にお仕えする」その状態を指すようなので、悪鬼も「死者か生者か」と問われれば限りなく「死者」に近い存在なのだろうとは思うけど、冒頭「逃げる男」に襲い掛かる悪鬼が成敗の瞬間に「陰陽混沌とし生死の門なし」「両界は崩れ衆生に帰る場所なし」などと嘆くことからニュアンスとしては気の濁りにより境界が薄れかけ留まるべき冥域に留まれない、夜になれば本能的に人界へ侵入してしまう、するといつの間に門がどこだか分からなくなり帰れない、そんな状況を指して「天地は鬼域と化した」なんて言ってるんじゃないかな? 悪鬼は「一度人の血を味わうと人を食いたい欲を抑えられなくなる」とも語られるんで、恐らく始めは健全な「生」を求めて強健な「魂」を欲しているのだろうがそのうち「生き血」の味を覚えると「新鮮な血肉」の方に振れてしまう、みたいな流れなんじゃないかと。
いわゆる仙侠的な系譜の作品で昔流行った『永遠の桃花三生三世』だとか最近だと『蒼蘭訣』のような中国のドラマでは「仙界」「神仙世界」「妖魔の世界」みたいな冥域的別天地が洞窟や霊山を介して人間界と繋がっている世界観ってたぶん結構あるあるで、そちら側に住まう鬼のような生き物も「神怪」「神仙」「神魔」などと呼称され必ずしも「邪悪なもの」ではなく何か「超常的な存在」として登場しがちだったりするもんね? あんまり詳しくないので適当なこと言うのもなんだけど、たぶん感覚として同じく「故人の霊」と「悪霊」とを明確に区別しながらも截然と切り分けることはせず「地縛霊」が「モノノケ」になり得る妖怪伝承もあれこれ持っている我々日本人は、今ストにおける「鬼」の文字を「万霊」「神霊」「霊媒師」みたく勝手に「霊」と置き換えてしまえば判読性がぐっと高まるのかなって気はする。
蓮池と冥珠
兄妹冥主の関係は序盤からかなり意図的に「陰陽のバランスと連動して綻び始めている」ことが匂わされている。悪鬼と対峙するマヒルは圧倒的な強さや威厳や冷酷さが強調される一方でまるで対比させるかのように彼女にだけは献身的で骨身を惜しまず徹底して甘やかし世話を焼く様子が繰り返し描かれており、彼女もまた「兄さんの傍に居られればいい」「永遠に離れたくない」などと現存在の基盤が「彼の妹であること」に依存しているため一見ふたりは完成された神秘的合一の関係に見えるのだけれど、これは彼女が「自分がいつ幽都にやって来てどのように冥主になったのかその前は誰だったのか」記憶と共に自己認識を喪失しているという背景、さらに唯一思い起こすことができる曖昧な記憶の断片が「どういうわけか悪鬼と同じように人や鬼の魂を食べたくなる自分は怪物なのではないか」不安に駆られ「真相」を問う彼女に「お前はオレの妹」であり「それ以外に何がある」と「関係の定義」だけを答え問いを封じてしまう兄の言葉であることから彼女の「世界を捉える視点」は元より「マヒルによって再編されている」と読める。
マヒルは「魂を喰らいたくなる」彼女がそれをしなくて済むようにと幽都に自らの「霊力」をたたえた「蓮池」なるものを築き、悪鬼を滅すると恐らくはその「魂」から生成されるのだろう「冥珠」と呼ばれる深緑色の球を池の花々に取り込ませ「清浄化」することでなんとなく身体に入れても毒のなさそうな色をした「エネルギー的なもの」に変換、これを与えることで彼女の「食欲を満たす」という代替措置を長らく続けているようである。
とは言いながら、彼女はどの冥珠から抽出された「エネルギー的なもの」よりもマヒルの「魂」あるいは「生命エネルギー」のようなものを「もっといい匂い」だと感じているようで、ふたりはたびたびここで秘密裏に互いの「霊力」を交えているらしい(ゴクリ
こういう描出になっているのはもちろんファンサービスみたいな側面もあるのかも知れないが(ありがとう、前作「エネルギーの結合」が「星系の崩壊」に繋がる物語の世界設定からあるいは今回もこのふたりの「交わり」が「陰陽の混濁」を象徴していると暗に示したくてこうしてより近親的共犯的な親密さが粒立てられてるんじゃないかって気もしてしまったな。自分たちは「天地で最も切り離せないふたり」であり「妹は兄さんに何をしてもいい」「兄ちゃんは全部叶える」「お前だけがオレを解き放てる」「じゃあ永遠にこうしていよう」などと頻りに反芻されるふたりのやり取りも、まるで彼らの関係性こそが解放と閉鎖、保護と支配、慈愛と欲望、救済と拘束のような二項対立を「未分節」のまま幾重にも内包した「混沌」であるとでも言いたげな。
世人は「死」を迎えることで「忘塵川」に架かる「死生橋」を渡り「亡魂」の状態で冥界へとやって来るけども、よっぽど悪事を働いて汚れたそれでない限り万魂は「輪廻台」へ上がり新たな「生」を受け再び人界に戻っていく決まりのようであり、兄妹は「冥珠を確保するために」悪鬼討伐をするのであって決して「人間を救うためではない」ということ、特に彼女にとっては「人界がより良くなること」よりも「兄と離れることなく永遠に共にいられること」の方がずっと大事なのだという独白もめちゃくちゃ印象に残ってる。彼女は「マヒルに与えられた兄とふたりきりの世界」の中で幸せしか知らなかったのである。
ところが最近どうもお腹が減りやすい、昨夜たくさん食べたのにもう空腹を感じる、そんな異変に見舞われて彼女はこれまで封じられてきた疑念や不安に再び駆られ始めてる。マヒルに打ち明けられないのは「恥ずかしいから」であり真意は「妙な矜持のせい」らしいので単に「食いしん坊だと思われたくない」乙女心みたいなもんなのかも分からんが、そうして兄にひとつ秘密を作ることは「兄の視界の外で動き始めること」と同義でもある。
無論マヒルは彼女に黙って水面下であらゆることに手を回しているようで、ある時は幽都最北の深山で制した「特に凶暴な悪鬼」を普段ならすぐに滅して冥珠にしてしまうところ「別の使い道がある」からとわざわざ「生け捕り」にして連れて帰ってきたと言い、冥主に仕える幼子の魂「鬼使」たちがうっかりそいつの「鎖」を解いて襲われかけてしまったために止む無く手を下したが「本当は何に使うつもりだったのか」問われても決して答えない。さらに「彼女は近付くだけで具合が悪くなる」という「定墟山」へはこれまでもマヒルひとりで赴くことがあったと言うが「近頃頻繁に出入りするようになった」とも語られる。
神話的に完成されていたはずの「兄妹が一体である世界」の内部には秘密という影が差し、表層では陰陽の不調和が加速する。長らく維持されてきた秩序の裏に「隠されていた歪み」が露見し始めた序章である。
上古の鬼媒師
そうしたマヒルの動きあれこれにはちょっとした違和感を覚えながらもひとり「定墟山」へ向かう彼を素直に見送った彼女は、清浄な魂そのものとも言える「鬼使」たちの傍に居ることで空腹がさらに刺激されるのを感じ、気を紛らわせるために幽都を離れ「両界門」をくぐり人界のとある集落「烏嶺町」へ立ち寄ってみることに。この町には「鬼媒師」という非凡な職能を持つとある老婆がおり、彼女は以前よりたびたびこの老婆を尋ね「冥主マヒルに関する逸話」をさまざま聞かせてもらってきたらしい。
人でありながら「法力」を持ち「神鬼と通じる者」は皆「鬼媒師」と称されるようであるが、この老婆は「普通の鬼媒師」とは違い「初対面で彼女の正体を言い当てる」ことができたうえ「正体を知っても慌てたり恐れたりしない」、さらにある程度の効力を備えた「絹紐」を組んで町人に配ったり、唱える祝詞が「美しい」などと形容されることから並の鬼媒師よりもうんと法力が高い、もしくは「普通の鬼媒師」の多くがきちんと修行を積んでいないエセ鬼媒師のニュアンスだったのかな? この日は昨夜悪鬼に襲われ命を落としてしまった人たちの「魂送り」をするために「獣の面」を被り空き地で火を焚いて供養の儀式を執り行っていたもよう。
人間界においては何やらその実体を現すことも消すことも自在であるらしい彼女は頃合いを見計らい老婆の前に姿を顕現させると早速「冥主にまつわる新しいお話を聞かせて欲しい」と持ちかけるも「すでに語り尽くしてしまったためこれ以上新たに聞かせる話がない」と老婆、しばらく考え込んだあと「冥主様とは関わりのない話でもよければ」と語り始めたのは「上古の時代に天地の神と通じ天機と命数を読んで人々の災厄を払っていた」という「ある鬼媒師の伝話」なのだけど、その鬼媒師には長年寄り添って生きてきた「同じように強大な霊力を持つ妹」がおり、さらに妹は彼にとって「最愛の人」だった、なんて切り出しから恐らくこれが「兄妹がいつ幽都にやって来てどのように冥主になったのかその前は誰だったのか」彼女が知りたがっていた真相の「答え」になる「原初の世界秩序」の話なのだろうことが伺える。
