空に堕ちる
空に堕ちる

恋と深空を宗教思想史オタクがのんびり考察しています。

ネタバレを多分に含むうえ、新しく開放されたストを読むたびに考えが変わるため我ながらお門違いなこともたくさん綴ってあるのですが、プレイ記録も兼ねているため敢えてそういうものも全て残したまま書き進めております(土下座

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忘却の海

こちらはあの美し過ぎるホムラくんのイベント海風の残響でゲットした神殿の思念育成で読むことができる伝説ストになります。
いやぁ1ヶ月以上かかっちまったよ…(倒

読み終えて率直に、たとえば綴られた言葉そのままの意味で教典や聖典を未信者が理解しようとしても何ひとつ咀嚼できないのと同じように、深空におけるリモリア周辺の解説は己も海神信者となって解釈しなければ読み解けないのだと感じました。

すると難解だった「海神の心」や彼らの言う「心臓」が一体何を意味する言葉だったのかようやく薄ぼんやりと見えてきた気がするし、海神の書に記されている予言もわたしたちの言葉に翻訳するとそこには一貫して「人間が信仰心を忘れ去ってしまうことで海は枯れ星は緩やかに破滅の道を辿る」と書かれていました(書かれていません

いやぶっちゃけると「海神は必ずや惨い結末を迎える恋をしなさい」って書かれてるとしか思えなかったし、じゃあ今ホムラが模索してるのはきっと「彼女も星も守る」ってセイヤと同じ「彼女も海も守る」方法なのだろうなって感じたんやが、たとえばその方法が海の恩恵を受けて生きているわたしたち全員が改めて海の偉大さを思い出すことだったらステキだな、っていう妄想をしました。

だってこれじゃあまるで人間の原罪をひとり償った神の子イエスが何度も何度も生まれては十字架に張り付けられ彼の恋人が何度も何度も彼の腕に杭を打ち本当はこんなことしたくないただ愛する人と幸せに暮らしたいだけなのにと流す血や涙が海なんだよ、ふたりの悲恋がなければ海って存在しないんだよって言われてるようなものだもの。
すると海によって生かされているわたしたち全員が罪人なのだから、わたしたちの力でなんとかできなきゃ嫌です←

以前流星雨を読んで深空は「あわや禁忌に触れるところまで進歩してしまった先進医療や科学技術へのある意味アンチテーゼ」などと語ってしまったことがありましたが、これは発展し過ぎた自然科学により自然を慈しむ心や畏怖の念を捨て自然現象の法則さえ捻じ曲げて自分たちの支配下に置こうとする人間の傲慢さや愚かさに悲憤する自然神の「嘆きの物語」なのかも知れんぞ? (ちがう

神は本来信者を救いたくて大切にしたくてたまらないのだけど神を神たらしめるのは信仰、愛してもらえないと愛せないのだよね。思い出して欲しい忘れて欲しくないのは改めてただのかまちょじゃなかったんだなw

歌島と神使

はっきりと明言されているわけではありませんが、ストに登場する「小さな島」は恐らく金砂の海でアモンが「場所を突き止めた」と話していた「海神の伝説の始まりの地」であり、潜行者ホムラが主人公と訪れたあの砂に埋もれた旧跡「歌島」のかつてなのだと思います。

この島には土着宗教として海神信仰が定着しており、5話においては行商人も町の子どもたちも、たとえば我日本人が「嘘つきはおてんとさまが見てるぞ」ってくらいの意識で八百万の神を信仰してる同程度「海神」を信じている、ように見えました。

島の小高い場所には「神使」を名乗る一見特に信心深い信者たちが神殿を築き修道僧のように暮らしているのだけれど、実態は宝石に目がくらみうっかり信仰心を忘れてしまうほど私欲にまみれており、「海神が純粋で敬虔な信仰を手に入れることはこんなにも難しい」とも語られる。

金砂の海では旧跡から「海神の書」が発掘されますが、4話冒頭この時代のリモリア人は「潮が満ちたとき」に物語や詩、貝殻や真珠、そして「伝説」を瓶に詰め陸地に贈っていたらしいので恐らくそれがこの形跡なんじゃないかと。

海神の生贄

島の神殿は海からの恵みを独占する欲心の象徴であるかのような存在として描かれ、神使たちは見せ掛けのローブをまとい「誰が定めたのかも分からない祈りの言葉」を唱え、さらに「願いを叶えてもらうため」に「海神への生贄」として珍獣や人間を荒れた海に投じ捧げることを習わしとしている。

これは海神との取り決めではなく人間たちが一方的にやっていることであり、金砂の海アモンが海底より島の方を「伝説の始まり」だと断言していたのは本当にこっちから始まったことなんだよってとこを強調したかったのかも知れません。

物語は主人公がまさにこの「生贄」として海に投げ入れられてしまうところからスタートするのだけど、砂漠化したフィロス星の姫が歌島の遺跡に見覚えがあったのは恐らくこの時代この島の神殿に長く捕らえられていた頃の記憶なのだろうし、「何かを繰り返していた」ってのもたとえば来たる人身供犠の準備として「誰が定めたのかも分からない祈りの言葉」を繰り返し唱えさせられていた、とかじゃないかな。

海神ホムラ

この時代のホムラくんは海神であり海底の裂け目の奥にある失われた大陸リモリアの鯨落都で暮らしています。ただし「先代の海神」によって彼は「最後の海神になる」と予言されており、次の「海神祭」までに「もっとも敬虔で純粋な信仰」を手にしなければリモリアはついに光を失い何百世紀もの眠りに就いてしまうとされている、らしい。

個人的には彼がホムラの「原初」であり「嚆矢」なのではないかと感じました。
と言うのも、8話ホムラの回想シーンに出てくる「アモン長老」の話によれば海神とは不死の心を持つために寿命が尽きても「海の奥底で眠りに就くだけ」だと言い、また2話ではリモリア人の少女「アソ」が「私たちの代の海神は朝と夜の変わり目の炎の中で生まれた火を使う能力を持つ人だ」と語ったり、7話ではホムラ本人が溺れかけた主人公に「先代の海神と面会するところだった」なんて声を掛けたりもするんで、ニュアンス的に彼以前の「歴代の海神たちは転生しないしホムラとは別人」なんじゃないかなって。
思い返せば各所において「前世の記憶を持っているのか?」と思えるような発言をするホムラくんが海風の残響イベストでは「初代海神」について「生まれる前のことだから僕もよく知らない」なんて言っていたっけ。

海神ホムラはある夜鯨落都の神殿を抜け出し海面付近にやって来て何やら笛を吹いていたところ、生贄として海に投げ込まれ溺れていた主人公と出くわし「助けて欲しい」と懇願され、どうやら手を握られただけでウロコが逆立ってしまうほど「人間に触られることが苦手」らしい彼は始め流木の上からただ眺めたりいたずらを仕掛けたりして笑っているのだけれど、「リモリア人にキスをしてもらえば水中でも息ができるようになる」なんて言い伝えを思い出し生き延びたい一心で主人公がこれを強行すると突然心変わりして「助けてあげてもいい」「ただし僕の信者になって」と信者として彼女を連れ帰ることを決意します。

これは4話冒頭に出てくる「海神の書」に記された「あなたに見返りを求めることなくキスを捧げる人を見付けなさい」「愛しなさい」の教えに従っているだけなのかも分かりませんが、ホムラはこの出来事を思い返しポッと赤面したりもするんでもしかしたら個人的に何か特別な意味を感じたのか、とは言え本人は「いきなり唇に噛み付いてきた」って認識みたいだしあまりロマンチックなシーンではなかったのかなw

壁龕の火種

鯨落都の神殿のもっとも高い塔の先には「火種」と呼ばれる不思議な炎を収めておくための壁龕が造りつけられていて、これは日光が届かない暗くて寒い深海に太陽の動きと同じ規則で光と暖かさをもたらすいわば彼らのライフラインのひとつでもあり、またリモリア文明の伝承と繁栄の象徴として決して途絶えさせてはならないものでもあるらしい。