人界は蒙昧かつ未開でありながら今よりもずっと清らかで「空は青く山もまた青々としていた」と言い、鬼媒師とその妹の力で「人々は幾度もの災を乗り越え大地にはいくつもの部族が生まれた」のだそうだけど、すると兄妹は本来「人間界において」もっとも完全に近い真理を知るものであり、まるで神に遣わされた「主」のような役割を担っていたのだね。
そこまで語ると少し離れた場所から「絹紐」を巡る人間同士の小競り合いが聞こえてきて老婆は騒ぎを収めるべく話を切り上げ人だかりへと戻ってしまうため一旦その先を聞くことはできないのだけども、美しい始まりには破綻が付き物であり「長く寄り添う兄妹にも何かしらの終局があるのだろう」ことを彼女はなんとなく直感していたりする。
そして「絹紐」に縋る人々は表向きこそ「法力」によって悪鬼から守られることを求めているも、争奪に発展し互いに傷付け合い血を流している時点でその動機が「自分さえ助かればいい」利己心や自己保身であることが露わになっており、さらに人界の荒廃は一見すれば悪鬼の横行によってもたらされた災厄であるはずが実際には借金の逆恨みから他人を悪鬼に喰わせようとする非道がいたり賭博や相続争いを発端とした醜い殺し合いが各地で頻発していることから「外から襲う怪異」よりむしろ「人間の内側から」招かれていることが強調されている。
彼らは冥主にも供物や祈りを捧げその庇護にあやかろうとまるで利益神でも崇めるかのごとく兄妹を祀っているようであるが、こちらもその願いとは実に私欲や打算によるものばかり、綺麗だったはずの祭壇も争った血で汚れ、捧げ物を見た彼女が「どれも気に入らない」と感じるのも象徴的である。
ちょっと雑な解釈かも知れないが、この流れだと上古の時代に「人々の災厄を払っていた」鬼媒師とその妹は最終的に「人間の内側からもたらされた災厄」に対処することができなくなり今に至るって言いたいのかなと。
そう考えるとこの後のふたりのやり取りにもとても腑に落ちるものがあって、山から戻ったマヒルは農地を巡る揉み合いからうっかり手元を狂わせて彼女目掛けて鉈鎌を放ってしまった町の男たちを鎌もろともひとひねりに骨を粉砕すると「こうした喧騒は目に毒だから見るのを控えるべき」だと人里離れた町外れの湖岸へ彼女を連れて行き、きらめく水面の光がゆらゆらと反射する湖上の東屋に腰を降ろすと膝に抱いた彼女の髪を編みかんざしを挿しながら「お前は綺麗なものだけを見ていればいい」なんて言い含め、人の心とは殺伐とした環境下でますます醜くくなるものではあるが「太平の世であれ乱世であれ」あらゆる邪念は消えることがなく戦事は「同じように繰り返されるもの」だと改めて教え諭したりするのよね。まず彼は彼女に刃が向くなら悪鬼だけじゃなく「人間も躊躇なく討てるんだな」と思ったし、それらを捉える視点は怒りや失意をとうに通り越し今はすっかり冷めきっているのだろう印象。
彼女はそんなマヒルの言葉をぼんやりと耳にしながら「兄さんはこの世のことを全て見通しながらもまったく気に留めていない」ようだと感じており、自分も同じように「人間界には興味が持てない」ことを自覚しているものの、老婆の語る「空も山も青い」上古の人間界には多少関心があるようで、自分は青い空なんて見たことがない、いつか悪鬼を全滅させられる日が来ればそれらを見ることができるのかと問い尋ねてみたりする。
するとマヒルはこれには強く反応し、真っ青な空、緑の渓流、そして山一面に咲く花を必ずこの先お前に見せてやる、その時が来ればもう冥珠に頼る必要もなくなるし、お前が楽しいと感じることもうんと増えるはずだと繰り返し言い聞かせてくる。もちろん「彼女が冥珠を摂取しなければならない現状」を一時しのぎではなくいずれ根本的に終わらせるつもりであるという決意の表れでもあるのだろうが、恐らく彼はそれ以上に「醜い人間の心」から完全に彼女を隔離したい、かつ失われた上古時代の「青い空」「青い山」こそが彼女の真の居場所になることを切に望んでいるのだろうなと。
こんなやり取りには前作デコヒーレンスにも確かに見覚えがあって、つまり「ふたりで一緒に青い星へ行こう」などと笑顔で指切りをしてくれるマヒルはその時点すでに「自分を犠牲に彼女だけを青い世界へ向かわせること」を心に決めているのである。彼女の主張が「兄さんの居ない世界」など青かろうが赤かろうが「意味がない」であるのに対し、マヒルの中では自分はさて置き「彼女が青い世界に存在できること」が何より「意味のあること」みたいだよね。
ちょっと脱線しちゃうけど、戦闘人形のマヒルが夢の中の青い惑星に満ちている「自分の持つ力と同じ特有の周波数を持ったエネルギー」に親しみや懐かしさを覚えていたのは本当に上古の時代「天地の神と通じていた鬼媒師マヒルの持って生まれた霊力」が長らく星を青々とさせていたからって話だったんかな? と言うか、深空における「青」と「赤」のエネルギーって全部このニュアンスだったりするんだろうか。
思い返せばリモリアというある世界を維持するための「海神の力」が働くときホムラの目は青くなるし、記憶が正しければ「亡霊の街」で唯一「生者」だった狂王セイヤは死者を斬るとき瞳が青く光る描出だったような気がする。九黎の司命の「霊力」も確か青かったよな? めちゃくちゃわたしの感覚ではあるけども、これって半神半人だとか聖性を宿す天の力は青、反対に半妖半人のような魔の血を引く冥の力は赤、みたいな設定だったのかなって。宗教思想的には生が赤く死が青いパターンが多いんであまりピンと来てなかったが、思えば「新生の繭」の前身「X-Heartプロジェクト」のカプセルも「青いチューブで命を注ぎ込む」「赤いチューブで死を吸い出す」なんて言ってたかも知れん。確かに両者の均衡が保たれていれば「永遠の命」になるのかも知れないし、バランスが悪ければ身体から「青いフック」が飛び出したり「死者として死を繰り返す」なんてことも起こりそうっちゃ起こりそうである。
仮に「魂」や「血」が「生命エネルギー」と同義なら「生命エネルギーそのもの」である「Evol」とはその人の魂や血に由来する力ってことになるけども、すると人間の歴史が始まるより太古神代譚の時代に「霊力」もしくは「魔力」と呼ばれる特別な力を持っていた人は魂が転生しているのであればみな現世Evol遺伝子にその痕跡が残ってるって話なのかも知れないね。そのどちらにも心当たりがある彼女のEvol「共鳴」は「霊力」と「魔力」が完璧に均衡した形なのかも知れないし、これを人為的に掛け合わせて「永遠の命」を実現させたいならEVERは被検体を必ずEvolverに絞った方が確実に成功率は上がりそうだけど、うーんそんな話でもないんかな。てか誰かの魂の結晶なのだろう「コア」との接触で「異化」が起こるなら「魂を喰らう」悪鬼はワンダラーよりも「異化者」に近しい出自になるってことか。
人間界の各町村には以前マヒルに命じられた「鬼使」たちが水辺に「霊性を宿す幽都の蓮の種」を蒔いており、咲いた花が「結界」を作ることから悪鬼は集落には侵入することができず普段は山や森をさまよっているのだと言うが、この日はこのまま湖上の東屋でのんびり寝そべる彼女と冥珠集めをすることにしたらしいマヒル、烏嶺町の蓮の花の結界を解いて邪気を誘き寄せるための「法陣」とやらをその場に展開すると、思惑通り次から次へ群がり飛び込んでくる悪鬼たちの急所を蓮の花びらで一突きにしていく。彼女の方はつい衝動のままに斬り伏せて倒し切るまでに身体を汚してしまいがちなのだけど、そんな彼女にマヒルは優美な法器を与え、これまで何百年の歳月を費やして美しい剣技を教えてやって来たのだそう。
ふたりは一晩で四方百里の悪鬼を全て討ち払い、東屋に溢れ返る大量の冥珠を持ち帰り満開となった蓮池で彼女は潤沢な力を存分に吸収し数日は満たされていたのだけど、程なくして再び酷い空腹感に苛まれ、次第にやり過ごすことができなくなり、ついに従者として普段可愛がっているはずの「鬼使」のひとりである「五五」に無意識のうちに噛み付いてしまう、なんてことが起こる。
ちなみに「鬼使」たちはどの子も腰に漢数字の刻まれた石札をぶら下げていて「五五」だけでなく「七九」「二九」なぞ全員がその番号で呼ばれていたりするんやが、今ストにおいては早逝した幼子の魂が次の生を受けるまで「冥界に留まっている間だけの仮名」がそれみたいなんで、ひょっとしたら疏白の連れてきた「十七」もこれと似たニュアンスなのかも分からんね。それこそ霊界に還ってきた神獣が再び人界へ戻り次の主人に名前を付けてもらうまでの仮名的な?