恐らく先代の海神が灯したであろうこの時代の火種は次の海神が成人を迎え新しい火を灯すまで時間の経過とともに徐にその力を弱めていくと言い、炎の命を持続させるのに必要な「海神の力」を呼び覚ますために「もっとも敬虔で純粋な信仰」を今ホムラは手に入れる必要がある、というのが2話から4話にて語られるおおよそのあらましなのだけど、神殿に招かれ壁龕の火種を目の当たりにした主人公は「生贄として炎の中に投げ込まれるかも知れない」などと危ぶんで鯨落都を抜け出そうと試みたりする。

一方ホムラは「どうにかしてその心で僕を好きになって」「潮が満ちても引いてもずっと僕のことだけを考え僕のことを信じて」と彼女に「信仰心」を求め、「できないなら助けてあげた命は返してもらうよ」なんて冗談交じりに脅かしたりもするんやが、どうやらここから解放されたがっている様子の主人公を思いやり「海神祭までに敬虔な信者になればその後は自由の身にしてあげる」なんて約束をしてくれます。

2話で「なぜ海神の力に必要な敬虔な信者はリモリア人ではなく人間でないと駄目なのか」とアソの弟「アラ」に尋ねた際「だって人間はこの世界でもっとも欲深くて利己的な生き物だから」「そんな人間が何かのために愛や命さえ捧げることができる心を持てたらこれがいちばん尊い信仰でしょ」なんて言われたときには一瞬「やっぱり命を捧げるのか」とも思ったがどうやら言葉の綾だったみたいで、実際8話でアソは主人公に「儀式が終わったらここで待ち合わせね」なんて言って一緒に遊ぶ予定も立ててるし、少なくともこの時代海神祭で人間から海神に捧げられる「敬虔で純粋な信仰」はリモリア人たちにとっては単純に「信仰告白」とか「洗礼」のような儀式だったんじゃないかって雰囲気ではある。

歌島の海神祭

沈む夕日のように徐に暗くなっていく火種をふたりが寄り添って神殿の最上階から眺めていたある黄昏時、ホムラは主人公に「陸の夕日ってそんなに海と違う?」なんてことを尋ねてきたりする。
実は幼い頃から「リモリアの火種は陸の太陽の真似事に過ぎないのではないか」と感じていたらしい彼はもちろん本物の太陽を見てみたいと思ってはいたのだろうが、それよりもこれは「やっぱり君は陸の方がいい?」「帰りたい?」っていう確認だったんじゃないかな。

「もうすぐ島でも海神のお祭が開催されるから一緒に行ってみないか」という主人公の誘いには「陸に連れて行かせて隙を見て逃げるつもり?」なんてはぐらかしていたホムラだけど、結局ある夜こっそり島に彼女を連れ出して市場でジュースを買ったり人形劇を見たりほんのひと時楽しい時間を過ごさせてやり、出店につられてふらふらといなくなっちゃう彼女にハラハラしたり姿が見えるとホッとしたりしながら、最終的には「もしここに残りたいならそう計らってあげる」「相手の意に背くと契約を結べないって海神の書に書いてあるから」なんて提案をしてくる。

身体を横に向け小石を蹴りながら「君の望みは陸に戻ることなんだろう」と尋ねるホムラの手を取り「私には望みなんてない」と答える主人公。

そうしてふたりは裏山の小道から島のいちばん高い場所へ行き崖から飛び降りて海へ帰るのだけど海面は出会ったあの夜のように荒れていて、あわや溺れ死ぬところだった恐怖がフラッシュバックしてパニックになる主人公を強い力で引き寄せ、両手で顔を持ち上げてそっとキスをするホムラ。
その後の会話から恐らく「彼女が水中で息ができる状態にするため」にしてくれたんだと思うんやが、そうかこれが金砂の海で主人公が夢に見た「海の全てを少女に捧げた海神にとってもっとも幸せな日」だったのかって思ったらむっちゃ泣けてきて。涙