彼女は自分のしでかしてしまったことがにわかには信じ難く、とうとう「飢えた悪鬼になってしまった」のだとうろたえて、きっと自分もいつか兄さんに討たれる日がくるのだろう、その時はどうか優しくして欲しいとまで口にするけれど、これを受けたマヒルは僅かに身体を強張らせながらも一層穏やかな声で「腹が減ることは何もおかしいことじゃない」「成長期の子どもと同じ」だと慰めながらもあしらい、とは言え付近にはもう悪鬼がほとんど残っていないためこれからはもっとあちこちからたくさんの冥珠を探して持ってくるのだと言ってさらにせわしなく幽都を離れるようになってしまったと。
彼女はなるべく霊力を消費しないよう幽都に残り身体を休めておくことを言い付けられるも自分のためにマヒルばかりが奔走するその状況に罪悪感を募らせて、私もできる限り彼のために何かしたい、この奇妙な体質を「治す」方法、あるいはこの空腹感を抑える方法を見付けなければならないと考えるようになる。
山窟の悪鬼
幾分体力を回復させたことで差し当たり「忘塵川」のほとりで亡魂に「忘塵露」を汲んで輪廻台へ送り出すという鬼使たちの仕事を手伝うことにしたらしい彼女、あるとき赤い花嫁衣装をまとった三人の亡魂が目に留まり、聞けば花嫁らの村は水害によって移転することになった際「守護の蓮」を移し損ねていたために結界を失い濃い霧に覆われて村人たちは山窟に棲みついた悪鬼に次々喰われるようになってしまったのだそう。ただし本当に恐ろしいのは悪鬼の暴虐そのものよりむしろそれに順応した人間側の振る舞いで、悪鬼が「若く綺麗な娘」を好んで喰っていることを知った村人たちは身寄りのない貧しい娘を縛り上げ生贄として山窟へ運び込み「この娘を捧げる代わりに他の者には手を出さない」よう取り引きを持ちかけたのだと言い、悪鬼もまた「半月ごとに花嫁を一人差し出せば」とこれに応じたことで、村は弱き者、親のない者、貧しい者を時に暴力でやり込めながらその犠牲の上に保たれていたのである。
とは言え彼女が心底怒りを覚えているのはそうした人間の弱さ醜さよりあくまで悪鬼の狡猾さであり、娘たちは「婚礼」という本来祝福されるべき儀式を装って差し出されるという点、さらに悪鬼は花嫁らの「想い人の姿」や「婚約相手の姿」に化けて洞窟でこれを待ち構え、娘たちの「相手を愛する気持ち」そのものを「裏切り」や「恐怖」に貶めているという点、このあたりを単なる貪食以上の侮辱として受け取っているらしい。
憤った彼女はマヒルの帰りを待たずして「次の儀式の日」に自ら村の花嫁に成り代わり赤い轎に担がれて悪鬼の潜む山窟へひとり乗り込んでしまうけど、その道中も彼女の心模様はとても細かく描写されていて、愛する人と結ばれないなら誰が進んでこんな重苦しい花嫁衣装に封じ込められたがるのか、死んでいった花嫁たちはこんな苦痛と恐怖の中で悪鬼に嫁いだのだ、などと「命を奪われること」以上に「婚礼の意味を歪められること」に強く反発しているのだろうことが伺える。
そうして山窟へ連れて来られた彼女は輿を降りるなり目の前に現れたマヒルを「自分の想い人の姿を借りたその悪鬼」であると認識し、これに騙された哀れな花嫁を演じつつ「こんなに完璧に化けられるとは何か強力な法器でも身に付けているのではないか」とあちこち探りを入れてみるも実はそれこそが「本物のマヒル」であり、どうやら彼は洞穴で鳴りを潜めている悪鬼を「花嫁を奪われた怒り」により誘き出すため彼女と「実際の婚礼の儀式」をまるっと再現しようと考えていたらしいのだけれども、個人的にはこのくだり下手したら全話通していちばんくっきりと立ち上がるように余情を含みながらたっぷり尺を取って細部まで丁寧に描き込まれていたんじゃないかって気がしてる。もしかしたら乙女ゲーとしての見せ場だったってだけなのかも知れないが、ワンチャンふたりの物語に回収される種はこの辺りに蒔かれていたのではないかと思うなど。
マヒルは「幻影」のようなものを用いて仄暗い洞窟に色鮮やかな灯りをともすとふたりが添い遂げること意味する「白首の誓い」なるものの証として彼女にはしっかりと腕を組むよう促して、歩幅を合わせながらゆっくりと中へ進むほど地面に転がる白骨は「一面の彼岸花」へ装いを変えていき、深奧部へ歩き着く頃には幽深だったはずの洞窟が金の鈴や紗幕のあしらわれた「婚儀を催すための殿堂」のような立派な設えに、彼女はこの時点まだ相手が悪鬼だと誤認してるんで「娘を喰らうためになぜこんなに嫁取りの芝居にこだわるのか」首を傾げていたけども、たとえこれらが「悪鬼を誘き出すため」であったとてえらく大掛かりである。
絢爛たる蝋燭の火と花の影の中で彼女に向き直り恭しく一礼すると今度は「天地神明を信じない」「両親も存在しない」ふたりなりの誓いの言葉を立て一歩進み出るマヒル、気を逸らし隙を突こうと「交杯酒はどこにあるのか」問い尋ねる彼女には「それは子どもが生まれた年に醸して婚礼で初めて封を開ける古酒じゃないといけない」「普通の酒でおざなりにしたくない」なんて特別思い入れがあるかのように言うけども、この辺も決して場当たり的な演出などではなく「長く温められた理想の婚礼像」を感じさせるよね。
うーんひょっとしたら物語のモチーフとなったであろう上古神話の中に似たような婚姻譚が含まれているからなのかも分からんが、個人的にはかつて青々としていた人間界において鬼媒師マヒルは神でも両親でもなく互いに誓い合い見届け合うための「婚礼」を最愛の妹と挙げる手筈になっていた、もしくは叶わない口にできない願いとして長らく秘めてきたと読めるかな? いずれにせよ「婚礼の儀式」がふたりにとって何か特別な意味を持っていたのだろうことは匂わされていると感じる。
思惑通り「花嫁を奪われ洞窟を占拠されたこと」に我慢ならなくなった悪鬼がようやく姿を現したことでマヒルは「妖艶な青と紫に燃え上がる幽影」と化した鎮獄によってこれを貫き最終的には「暗く青い火の海」で焼き尽くしてしまうけど、彼女が先陣を切り悪鬼の腕を斬り落とす場面では「切断面から鋭い爪がまた新たに生えてくる」ことに驚き違和感を覚えるかのようなくだり、さらに「その瞬間かすかな青い光が走った気がした」なんて叙述が挟まることから恐らく本来であればそれができないはずの悪鬼に「身体の再生」を与えているエネルギーの色が青、これはどうやらマヒルの持つ力とも、もっと言えばヴァール療養院「エネルギー中枢制御室」で見た「コアエネルギー柱」とも同色である。
さらに悪鬼は今際の刻み「自分はマヒルのせいで定墟山に閉じ込められ数百年の生き地獄を味わうことになった」ものの「もう二度と連れ戻されるような轍は踏まない」などと主張、彼女を指して「自分たちと同じ匂いがする」「お前も人を喰らう怪物」だと捨て台詞を残したりもするため討ち果たした後も彼女の気は晴れず「自分が何者であるか」不安はさらに募り「兄さんは定墟山で何をしてるのか」新たな疑念が芽生えることになってしまうのだけど、何やら「定墟山」とは「上古の大法陣」なるものがそこに築かれているために「天地の陰陽二気を維持することができる」って話みたいなんで、あるいはレイの物語で言う「ウルタマ川」のように「二世界を分節するための措置」が施された場所でありながら、元よりセイヤの「星降の森」みたく「星が餌を喰らうスポット」にもどこか近いものがあるのかなって雰囲気。
法陣には時の流れと災厄の増加に伴って自然に亀裂が生じ、悪鬼は「うっかりそこに踏み入って閉じ込められていたのだろう」と見解するマヒル、もっともそれは少し亀裂が入った程度ですぐに壊れるものではないため慌てて対処しなければならないような深刻な問題でもないのだと言うが、どうやら「法陣から抜け出せたこと」の方に何か「厄介」が潜んでいるようであり、マヒルは悪鬼が住処にしていた「洞穴の様子を見に行く」からとなぜか彼女をその場に残しひとり山窟へと引き返す。
青いトンボ
残された彼女は「悪鬼に嫁がされた花嫁たち」の亡骸を少し離れた平地へ移し丁寧に整えて並べ、やがて訪れた村人たちがそれを埋葬し線香を手向けるのを林の陰から静かに見守っているのだけど、まるでマヒルがその場を去るのを見計らったかのようなタイミングで突風が吹き荒れたかと思うと焚かれていた線香の火や冥銭の匂いはかき消されていき、その不吉さに「悪鬼が戻った」と思い込んだ人々が慌てて逃げ出すのを待って、今度は「軽やかな青い影」が視界をかすめ横切ってくる。
それが「青いトンボ」であると彼女が認識するや否や辺りには「銅鈴の音」が鳴り広がり目の前には以前「烏嶺町」にいたはずのあの鬼媒師の老婆が現れるのだけども、町からここまでの道のりはとても老婆がひとり歩いて辿り着けるような距離ではないと言い、うーんこれって老婆はすでに「生きている人間」ではなく「法力」を使ってこの姿を保ってる、その「法力」が彼女の目には「青いトンボ」に見えているって話だったんかな(悩
老婆は「今朝方この村のある家に呼ばれ娘の魂送りを頼まれて」ここへ来たとは言うけども、少し間を置くと「ここに来るまでにいくつもの無人の町を見た」「混乱した陰陽二気に蝕まれた人間界はとうに崩れかけている」「その惨状を目にしてなお平気でいられるのか」と畳みかけるように問いを重ね、その口ぶりにはどうやら彼女に「蒼生への慈悲を促すような意図」が含まれているあたり、真の目的は彼女の視線を「一人の死」から「世界そのもの」へと向けさせることにあるのだろうことが伺える。
ちょっと勝手な解釈だけど、上古の時代「鬼媒師の最愛の妹」だったかつての彼女には生来「蒼生への慈悲」が溢れていたのかも分からんね。こうして花嫁らの死を悼む姿はもちろん、思い返せば「星を守るために心臓を捧げてしまう女王陛下」も「自分を貶めた人間の身を案じてしまう魔法使いの嬢ちゃん」も「ネアの守護神」も「海神の花嫁」も彼女の魅力っていつも「愛が世界に開かれているところ」にあったような気がする。
今は「人間界に興味が持てない」し「兄さんが居ればそれでいい」から「誰かが蒼生を救う責務を負い陰陽をあるべき場所へ戻せばこの人間界はきっと生まれ変わることができる」なんて老婆の言葉にも「頷くべきか首を横に振るべきか分からない」けれど、それでも「心には奇妙な感覚が湧き上がる」なんて言ってるし、すると「本来の彼女なら」迷わず頷いてしまうのだろうことを分かっていたからこそマヒルは「彼女の目が世界へ向かないように」愛を閉ざし選択を塞いでいくしか講じる策がなかったのかも知れないね。
彼女は答えようのない「人助け」の話をそれ以上聞いていられなくなって「前回途中で終わってしまった上古の鬼媒師の物語の続きを聞かせて欲しい」と話題を変えてみるけれど、結局この物語もまた彼女に何か言いたげな「人助け」の話になっていて、鬼媒師と妹が災厄を払い空も山も青かったその平穏は僅か数年しか持たず、天地は一夜にして崩れ野山は焼け川は枯れ、やがて住処を失い飢えに追い詰められた人々が悪へ堕ち殺し合いその肉を喰らったことで「悪鬼」は生まれるに至り、鬼媒師は強大な霊力によってのみ扱うことができる天へ通ずる至宝「天諭鼓」を打ち鳴らし「虞淵」なる地へ赴いて最終的には「その命と引き換えに人間界を救った」ものと収斂、虞淵の地には「彼を祀る陵墓が築かれた」と聞いて彼女が「そんな墓所がこの大きな犠牲のどう慰めになるのか」問えば「ではあなたは何のためであれば全てを捧げてもよいと思えるか」再び同じことを尋ね返してくる老婆(しつこい
とは言えこれも深空が一貫して訴えている個人的にはいちばん苦慮するところでさ、つまり世界の小さな不均衡は実は「人為」でなく地質・気象・宇宙規模で起こる「自然発生」的な天災から始まってるって話なんだよね。どうやらこれが本編で言う「生命が誕生するよりもはるか昔」に「創造主」とやらが敷いた「熱的死と消滅の法則」ってやつらしい。でもだからって人間は単なる被害者にはならなくて、苦境の中で醜くくなり、他者を食い物にし、人心の荒廃が必ず後から災厄を増幅させていくと。
正直わたしにはここで「有限性は受け入れるべきもの」であり「死は継承点」であると断言してくれるセイヤの物語や「正しい知恵と文明」によって有限が永遠になり得ると諭してくれるレイの物語が個人的に物凄く「刺さる」一方で「手に負えないものの力」があまりに受け入れ難く莫大なリモリアの物語や今回マヒルの物語がただただ「難しい」という感想になってしまうのだけれども(アホ、少なくとも彼女を「犠牲の器」としてしか扱えなくなった時点で人間たちの側はすでに何かを決定的に取りこぼしているはずであり、世界が彼女に救済や分節の天命を担わせざるを得なった段階で恐らく「世界の問題は愛だけでは解けない」状態になっている、その天命が自然な均衡回復ではなく「文明の失敗が呼び寄せた最終手段」のように立ち上がるものだから、もしかして「彼女の特異性が明るみになる=積み重ねられた不全がどこまで深まったかを示す臨界点」みたいなことなのか? とも今回ちょっと思っちゃったのよね。
たとえばレイの操る「金蝕鳥」もまたある世界の命そのものであるかのように終焉と共に金色の粒となって消え宇宙のどこかで再び息吹くという、まるで「循環する宇宙エネルギーの化身」みたいにも見えたけど、もしこれが可視化された「熱的死と消滅の法則」の一部なら、彼女も「破壊や消滅を起こすための存在」なんじゃなく「その循環がたまたま彼女という形で目に見えている」というだけの、いわば深空における「エネルギー法則そのものの発現」なんじゃないかっていう(意味不
マヒルが戻ると老婆は「幻覚」のように姿を消してしまうため彼はその目で実在を確かめて結論しているわけではないんやが、彼女の話すその特徴を一通り聞いて二つ返事に「悪鬼より厄介な存在ではない」はずだし「幽都に戻ったら素性を探ればいい」くらいのめちゃくちゃ軽い反応なのもちょっと気になる。ある程度の事情は察しつつ深入りさせたくないから敢えて受け流しているようなニュアンスなのか、本当に警戒するような存在ではないって判断なのか、ぶっちゃけわたしにはこの老婆が本物の「神鬼と通じる者」に見えてるし「彼女を犠牲に自分たちは助かりたい」なんて利己心からではなく「天地の導き」なのか「蒼生への慈悲」からか心を痛めながらも「真相を伝え選択を与えようとしてる人」みたいな印象ではある。でもだからこそ主張としては「悪しき者が増幅する前に変数の方を排除しよう」と促す人知れぬ沫雪のあの老人と同じ「人間の醜さや愚かさ」の方には働かない立ち位置なのだろうな、とも思う。
虞淵
翌日マヒルと深山を離れ川沿いを歩く道すがら「どこか行きたい場所はあるか」問われた彼女はふと思い立ち「虞淵へ行ってみたい」と申し出る。そこはマヒルが言うには西の果てにある古くは「日の沈む地」で、幽都を流れる「忘塵川」の源流にあたる場所、さらに「定墟山」同様天地の陰陽が交わるポイントでもあったのだそう。
それこそ南中国から東南アジア系の射日伝承群における「虞淵」からきてるなら実は「太陽の沈むその西の地」こそが「魂の帰還する終わりの地」だったりするんじゃないかとも思うんやが、するともしかして今ストにおける「陰陽」も同じ伝承群の太陽運行の概念を根拠に「天を巡り虞淵へ辿り着いた魂」をそこで鎮めるのが彼女の霊力の本来で、反対にマヒルの霊力とは同じ宇宙観で言う「扶桑」に該当するどこか「太陽の昇る東の地」において「川の源流から流れ着く魂」の再生や再誕を促すようなイメージだったのかも知れない? ちなみにこの「扶桑」って本当なら「木」だけども、今ストにおいてはあるいはこちらが「定墟山」になってるのかも分からんね。つまり陽気は東で山を昇り天を巡って西で地に沈み、陰気は源流から流れ出て再び東で昇る、天地の二気は確かに東西二箇所で交わるけれど絶えず流れているから濁らない、上古の秩序とは陰陽の「完全分離」ではなく始めは「循環」によって成立していた、みたいな? (てきとう
虞淵は今では人間界とも幽冥界とも隔たれた「悪鬼の町」と化し、中に住む悪鬼たちはすっかり「年寄り」で誰も冥珠を持っていない、虞淵を出ることもできず人を喰うこともできないのだそうだけど、それって彼らはもはや「魂を持ってない」ってことになるのかな? きっと飢えに喘いだ人間の殺戮と共喰いによって生まれた「最初の悪鬼」とやらがここの住人たちなのだろうけど、そう聞くと虞淵とはセイヤの物語で言う「灰城」にも近いものがあるような気がする。灰城も王妃が金色の大樹となってそこに居た「何らかの循環システムの中核」のような場所に「辿り着くことができなくなった空間」と言えばそうだし、仮に陰陽の均衡がかつては「循環」だったなら今は「虞淵で滞っている」とも言えそうな。
ふたりが悪鬼の邪気を装って虞淵へと踏み入るとそこに広がっていたのは「悪鬼の町」とは思えないほど美しく穏やかな光景で、何の拘束もなく麗らかな日の下を歩き「上古の人間の暮らし」を模した家屋や商店の間を行き交う悪鬼たちは容貌は端正とは言えないまでもみなどこか素朴な顔つき、不浄の気も「今の人間界」の方がよほど濃いのだと言い、もちろん血気盛んではあるがマヒルの牽制にはすぐに大人しくなるなど不思議と憎めない気配が漂っていたりする。
なんか、ここの悪鬼は実は「結晶感染」のように広まって、いやもちろん始めは悪に堕ちた人間がもたらしたのかも知れないが、中には完全に悪に染まり切ったわけでなく何が何だか分からぬままいつの間にそうなっていた人間というのも一定数存在するんじゃないかって気もしてきちゃうな。彼らは上古の虞淵を再現しているわけではなく「本当にここでこんな暮らしをしていたから」もしくは「こんな暮らしをしていた頃がどこかで恋しいから」古代から何百年もこの状態で保たれていたんじゃないかって思えてちょっぴり胸が痛んでしまうんやが…
マヒルは「本当は兄さんも何か目的があってここに来たかったのではないか」とそれとなく水を向けるような彼女の問いに「実はずっと昔ここで落とし物をした」のだと意外にもためらいなく真実を打ち明けて、大した代物ではないが「それがあれば定墟山の法陣をあと千年でも万年でも維持できる」ため出来れば探し出したいと言い、ただし彼女は食糧となる冥珠が手に入らないこの虞淵で「なるべく霊力を節約しなければならない」からとその間は町に留まることを約束、となると、そもそも定墟山の「上古の大法陣」とはかつて鬼媒師マヒルがその失くしたアイテムを用いて築いたものと理解していいのかな?