朝焼けの中、ホムラは彼女の手を引いて果てしなく広がる海の上を歩き、かつて彼女が生贄として神使たちに引き取られ逃げることさえ諦めて暮らしていた島の神殿を思い返しながら、幼い頃「最後の海神」としての暮らしに不自由を感じつつ何度も海底の神殿を抜け出していた過去の自分の姿を重ねたりもするんですよね。

きっと彼女に望みがないのは島に自由がなかったからで「本当に自由な場所があると知ればそれを望むはずだ」「自分がそうであるように」ってなことを思い立ち、もちろん自分は海底を出られないけど「どうか君は自由に生きて」って想いから「海神の領土」だと言われる「海風が吹く場所」全てを彼女に捧げたくなってしまったってことなんだな?
そうして彼女が初めて自由を手に入れるとき、朝日が反射してキラキラ光るこのみなもよりもきっともっと輝いているのだろうな、世界でいちばん美しいんだろうな、僕が叶えてあげるからね、なんてことを思ってたであろうその瞬間が「もっとも幸せ」だったって言うんだな? 涙
ホムラくんそれは契約を結ぶためとかじゃなくもうシンプル恋なんよ…(ないてる

契約

それから長い時を共に過ごしついに迎えた海神祭前日、ホムラは「海神の使者」である青い小魚を恐らく「逆鱗」に戻して主人公の首に掛け「これでこの先どんな危険に遭遇しても恐れることはない」なんて言い出すのだけど、この時点で明日が終われば本当に彼女を解放して自由の身にしてやる決意は固まっていたのだろうな。

これは潜行者ホムラも「約束の証」だと言ってほとんど同じことをしていたが、恐らくこうして自分の逆鱗を相手に捧げる行為がリモリア人の言う「契約」なんだよな?

フィロス星では「逆鱗を抜き取れば持ち主の言うことを聞くようになる」なんて人間側には認識されてたが、3話アモン長老がホムラに言ってた「本当に人間と契約を結ぶのか」「お前を意のままに従わせる権力を得体の知れない人間なんかに握らせることになる」って言葉を聞く限り本来相手は人間じゃないのかな、とも思う。
つまり「もっとも敬虔で純粋な信仰」が必要だったから今回ホムラは人間と契約を結んだってだけで、契約自体はリモリア人なら誰でも誰とでも結べるし「海神の力」や「火種」とはまた別の話って理解でいいんだよね?

ちなみにこの直後ホムラは改めて「僕の信者になってくれる?」と彼女に尋ね、その後はあの歌島の旧跡で見た通り「もっとも敬虔で唯一無二の信仰が欲しいならそれ以上に特別なものと交換しなきゃ」「じゃあ心をあげる」と展開するのだけど、ホムラが彼女の手を取り自分の左胸に押し当てるようにして握り締め、抱き寄せ、そうしてふたりが身体を近付けた瞬間「火種の中心が突然目覚めたかのようにぐらりと揺れた」「数回揺らめいた後またふっと暗くなった」って書いてあったんで、ホムラと彼女が想い合う気持ちや行為が火種と連動してるのは間違いないのかなって感じました。

リモリアの海神祭

8話アソによればそれは全てのリモリア人が憧れる「神聖な祭典」であり、とは言え前回の海神祭は何千年も昔「おじいちゃんのおじいちゃんがまだ子どもだった頃」にあったきりらしく、誰に聞いてもよくは知らなくて「火種が消えてもう一度灯るときに新しい海神の書が現れるらしいよ」「だから信者はリモリアの未来について語られた予言を先に知れるらしいよ」って概要的な情報しか得られなかったんやが、実際はクジラのような鳥のような海獣にまたがったホムラが主人公の前に降り立ち、優しく手を取って、群衆に祝福の言葉を掛けられながら花道を歩き神殿に向かうというほぼ結婚式のようなセレモニーでした。

神殿の中には群衆は立ち入れず、ホムラと主人公だけが広間に入ると扉は閉まって、ふたりは壁龕に格納された火種の前で向かい合い、主人公が目を閉じてついに「私の全ての信仰を彼に捧げよう」「魂に彼の印を刻み彼のために歌い祈ろう」と決心すると、なんかよく分からんが恐らくホムラの炎が細い糸のようになって主人公の手の平の掌紋の一部になり、「これは僕から君への約束」「リモリアの永遠の契約」だと言って元の火種を吹き消し終了します。この謎に手相が増えたみたいな契りが「海神との契約」ってことでおけ?←