彼女はこの地に築かれたと聞く「上古の鬼媒師を祀る陵墓」のことが気に掛かり、マヒルを待つ間は風変わりな悪鬼たちにさまざま声を掛けあらゆる話を聞かせてもらいながらひとり町を歩くけど、肝心の鬼媒師陵については尋ねれば誰もみな怯えた様子で口を閉ざし多くを語りたがらないため、唯一得られた証言「北の方にある」という曖昧な情報を頼りに自らの足で赴き所在を確かめてみようと考え至る。
ここもめちゃくちゃ不思議な感じなんだけど、そうして荒れ果てた壮大な陵墓の入り口に辿り着き今にも倒壊しそうなその高殿を見上げていると再びあの「青いトンボ」が現れて、今回はただ彼女を「祀られた鬼媒師の石像」の前まで導くようにして飛んでいくのよね。あの老婆は悪鬼の邪気を装うことができないからこの場所には顕現できなかったのかな? 思えばトンボって幼生期は「水辺で」成虫になると「空で」過ごす生き物だったりするけども、実は川からの遣いでも空からの遣いでもあるこのトンボの方がむしろ老婆を動かしている「天地の導き」だったんだろうか(混乱
石像は半壊状態で顔を判別することこそできないものの、視線を下げるとその指には「蓮の花の片側」をモチーフにした指輪のようなものが彫られているのが目に留まり、さらに「その花から突然一筋の細い光が流れ出し彼女の指に絡み付いてもう半分の蓮の花の形をした指輪に変わる」なんてことが起これば彼女は恐らく「上古時代の記憶の断片」なのだろうマヒルが群衆を前に鬼媒師として厳かに祝詞を唱えている情景や妹のために面を作っている場面を垣間見てしまったりするんやが、この辺も何かめちゃくちゃ言いたげなことぎゅっと詰め込まれてるような感じする。
そもそも「蓮の半片を模したペアリング」だなんて夫婦円満の縁起物にしか見えないし、記憶が正しければイベストの方では彼女は本当にかつて鬼媒師マヒルからまるで彼の霊力が形になったかのようなその指輪を受け取ったことがあったって話だったよね? ふたりは「婚礼の儀式」以上に「マヒルの霊力によって」何かひとつの根からふたつの花が咲く「双頭蓮」に象徴される文字通り「同源体となった」って言いたいのかも知れないし、もっと気になるのがこの少し後にふたりが町でイチャコラしてると周りの悪鬼たちが「あいつら兄妹のくせにあんなに堂々と」なんて彼らの行為を「不道徳」として騒ぎ立て指摘し出したりするの、もしかしたら上古のふたりは立場上誰からも祝福はされなくて、もちろん指導者として誰からも拝礼され畏敬の眼差しを向けられながら、一方で愛は誰の目にも触れないように育むしかなかったのかも知れないな、とも思ったり。
そうして記憶の追体験に朦朧としているところへ駆け付けてきたマヒルが慌てて声を掛け現実に引き戻された彼女が改めて確認してみると石像には「指輪なんて彫られていなかった」って言うんだけど、これも仮に当時のマヒルが彼女との繋がりの証としてそれを身に付けていたのなら「像を建てた側が意図してそれだけを再現しなかった」と取れなくもないよね?
だいぶ強引に読んでいる自覚はあるんやが、個人的には「陰陽を司る彼らが誰からも祝福され公然と愛し合えていたら二気は循環し原初の秩序は維持されていたはずだった」「愛と世界の和解を妨げたのは偏見や差別という人間の内側からもたらされた気の滞りだった」「滞りが濁りを生み手遅れになるところまで進行してしまったから離別という新たな秩序を築かざるを得なくなった」って流れが作品のテーマとしていちばんしっくりくるんだもんな(勝手に
鬼媒師の面
虞淵の悪鬼たちは日が沈むと大通りに繰り出して鳴り物に合わせ歌い踊りながら長い列を作り奇妙な「行進」を始める。彼らもまた「夜がくると」欲や邪念が深くなるのかな? 昼間は人とほとんど変わらない暮らしぶりを楽しんでいるようにさえ見えたけど、日没と共に始まるこの奇祭はよく見れば「人を喰いたい」やり場のない憂さを晴らすかのごとく、一見「神を祀る社祭」の山車行列や神輿渡御を模した何か巡行や儀式を行っているようで、実は互いに手足を削り飛ばされたり内臓を漁り合ったりとただ荒ぶり暴徒化しているようでもある。
彼女が離れた屋根の上からその奇怪な雑踏をどこか興味深そうに眺めていることに気が付いたマヒルは「どこからか持ち帰ってきた良酒」を「魔除けになる」からと言って酒壺から一口椀に注ぎ彼女に飲ませると「兄ちゃんが遊びに連れて行ってやる」のだと言って彼女を夜店へと誘い出し、せっかくなら「兄さんに似合うお土産を」とあれこれ物色する彼女はふと行列の先で一際騒がしく沸き立っている様子の「鮮やかな血色に染まる無数の骨で組み上げられた高台」のようなものに目を引かれるけれど、聞けばどうやらこれも恐らくは男衆が柱や棒を奪い合う「喧嘩祭」みたいなよくある荒っぽいお祭りのイメージなのかな? その狂騒は集団が蹴落とし合いながら台の頂上を目指し最後に「黒と赤の紗幕の中に隠されている特賞」を手にした者が「虞淵の頭領になれる」という何やら目玉イベントのようである。
特賞と言うからにはきっと「兄さんに相応しいもの」であるはずだと彼女がこれに参加したがりふたりは共闘してその景品を手に入れることになるのだけど、うーん正直どうしてこれがこんな風に悪鬼たちに祭り上げられていたのかその経緯が謎なんやが厳重に重ねられた紗幕の中に隠されていたそれはすっかり古びて傷んだ「獣骨の面」であり、どこか懐かしいような感覚に駆られ思わず手に取ると無意識のうちにマヒルの頬へ押し当ててみたりする彼女、するとまるで始めから彼の骨格に合わせて削られたものであるかのように「ぴたりと合わさる」ことから「このお面はあなたのもの」だと直感し「おぼろげな記憶」を懸命に辿ろうとするのだけど、恐らくこれが彼の探していた「ずっと昔の落とし物」であり、きっと鬼媒師が何か力を使うときに用いる法具のひとつなのだよね?
彼女の中で「上古の鬼媒師」と「冥主マヒル」がついに結びつきかけたとき、それらは「あまりに遠い過去」であり「失くしても惜しくはない」のだと思考を遮るかのように静かに声を挟むマヒル、彼女には「オレたちは寄り添って生まれ生死を共にする兄妹」であることだけを覚えていてもらえればそれでいいのだと言い添えて、まるで追憶を閉ざすようにその手で彼女の視界を覆い「忘れよう」などと告げるや否や、彼女は確かに「兄さんと虞淵へ赴きしばらく滞在した」ような気はするも後のことは「何も思い出せない」状態で幽都で目を覚ますことになるのだが、これってマヒルが何かそれ以上思い出させまいとして彼女の意識に力を働かせあやふやにさせたまま速やかに連れ帰ってきたものと理解していいのかな。
ふたりは鬼使たちへのお土産をどっさり抱え嬉々として源流から忘塵川を下り幽都に帰って来たのだとマヒルは言うけども、彼女は何度それを思い起こそうと試みても叶わず、代わりに僅かな「鈍痛」と「霧の中にいるような感覚」がさらに意識を鈍らせようと働いているようにも感じられるらしい。
心に響く歌
そうしてぼんやりと幽都で眠りがちな数日を過ごす間に幽冥界には「死生橋」があわや崩れてしまうほどの亡魂が溢れ返るなど「人間界における天災事変」はどうやら失われた上古世界のそれを思わせるまさに再演局面を迎えようとしているようであり、一方マヒルは彼女がこんこんと寝息を立てている傍らで恐らく再び上古鬼媒師の同じ役を担うべく取り戻した面を用いて何か最後の布石を打ち終えてしまったのだろう、ようやくすっきりと目覚めた彼女には唐突に空を見るよう促して、普段は陰陽が絡み合うように混じる分厚い雲霞に覆われているはずの天が晴れ微かに見て取れる星々から「定墟山の法陣が安定を取り戻した」ことを悟らせる。
彼女はマヒルが法陣の修復を成し遂げたことで世界は危機を免れたのだとすっかり安堵して彼の首に抱き付くもその身体が驚くほど冷え切っていることに気が付いて、もちろん彼女に心配をかけまいと「山が寒かっただけ」だなんて平然を装いながらも暖を求めるように彼女の膝に寝転び腰に腕を回してくるマヒル、彼女は「定墟山は言うほど寒い場所ではない」ことに薄い違和感を覚えるが「天地を支えるほどの大法陣を修復したことで消耗したに違いない」と寒気を和らげるように彼を抱き返し、そんな時こそ「私にも何か手伝わせて欲しい」と訴える。
するとマヒルはそれなら「歌を歌って欲しい」のだと言い出して、ところが彼女の知る歌と言えばすっかり荒廃した人間界で生まれた古謡や弔い歌ばかり、それでもいちばん穏やかなものをと悩み抜いた末に結局「家路を忘れた者は白骨の妖になる」なんぞ村に伝わる不吉なわらべ歌みたいなもんを口ずさんでしまうけど、彼は「どんなに良くない歌でもお前が歌えば良い歌になる」と満たされたように聴き入っている。
わたしはここめちゃくちゃぐっときて泣けてしまったのだけど、そうして長い時間が過ぎた頃マヒルが突然口を開いて「昔お前は心に響く歌をたくさん歌ってた」って言うのよね。彼女が歌うと誰もが足を止め天地の風さえも止んだように静まった、空も山も雨も虹も人間界の万象は全部お前がオレに歌って聞かせてくれたのだと。
ちょっと自分語りになるんやが(やめて、昔まだ小さかったうちの子どもたちがお遊戯発表会で歌ってくれた「にじ」っていう合唱曲があってさ、お庭のシャベルが一日ぬれて、風が吹くとくしゃみがひとつ出る、でもそうやって雲が流れるとお空にはいつの間に虹が架かって、きっと明日はいい天気だねっていう、これがなんでか分からないんだけどわたし聴くたび大号泣してしまうんよ←
決して悲劇や感動を歌っているわけではなくただ「景色」を見たまま言葉にしたような歌詞、なんだけど、たぶんまだ打算や諦めを知らない純粋な子どもたちがそうして優しい方向へ回復していく素朴な世界を一生懸命歌うから「どうかこの無垢さが壊されないように」「こんな世界をいつまでも信じ続けさせてあげたい」みたいな感覚になるんだと思う。
マヒルがどうしても彼女を「青い空」や「青い山」のもとへ行かせたいのもきっと同じような感覚なのだろうなと。彼女が歌うのは「オレのためだけだった」ってのもとても沁みるものがある。彼女の愛は彼を介してやっぱり世界に開かれていたし、マヒルもまた彼女を愛することで素朴で優しい世界をたくさん見てきたんだねって思ったら。涙
そう語りながら程なくして眠入ってしまったらしい彼の頭を撫でていると、その髪に「極めて濃い邪気が染みついた花びら」が一片絡みついているのを見留め不審に思う彼女、人界にも冥域にも「これほど邪気に蝕まれた草花」というものは見たことがないらしく、唯一心当たりがあるとすれば古代から悪鬼の住まう町で芽吹いた「虞淵の植物」であると思い至った途端、なぜか言いようのない胸騒ぎのようなものに襲われてどうにも拭い難くなる。
不穏な気配に引かれるまま彼女は「再び虞淵へ行ってみよう」と思い立つのだけど、本来であれば何やら忘塵川に手を浸すことで感じ取れるはずであるらしい虞淵の気配とやらが「まるで最初からこの世に存在しなかったかのように」忽然と消滅していると言い、一方で幽都に溢れていた亡魂の数は次第に落ち着いていき、さらに人間界も「天災から一息ついた世界が一縷の生きる望みを掴み瀕死の状態から半死半生の常態へと回復している」ように見え「すべてが杞憂だった」と思いたくもなるが、実は「長年修行を共にしてきたこと」により兄妹は互いの全てを霊力によって察知できるようで、これ以降マヒルの心奥からは「ごく僅かな焦燥」が読み取れるようになってしまったと。
石龕の幽光
彼女はついに意を決し、マヒルが虞淵で探していた「落とし物」とは何だったのか、それは虞淵の気配が消えたことと何か関係があるのか、定墟山の法陣の亀裂はどのようにして修復されたのか、あるいは「私に何か危険な事実を隠しているのではないか」さまざまな疑問を一息に問い質すも、まるで昨日食べたものを尋ねられたくらいの軽さで「分かった」「全部教えてやる」などと即答するマヒル、続けざまに「お前がただオレの後ろに隠れているだけの臆病者じゃないことは分かってる」し、幽冥を司る冥主として「知っておくべきこと」もある、これまで隠してきたけれど「今ならちょうどいい頃合いだ」なんてさも「ここからは秘密のない対等な関係になる」とでも言いたげに大仰に語り出すけれど、きっとそれすらも彼女を安心させるための周到な演出なのだろう、恐らくすでに彼だけが犠牲となる段取りは完了しているのだろうと思わせるのがマヒルクオリティである(ないてる
マヒルは「言葉で説明するより見る方が早い」からと彼女を抱え鎮獄で裂いた空間の向こう「定墟山の最深部」へと進入、そこは「極めて深く巨大な洞穴」とも「壮大な地下宮殿」とも思える「天地の最たる陰気が集まる場所」であり、確かにセイヤの物語で言う「星降の森の心臓部」やレイの物語で言う「無限の域の最深部」にも近いものと見える。
よく見れば地の底から天の果てまで広がる山海のごとく見渡す限りを「びっしりと並ぶ無数の石龕」が埋め尽くしているのだが、それぞれの石龕の中には「青い幽光」が灯り、これが山から戻ったマヒルのまとっていたものと同じ「骨を刺すような寒気」を放っているのだと言うが、思い返せば今スト彼女の空腹を和らげるために彼が背中に手を当てて流し込んでくれた「霊力」も、さらに言えば前作デコヒーレンスにて彼が手の平の転送口から注ぎ込む「新生のエネルギー」も、受け取った側の彼女はこれを同じように「冷たい」と感じていたような気がする。
遠目に見れば「幾千万の石龕に収まる青い灯火」のようだったそれらは複数の法陣と符文で形成された結界を抜けた瞬間「幾千万の石牢に閉じ込められた無数の悪鬼たちが青い熱火に焼かれ苦悶する光景」であることが分かり、彼らは怨恨を帯びた絶叫を上げながら惨い「死」を迎えるも「周囲の陰気」によりすぐに蘇り「終わりのない苦痛」を味わい続けているのだと書いてあるけども、マヒルが腕を一振りすれば「火は一段と妖しく燃え上がる」とも言うんで一旦マヒルの霊力がもたらしているものが「死」で地の陰気が与えているものが「再生」と読めるかな? 陰陽二気の「濁り」から生まれた悪鬼は陰気で蘇るっていう構造なのかも知れないし、あるいはマヒルが「死」を担うことになっているこの状態が「不自然」だと言いたいのかも分からんが、個人的にはそれが「魂を清浄化し再誕させる力でもある」と捉えればむしろ「青いチューブで命を注ぎ込む」「赤いチューブで死を吸い出す」と同じ現象に見えなくもないのかな、とも思ったり(強引
マヒルはついに上古の時代「世界の秩序はどのようにして崩壊していったのか」ありのままを自分の言葉で彼女に語り、その崩壊の根源が「ここの大地の陰気が絶えず陽気を損なうことで引き起こされる陰陽の不均衡」であるらしいこと、さらに偶然にもこうして「悪鬼が陰気の蔓延を抑止できる」ことを突き止めて以来たくさんの悪鬼たちをここに封じてきたのだと明かし、虞淵の消失も悪鬼もろとも自分がここに閉じ込めたため、人を喰うしか能のないこいつらが役に立つなら「かろうじて死も無駄にならないだろう」なんて言うんだけど、うーんなんだろう山窟の悪鬼はさて置き虞淵の悪鬼たちはわたしそこまで邪悪には見えなかったからさ、いやもちろん彼は「悪事を働いて人を喰らうのが悪鬼なのか人間なのか区別がつかない」ほど腐敗した世界にもう何も感じられないほど失望しているのだろうけど、なんとなく「彼女を守るためなら教授の実験によって生まれた可哀想な異化者たちを迷わず掃討できる」遠空執艦官を思わせる描写だと感じてしまったな(苦悩
そしてここからはそれこそ執艦官が艦隊統合の記念祝賀会にて「襲撃されるのは遠く離れた場所にある艦艇基地」のはずであり「危険だからお前がここに残れ」だなんて小芝居を打って「そっちは私に任せて欲しい」と聞かない彼女に「止む無く迎撃を任せた」と見せかけて実は「安全な場所へ避難させただけ」だったっていうあのやり口とまるで同じ、定墟山の陰気は今回「虞淵の悪鬼たちだけでは充分に抑止できていない」ため近日「遠くの山谷に隠れている悪鬼たち」を捕らえに行かなければならない、とは言え法陣は修復されたばかりで今は完全でないため「まだ幽都を離れることもできない」のだと困ったように打ち明けて、それなら「私が悪鬼を捕まえてくる」と聞かない彼女に最終的には法器を持たせ「人間界へ送り出す」なんてことをやってのけてしまうわけだけど、この辺りどこまでが真実でどこからが偽装だったんだろう。
虞淵の気配が消え幽都の天が晴れてなおマヒルの心には「ごく僅かな焦燥」が残ってるって話だったんで「虞淵の悪鬼たちだけでは充分でない」ことも「法陣は完全でない」ことも一応真実だったのかな? どちらにしろ人間界へ向かわせた彼女に自分の法器を預けている時点でもはや「捨て身」に見えてるし、個人的には「自分の霊力」もとい「魂」を全て投じて大地の陰気と相殺させるくらい派手なことするんだろうなと勘繰りながら読んでたとこだけど、いざ「遠くの山谷」へ辿り着いた彼女が「瘴気が充満し危険だらけ」だと聞いて来たそこがむしろ「帰りたくなくなる程のどかで美しい場所」であることをいぶかしみながらも悪鬼を探すうち「突としてマヒルの危機を察知する」場面では「身体中の痛みやめまい」と同時に「ポタポタと滴る血」なんてもんを見てるんで、これが「長年修行を共にしてきた兄妹」の感覚や視覚の共有ならマヒルは「悪鬼を相手に苦戦していた」かのようでもあり、すると本当に法陣が未完成だったことが問題で、それを完成させることがあわや閉じ込めた悪鬼たちに反撃され兼ねないもっとも危険な仕事だったって話なんかな。
天諭鼓の戒め
マヒルの生命力そのものでもあるらしい「金色の蓮の花の法器」が手の上で煙となって散り、持ち主の身に何が起こったのか事態を把握した彼女は急いで幽都へ戻るべく「人間界の川はどれも必ず忘塵川に通ずる」と近くの川に飛び込み下流へと向かうさなか「自分が何者であるか」あらゆる記憶の断片が浮かんでは消えていくのだけど、「頭の奥で何らかの束縛が解かれると共に潮流のように記憶が押し寄せてきた」のは法器の散ったタイミングだったんで記憶は「マヒルの力によって封じられていた」ってことでいいのかな?