「もっとも敬虔で純粋な信仰」は無事捧げられたように見えたし、何千年振りのリモリアの海神祭は何事もなく完了したように思えたのだけど、9話ラストで語られる「後日談」によれば直後リモリアは突然闇に包まれ長い時間火種は消えたままだったようで、海が荒れて崖を砕き落石によって聖堂が倒壊したり火種が収められていた壁龕も崩れてしまうが、ホムラがひとり「赤子の鼓動のように小さく脈打つ炎」を握った状態で神殿から出てくるとリモリアには再び光が戻り、「この炎はもっとも純粋な信仰から生まれたものだ」とか、はたまた「海神は信者の犠牲と引き換えにリモリアの存続を得たのだ」とか、虚実混交さまざまな物語が広まったって書いてありました。
そして遠い未来、その海神が亡くなって長い歳月が過ぎた後リモリアは静寂に包まれて、「かつて海神が愛する人のために海を欺いた」なんて伝説が生まれたと。

ここは「一体何が起こったのか誰も知らない」「誰にも分からない」なんて綴られまるっと読み手に委ねられているのだけど、個人的にはホムラが「信者の犠牲と引き換えにリモリアの存続を得た」ようにも「愛する人のために海を欺いた」ようにも見えなかったなぁ。
信者の姿が消えてしまったのはやっぱり彼は最後に彼女を自由の身にしてやったのだろうと感じたし、実は最後の朝リモリアには「島の神殿が焼き払われたらしい」「最年長の神使は病に伏し命を落としたらしい」という噂話が流れてるのだけどこれも彼女の自由を脅やかすものを誰かさんが排除しちゃったんだろうなんて思ってしまったよ。

ちなみに「長い歳月が過ぎた後リモリアは静寂に包まれた」という出来事は「あのリモリアの事件」を示しているの?
「かつて海神が愛する人のために海を欺いたという伝説が生まれた」のはどのタイミングなのだろう。

最後の海神

そもそもホムラはどうして「最後の海神」だと予言されていたのか、これは火種が消え壁龕も崩れリモリアが闇に包まれてのちホムラが炎を手に神殿を出て再び辺りが光を取り戻すシーンから、この「朝と夜の変わり目の炎の中で生まれた火を使う能力を持つ海神」こそが「リモリアの火種そのもの」になるから「彼がいる限りもう大丈夫」って意味での「最後の海神」だったのかなって感じました。

アソが「私達の代の海神は」って言うから「じゃあそれ以前の海神は炎の能力ちゃうかったんや」とわたしは思っちゃったし、そうだとしてもそうじゃなくてもホムラの「海神の力」はたとえば「おじいちゃんのおじいちゃんが子どもだった頃」から何千年と存続した先代の海神の火種よりもずっと長く光を持続させてるように見えます。
だってさらにうんと未来「海が干上がって3万年」のフィロス時代にようやく「もう持たなそう」っていうくらいそれまでずっと灯り続けているのでしょ?
しかも「もう持たなそう」なのは「火種」だと言いつつまるで「ほとんど黒くなってしまっていた潜行者ホムラのEvol」を指してるみたいだったんで、彼のEvolと海の豊かさって繋がってるんだろうなぁとなんとなく思ってたのだよね。

8話アモン長老の言う通り本当に海神が不死の心を持ち寿命が尽きても魂だけは「海の奥底で眠り続けることができる」ものなのだとしたら、たとえば彼が没後もそこで眠り続ける限りリモリアには光が灯り続ける、みたいなことだったのかも?