鬼媒師の最愛の妹だったかつての彼女はどうやら「世界の災厄に魂を蝕まれて」長らく病床に伏していたようであり、マヒルは「彼女の犠牲によって蒼生が救われる」ことを示す「天諭鼓が下した戒め」とやらに「人間界が滅ぶだけならまだしもなぜオレの妹が道連れになるのか」苦悩の末ついに「オレがお前たちを生かす」ことを決断、彼女にはかねてから「同じものを作ってやる」と約束していたらしい揃いの「獣骨の面」を仕上げ、「病気が治ったらこれをつけて昔みたいに踊ったり歌ったり野山を駆け回ったりしよう」などと穏やかに未来を語って聞かせながら、ある月のない夜「兄ちゃんは行くよ」と告げたきり二度と戻ることはなかったと。
天地を揺るがすような災禍のただ中に遥か「虞淵の果て」でマヒルの打ち鳴らす天諭鼓の音は最後の一筋の夜の闇が消えるまで十日十夜に渡って響き続けたと言い、災厄だけでなく「世の全ての悪鬼たち」もまるで音に引き寄せられるようにして次々と彼のもとへ集ったのだそうだけど、少なくとも「虞淵の果て」はこのタイミングで人間界と隔たれた「悪鬼の町」になったってことでいいのかな? 虞淵の「北の方」には恐らく人の手によって建てられた彼の陵墓があるんでこの時点ではまだ含まれていなそうだけど、すると上古の兄妹は元より虞淵北域に住んでいた、彼が救った人間たちも結局はみな悪に堕ち最後は一帯まとめて悪鬼の町と化したって流れ?
彼女はその「虞淵の果て」に「兄さんをひとりぼっちにしておくわけにはいかない」と彼を追うも結界に阻まれて一歩近付くことさえできず、悪鬼しか踏み込めない場所なら「私も悪鬼になればいい」と自ら悪鬼を喰らい、やがて殺戮と共喰いに染まりついに「自分が何者であるか」さえ分からなくなってしまった状態で「それでも兄を探し続けていた」ってことだったんだけど、いやーここが今ストいちばんの衝撃だったかも知れん。本編「異化者」も彼女を模した失敗作だと言われるし自称成功作のショウジも彼女とは似ても似つかないバケモンみたいなもんだからさ、悪鬼に「同じ匂いがする」なんて言われてもまじで気に留めてなかったし、そもそも彼女は「エーテルコアの影響で」もしくは「大地の陰気と共鳴して」世界に奪われるエネルギーを補填するためにお腹が空くのだとわたし始めから決め付けていたよ(なぜ
なんか、こうなると明晰夢チップ注入装置の下りもちょっと見え方変わってきちゃうな。あちらを読んだ当時わたしはぶっちゃけ「何もさせてやらない兄ちゃんが悪いんだ」と思ったし(殴、彼女も彼女で「どこまで悪いことをしたらもっと気を引けるか」試し行動のようにも見えたけど、とても切実で痛ましいこの別世のふたりを見てしまったら「置いて行った兄ちゃんが悪い」だなんて到底思えないし、むしろこっそりチップを埋め込んでしまった現世彼女がただあれこれ自分で自分に弁解していただけで、その「魂」はたとえ悪に染まり自分が何者であるかさえ分からなくなってしまっても「兄さんのところへ行きたい」一心だったのかも知れないな、とも思えてきたりして。
いつの間に「極西の地」を制す「鬼殺しの凶漢」と恐れられていたマヒルはすっかり悪鬼と化した彼女が今まさに「食事」を始めようという場面に遭遇し、引っ掻かれても噛み付かれても構わず「妹」を抱きすくめると「ここの悪鬼は美味しくないから食べちゃだめ」なんてまるで幼児をあやすかのようになだめすかし「もっとおいしいものを食べに連れてってやる」のだと言って、恐らくこれを切っ掛けに幽都の蓮池を築いたのかな? それから数百年という長い時間を費やして彼は彼女に言葉を教え、綺麗な服を着せ、失われてしまった心や感覚を少しずつ取り戻してくれたのだそう。
彼女の口からつたないながらも再び「にいちゃん」を聞いたときマヒルが見せた「まるでこの世でいちばん嬉しいことが起きたような笑顔」を彼女は「なぜ喜んでいるのか分からない」ながらも「ずっと覚えていたい」と確かにそんな気持ちになったのに、こんなに大切なことすら「どうして私は忘れてしまっていたんだろう」って言うの、もう誰のどの位置のどの感情を想像しても泣ける。涙
失くしていた記憶を蘇らせた彼女がようやく幽都に辿り着いたとき、定墟山にはまるで「災厄が去った余韻」であるかのような「青い業火」がただ地底から天の果てまで燃え立っているだけ、雲気の遥か上には「天地を鎮める巨大な法陣」が世界を感情なく淡々と見下ろしているのだというが、これは「完成した法陣」とそのために注がれた「マヒルの霊力」の残り火だけが残されて「大地の陰気」と「陰気によって蘇る悪鬼」が殲滅されたっていう筆致かな?
荒涼たる大地の砂塵に埋もれた「壊れた骨のお面」を拾い上げ胸に抱きながら「太陽と月が交互に昇っては沈む」のを山頂でただ呆然と眺めることしかできなかった放心した彼女のもとへ、これまた「一匹の青いトンボ」が飛んでくると同時に「銅鈴の音」が響いて再びあの老婆がふと姿を現すのだけれど、この老婆は彼女の取り戻した「上古時代の記憶の中」にも何やら同じ声同じ姿で存在していたもよう。
老婆が語るには「世界は天諭鼓の導きに従い彼女がその身を幽冥と化して陰陽両界に分かたれる」はずだった、ところがそれをさせたくなかったマヒルが悪鬼を全て殲滅し、さらに数百年の時をかけ無理に幽冥の界を切り開いたために陰陽は完全には分かたれず災厄は再び繰り返されるようになった、そして今回も同じように対処して彼の成したことは成功したが今度は帰ることができなかった、ってことみたいなんだけど、これが「神の視点」に近い「世界を管理する側」の解釈になるのかな。この言い振りだと「始めから彼女が陰気を全て引き連れて世界を立ち退くべきだった」って主張に聞こえるが。
ぶっちゃけわたしはこれが正しい世界の在り方だとは思わないけどもね。そもそも陰陽思想とは神話においても宇宙論においても二気を「完全に徹底的に二度と交わらないものとして」分離させるような概念ではないし、陽は陰を排除するものでも陰は陽を蝕むものでもなくて、もちろん陰陽は「分かたれなければ」世界秩序を成さないが、それは「二気が関係することを可能にするための分節」なのであって決して「永遠に断絶させるための完全な分離」を指しているわけではない。天地も生死も昼夜も男女も二項は互いに交わり合い呼応し合い巡ることで世界を運行させているってのが陰陽論の本来で、老婆の言う「天地の導き」や「天諭鼓の戒め」もとい深空における「創造主」の託宣は前提が「混ざってはならない二界」であり「その境界を保つためにある存在が犠牲になる」という点でむしろ陰陽の語彙を借りながら概念は真反対の「グノーシス的二元論に基づく分離救済主義」と見える。
仮に「陰陽両界を分かつこと」が始めから唯一の正解だったなら、元より幽冥のない原初の人間界は常に混沌として不安定で無秩序であったはずだよね? ところがこの物語では「兄妹が最初に築いた上古の世界」こそがもっとも青く清らかで、まるでひとつの世界の中で二気が通い合う「陰陽和合」の完成であったかのように描かれる。今ストが単なる「天命に引き裂かれたふたりの悲恋」に留まらず「引き受けるか立ち向かうか」を問うているのだろう根拠は「ふたりが交感し万物を生むかつての世界は空も青く山も川も雨も虹も美しかった」というところに集約されているような気がする。
もちろん彼らが「兄妹」であるという設定はとにかく強調されてるし、むしろ表層倫理としては意図的にそこに禁忌を置いているのだろうこともとてもよく分かる。ふたりは兄妹として生死を共にすることは許されていても男女として結ばれることは許されていなかったって言いたかったのかも知れないし、その境界を越えたために気が濁り世界に歪みが生じたという読みも成立していいとは思う。でも「だから天諭鼓の戒めが正しい」とはたぶんならなくて、じゃあどうして愛の真実と宇宙の秩序は一致しないのか、なぜ道徳が清らかな愛を否定するのかって問いは残ると思うんだよね。まあ、きっといろんな解釈があるけどね(弱気
いずれにせよ「兄さんが私のために留めてくれた世界」は今やかつて彼女がもっとも望んでいなかった「兄さんの居ない世界」でしかなく、誰に何を乞われても救いなど与えたことのない天に押しつけられた運命を「どうして私と兄さんが背負わなければならないのか」と嘆くけど、それでも「兄さんを失うこと以上に受け入れられないことなどない」と考え至る彼女、兄妹が戒めに従い陰陽両界を完全に分かち今度こそこの世界を真に誕生させると約束できるならマヒルを取り戻す術を授けることができる、という老婆の神託を受け入れる。
忘塵露
マヒルの「魂」は彼の気配を残存させたまま幽冥中のあちこちに散らばっていたようで、彼女はそれをひとつひとつ丁寧に拾い集めると何やら老婆の導きによって元の姿へと再編し、まだ弱く脆いそれを蓮池の底に沈め枯れた花や草木と共に徐々に回復させていくというが、これって誰かがそうしなければ彼の魂は霧散して消滅して二度と輪廻台に上がることができなかったってことだったんかな(震
数百年ものあいだ根気強く繰り返し世話をして声を掛け続けついに目を覚ましたマヒルはそこから「わずか半月で自分の法器を鍛え直す」ほど驚異的な速度で力こそ取り戻すも記憶はなかなか戻ることがなく始めは彼女のことさえ分からないのだけど、かつてそうやって長い時間をかけゆっくりと彼女を取り戻してくれた彼に今度は自分が同じことを返してあげられるのを彼女はどこか嬉しく思ってる。
この辺も明晰夢チップが起動して「ニューロンを切除されてしまったマヒル」にどこか通ずるものがあるような。当時そうして記憶を失った彼の「空白のページを書き直すこと」に満足感を覚え始める彼女を見てわたしは「まるで別人のように豹変してしまった」と思ったし「チップに操られてるんじゃないか」くらい言ってた記憶あるけども、今思えば彼女の「魂」にはああして「思い出せなくても大丈夫」「私たちはこれからもずっと一緒」「あなたがそうしてくれたように」と繰り返し語り掛けることが「兄さんに真心を返す」ことであり「満足感」だったその感覚が消えることなく残されていたからだったのかも分からんなと。
ちなみに彼女はそうして彼に思い出話を聞かせる中で、「私たちが虞淵にいた頃あなたが私にひとかめのお酒をくれたことがあった」けど後になってそれが「うんと昔にあなたが私のために醸してくれたもの」だと気が付いた、もしかして「交杯酒のために用意してくれたものだったんじゃないか」なんて勘繰ったりするんだが、これって「冥主マヒルが虞淵で魔除けに飲ませたあの良酒は上古の鬼媒師マヒルの醸した古酒だったと気が付いた」って意味? 交杯酒は「生まれた年に醸して婚礼で初めて封を開ける古酒じゃないと」なんて言ってたが、仮に鬼媒師の陵墓に副葬品として納められ高殿が長らく酒蔵として機能していたとして少なくとも悪鬼と化した彼女を冥主に導くまでに数百年、醸造酒って未開封で一体何年持つんだろう(だまれよ
やがてマヒルの魂が強健となりついに人間界へ戻れるにまで回復されたとき、これから兄妹が果たさなければならない「約束」について明かされたマヒルは「自嘲」とも「皮肉」ともつかない声と表情でそれを拒み「オレはもうお前の兄ちゃんじゃいられないのか」問うけれど、たとえ永遠に分かたれたとて「永遠に私の兄さん」だと毅然と答える彼女はとうにこれを受け入れ相応の決断を下しているものと悟り、であれば幽冥を去る前に「忘塵露」を飲み干し前世の記憶を洗い流さなければならない立場の自分と同じく幽冥に残る彼女にも「忘塵露を飲んでオレを忘れて欲しい」「記憶に縛られることなく自由でいて欲しい」と訴えるマヒル、ふたりはまるで離別の儀式であるかのように互いの腕を交差させながら同時に「忘塵露」を飲み干したように見えたけど、そうして「死生橋」をそれぞれ反対方向へ背を向けて渡り終えた後もふたりが「記憶を洗い流した」ようには見えなかったんで、あるいは「飲んでいなかった」もしくは「別の何かを飲んでいた」のかも分からんね。
ちょっと余談になっちゃうがわたし「交杯酒」ってよく知らなくて(恥、山窟の悪鬼のくだり読んでて思わず「婚礼 交杯酒」ってググってみたんだけども、ふたりが最後に「忘塵露」を飲んだこの同じ格好で「新郎新婦が紅白の杯を酌み交わす儀式」のことを中国では「交杯酒」って言うんだね。それでこういう描出になっているってことは、なんとなくだけど「魂に忘塵露を汲んで輪廻台へ送り出す」側の彼女の方が「普通の酒でおざなりにしたくない」なんて言ってた彼のためにたとえば「マヒルの魂が再び目を覚ました日」とかに醸したお酒を代わりに汲んで、ずっと保留になってたふたりの「婚礼の儀式」を最後に完成させ、一緒に忘れようと申し出たマヒルに「私は忘れない」「あなたも忘れないで」って伝えたかったのかな? って思ったり。
ただわたしがどうしても気になってしまうのがエピローグでさ、それから長い歳月が過ぎ「人間界の川と通じなくなったことで干上がった忘塵川」のほとりで次々に入れ替わる鬼使たちと賑わい「亡魂」には「見違えるほど美しく穏やかになった人間界」の話を聞いて「冥主」を全うしながらも彼女は毎日蓮池で思い出にまどろみうわごとのように「兄さん」と寝言を溢しながら「転生する全ての命」に「マヒルへの想いを託して送る」、そして人間界で天寿を全うしたのだろうマヒルもまた後世の人々が自分たち人間界の主を彼女だと思い込み彼女のために祠堂を築くほどありとあらゆる場所に彼女の痕跡を残してる、そういう彼の強い想いがあるとき「雨」となって幽冥に降り注ぎ、その雨水がいつか再び人間界の川と忘塵川を繋いで彼女はもう一度彼と同じ世界へ辿り着くことができるかも知れない、ようやく両世界が再び通じ得る条件が整い「次の世界」もまたふたりの交感が万物を生む「陰陽和合」に始まるのかも知れない、みたいな結末ではあるのだけど、ふたりはほとんど祈りのように兄妹性を保持し続けていて「因果のしがらみ」からは決して断たれてない、と言うか、むしろやっと降りられるのかも知れない天命のようなものが「再会の条件」になっているようにさえ見えて、彼らは改めて「立ち向かう」どころかまだ「引き受けたまま」また同じ場所から同じことを始めることになるんじゃないかって気がしてならないのだよ。
このふたりの再会先が「ガイア研究センター」もしくは「避難所」なら彼が「兄ちゃん」たらしめられ彼女を「青い惑星」に残し上へ上へと行ってしまうのも確かに腑に落ちるものがあるけども、願わくばマヒルはもう全てを被ることで愛を証明しなくていい、壊れかけながら世界を引き受けなくていい、それは決して「兄ちゃんでなくなること」ではないのだと気が付いて、今度こそふたりが「世界の中で」ちゃんと息をして笑える幸福に辿り着いて欲しい、そんな気持ち(切実
ところでまた世界の深層が大量実装されたのね←
連休中に読み進めたかったけどなんやかんやで未読放置です。えーん亀プレイごめんなさい。めちゃくちゃ低浮上ですが決して「飽きた」とか「引退」とかではなく、これからも時間を見付けて細く長く続けていけたらいいなと思ってます。本編次章始まるまでには絶対読む。がんばる。(しらん