もちろん「そんな暗くて寒いところにずっとひとりでいるのは嫌だ」というホムラにとってそれは本意ではないだろうけどね。
思えば夜遊びの章「浅瀬で座礁した少年の話」の中で打ち明けてくれた「少女に忘れ去られたことで深海が彼の牢獄となった」っていうのも同じ想いを表現する言葉だったのかも知れないな。
秘話海月の儀式が怖いのもそのためなのかな。

海神の心

金砂の海では後世のリモリア人たちが恐らく最後の海神が少女に渡してしまったであろう「心」を「返してもらわなければならないもの」として主人公の「心臓」をえぐり出そうとしていたためこれが「姫として神様から与えられた純真無垢な心」とイコールでありつまり「エーテルコア」なのでは? なんて見解してしまったんですが、その理屈で言えばこちらのストに登場する海神ホムラが「渡した本人」であるはずなのに生贄の主人公は彼と出会う前からすでに「生命体として生まれている」であろう出生なんですよね。

海神の心は「永遠に眠り続けることができる」もの、エーテルコアは記憶をリセットし「新たに生まれることができる」もの、今思えば根本的に性質は異なりますが同じ「永続性」を持っているうえ、恐らく「僕の愛を受け取って」的な意味合いで紡がれた言葉でしかないはずの「心をあげる」なる発言も相俟って完全に混同してしまっていましたが、改めて別物だと感じました。

と言うか、そもそも新たな生命として生まれ変わるのは物質的な概念を持つ人間だけで神はたとえ寿命を迎えようとも唯一無二であり永世なのではないかな。
つまりこれはかつて神として炎の中から生まれたはずのホムラくんがどうして今一般リモリア人として転生を繰り返すようになったのか、「なぜ海神じゃなくなったのか」を描いたストーリーなのだと思う。
そう考えると金砂の海で潜行者ホムラを「海神」と呼びながら一方で「海神ではない」なんて忠告していたアモンの矛盾にも説明がつくような?

もちろん潜行者ホムラは「海神自らの手で最愛の人を殺し失ったものを取り戻さなければならない」「でなければこのまま海は枯渇する」という伝説に基づいてそれを実行しようとしていたし、またこれが記された石板は歌島の旧跡から掘り当てられ「海神と契約を結んだ者だけが会話できる」らしいもので、恐らくかつて海神ホムラが掌紋として何かを埋め込んだ彼女の「手の平」を切って出した鮮血を注ぎ文字を光らせて読んでいるため本当に「海神祭で新たな火種と共に現れた本物」なのでしょう。

ぶっちゃけそれなら島の神殿が焼き払われてしまった後に出現した石板ってことになりそうなこれが歌島にあったってのも不思議な話なんだけど、いったん置いといて←

「海神の心」と「主人公の心臓」はイコールではない、だけど海神の心を完璧なものにするためには主人公の心臓が必要、これがどうしてなのかおおよそ説明されていそうなのが今回のスト8話冒頭で描かれる「海神祭の前日に見た主人公の夢」の最後の一行なのだと思います。

夢はまさに金砂の海ラスト「もし本当にこの心臓をえぐり出してくれる神様なら連れて行って欲しい」と懇願する主人公に「一緒に鯨落都を探しに行こう」「海が見たいと言っていたでしょ」とホムラが応えてくれた後、「あそこが鯨落都だよ」と砂丘を指差すホムラに「そこから海が見えるの?」と駆け寄った主人公が、ついにナイフで彼に胸を切り開かれ、心臓が取り出され、白い手の中で炎の養分となり、炎の中心には恐らくエーテルコアなのだと思われる水晶が不思議な光を放ち、どこからか「私達が砂漠を出たのはオアシスを探すためではない」「心を取り戻し我らの信仰とするためだ」という吟唱が聞こえてくる、というもの。

いやぁ「この後ふたりの楽しい旅ができるだけ長く続きますように」なんて言ってた自分をぶん殴りたいですね。潜行者ホムラも彼女に逆鱗を渡してるのだから最終的には意に従うのだよな…(落
てか主人公ちゃん過去だけじゃなくいよいよがっつり未来の自分の夢も見てるんだレイ先生と一緒なんだ?

すいません話逸れました。
「心を取り戻し我らの信仰とするため」っていうのはきっと心には「信仰」を通して見える神という概念があり、これが神が神でいられる理由のようなものになっていて、リモリア人たちはそういう概念や意味内容を総称して「海神の心」って呼んでるんじゃないかと個人的には感じたのだよね。
要は「人間に信仰されてる海神」を指す言葉が「海神の心」、「人間が海神への信仰を忘れてしまうこと」を指す言葉が「海神の心を渡してしまうこと」、「失った信仰を取り戻すこと」を指す言葉が「海神の心を完璧なものにすること」、みたく言い換えられるんじゃないかなって。

信仰と心臓

そして海神の書にはたとえば信仰を捧げてもらうことが「心臓をえぐり出す」ことであるかのように記されている「0065号石板残篇」という石板があり、今ストでは8話冒頭「セイレーンの歌第3幕」にも信仰が「心臓に刻まれる」ことを示すかのような歌詞が含まれています。つまり信仰は文字通り本当に「心臓」に宿るものなのだと思うの。

そして敢えて「リモリア人が」って記されているのもそれをえぐり出さない限り海神は「真の力」を得られず「リモリア人」に留まり「海神にさえなれない」って言われてるようでもある。

でもわたし、そうして「信仰」と「愛」を与え合ったふたりが心臓をえぐりえぐられ合うのが「しきたり」で実はそんな悲恋のうえに海の恵みや豊かさが成り立って来た、だなんて絶対に思いたくないんだよね(しらん

なのでこういうのはどうですか?←
たとえば島に「見せ掛けのローブ」や「誰が定めたのかも分からない祈り」なんかで敬虔ぶって裏では神を神とも思わないような「神使」を名乗るものが幅を効かせるようになると火種には「敬虔で純粋な信仰が宿った心臓」が必要になってしまうのだけど、そんなものを探し回る必要がまるでないくらい陸に住む人間たち全員から常に敬愛され、畏怖され、そういう混じりっけない信仰心をたくさん浴びていれば海神の心は常に完璧なの。

そして海神祭は本当にただの「結婚式」で、成人を迎えた海神がたったひとりの信者を選んで4話冒頭「愛し合いなさい」の教えに従いプロポーズに逆鱗を渡してキスをする。そしたら「海神の力」は目覚めて火種はまた明るくなる。うんそれがいい。そうしよう。

信仰心はなぜ薄れるのか

それは科学が発展するからです(なんの話

神様の起源、遥か古来よりその地に住まう土着神、自然を人格化したような海や山の神というのは、自然科学の知識が乏しい未開時代の人間たちがたとえばなんで海は荒れ人は流されて死ぬのか、不漁が続き飢えて死ぬのか、津波に襲われ島もろとも飲まれて死ぬのか、ひたすら自然の脅威にさらされて死ぬのが「一体なんでなのか分からな過ぎた」んで「海がお怒りなんだ」と結論したことによって誕生したものです。

分からない時代は当然神が怖いし優しくされたいし神がいないと生きていけないしそんな神に対して「敬虔で純粋な信仰心」を持つことは至極当然のことであり疑う人はいませんでした。
今スト終盤ホムラが握っていた炎は「赤子」の鼓動のように脈動していましたが、信仰心はまさに何もできない赤ちゃんがお父さんやお母さんに抱く想いと同じです。

とは言え原始的な暮らしをしていた陸にもいつかは文明が広りやがて人間は知識も技術も得て自然現象そのものの法則さえ発見しかつてその心を捧げ恵みや赦しを乞うていたはずの土着神が偉大な力で統治していた広大な海や山を自分たちの支配下に置き工学やら農学やら医学やらに利用して立場を逆転させていきます。

分からないもの怖いものから救われることをあれだけ神に求めていたのにもう分かって怖くなくなった途端救いなんか要らないと神を捨てることができる人間は本当に薄情で利己的な生き物だと思うし、むしろ神をも支配して世界を掌握できるとさえ思い込んでしまう人間は本当に傲慢で愚かだなと思います。

宗教離れ、自然破壊、資源枯渇、倫理、モラル…
恋と深空は現代における深刻な社会問題や環境問題についてイケメンたちが次と議題を投じてくる非常に考えさせられる乙女ゲームなのである(ちがう