『プロファイル』Vol.13
マヒルを主軸とした物語における主要テーマをようやく理解しました(おそい
問われているのはいわゆる「おじいさんの古い斧」ってやつだな? 要は「本来の部分がほとんど残っていないもの」が本当にまだ「同じもの」だと言えるのか否かという。
学生時代「簡単に単位が取れそうだ」との目論見で「哲学入門」のような一般科目を履修していたことのある人なら恐らくみな知っている(やめとけ、「テセウスの船」のパラドックス思考実験ですね。
かつて「汐行島」の名で海に浮く環礁州島だったそれが地磁気と引力の変化により空へ浮かび上がりさらに人の手が加わって「天行市衛星群」となった今それは果たして「同じもの」であると言えるのか。
人間を構成する細胞は代謝により10年ですべて新しいものに置き換わり10年前と今とでは異なる立場で対談が成立するほど思考も好みも生き方も変わっていたりするがわたしたちはなぜこれを「同じ人」だと認識できるのか。
かつて彼女の引く糸によって飛び回ることができるパイロットだった彼がチップや改造を施され「繋がれた凧は永遠に遠い空へは飛べない」と見解する遠空執艦官になった今それでも彼をまだ「同じ人」だと思えるか。
もっと言うなら「いつか塵となり宇宙でもっとも取るに足りない原子になり」再構築され「転生」を繰り返す作品の登場人物たちを「同一人物」であると定義付けられるか否か。
ざっくばらんに要約して並べるならそういう話なんじゃないかな。
汐行島
長らく謎に包まれていた天行市問題が一年の時を経て8割方解消されたような気がするのでまずは覚え書き。
天行市は恐らくもともと臨空市遠海に形成された磁鉄鉱が豊富な巨大な環礁であり、地球磁場の作用によるトルクが島全体を緩やかに自転させる特殊な地質環境だったことから島民の多くが地質学か物理学の研究者やその家族、のちに天行大学となる「汐行工業大学」の下宿生や教員たちだった。
2034年深空トンネルの出現により地磁気や引力が変化したことで汐行島は磁気力によって空に浮かぶ島となり、2036年この浮遊島を高強度のコアエネルギーにより安定させ周囲の人工衛星島と連結し「空中基地」を建設することで人類が生存できる新たな土壌を切り開くというEVERグループ「天行計画」が増進されたことで現在の天行市衛星群が誕生したらしい。すると4部1章天行の遠空艦隊が臨空政府の管轄下にないらしいのはもう「別の星の人同士」みたいな感覚だから、なのか…? (怯
計画発表当初はコアテクノロジーそのものがまだ一般大衆に浸透しておらず応用分野はハンターの装備や武器の製造に限られていたため、ワンダラーやコア介入症がもたらすリスクを主張する「回帰派」と人類の未来に新たな夜明けが訪れたと考える「コア派」とが賛否を対立させる形で世界中に議論を巻き起こしていた。一旦「コアテクノロジーを応用した武器」と「コア爆弾のような武器」は区別されるべきもののテイで読み進めてみるね(しろめ
もちろん最終的にコア派の掲げる理想が社会的に受け入れられ今日の天行市は誕生するわけだが、その決め手のひとつとなったのは2033年初版の「雲」なる中編SF小説がまるで「天行計画」の実現された世界を予言していたかのような物語だと話題になったこと。
今ストはこの「雲」の著者であるベストセラー作家「ヤオ」という女性に「プロファイル」なる密着ドキュメンタリー番組がVol.13への出演を依頼、取材班がヤオの一日に密着ロケをする中で、深空におけるエネルギー文明史が解説されていく。
ヤオ
汐行島に生まれ水辺で育ったヤオは幼い頃から循環的な自然の恵みや島の地質学者たちを身近に感じてきたことで自ずと地球に関する科学に興味を持つようになったのだろう。
18歳で汐行工業大学に入学し資源工学や材料科学などに関連するエネルギー応用を学びつつ、恐らくそうした分野の発展が「有限燃料を間も無く使い果たしてしまう人類に明るい未来をもたらしてくれるに違いない」との想いから「資源が枯渇した将来新たに開発された科学エネルギーにより雲の上で生活するようになった人々」の物語を創作しネット上で発信していたのだろうが、これが注目を浴び出版に至りベストセラーとなったのは彼女が実際そうした科技を専門に学ぶ現役大学生だったためSF小説として完成度が高く現実味を帯びていたからなのだろうと思う。
大学卒業後はエンジニアとして深空宇宙機関に入庁しているが、これもたとえば宇宙光発電のような環境汚染の心配がない「再生可能エネルギーシステムの開発」に携わりたかったからなんじゃないかな?
地球のエネルギー問題に真摯に向き合ってきたヤオにとって、2034年裂空災変の勃発と終息を経て新たなエネルギー源「コア」が発見されたことはこれから人類が直面するであろうさまざまな地球規模の課題解決に寄与する無限の可能性のように感じられたのかも知れない。
2036年当時彼女はEVERのコアテクノロジー開発を支持し、天行計画にはエンジニアチームの一員として参加する傍ら、作家としては科学の普及や人類の文明がどのようにして存続していくかといったテーマを持つSF作品を多く生み出した。
しかし、ついに天行市が設立され計画が完遂するという頃、もともと汐行島に住んでいた市民には全員に天行とその衛星島への居住権が付与されるもヤオはその権利を放棄、二年前に離婚してふたりの子を引き取るとこれを機に宇宙機関も退職し、今は臨空市フィエの半山園にあるスタジオ兼自宅で囲炉裏を囲み草木の匂いを感じながら執筆活動に専念しているという。
普段メディアで取り上げられる「ベストセラー作家ヤオ氏」とは異なるリアルな姿を届けたい番組は生活感のある寛いだシーンを数多く撮影し、密着取材班は「エネルギー産業を牽引する宇宙技術開発の最先端に居たはずの彼女がなぜその象徴たる天行を離れたのか」ごく自然に交わされる会話の中から探ろうとするのだが、これについてヤオは「建物と場所がそのままだとしても子どもの頃住んでいた家が誰かに売られ改装された場合それを自分の家だと思えるか」なんて聞き返す。
かつて彼女の暮らしていた汐行島には四季があり、気候がよく、雨も多く、たくさんの生き物と触れ合えて、春には木々の新芽が、夏には泉の冷たさが、晩秋の落葉の頃には羽ばたく渡り鳥の落とす影が、冬には葦のある野原の夕暮れがとても趣深かったと。一方天行市にはそれがなく、同じ高さまで飛んでこられる鳥はほとんどいないのだそう。
そして彼女は最後にこれまでに回り道をしてきたこと、転んだこと、損をしたこと、失った大事なものすべてが人生の「切符代」であるとの見解を述べ、これからはその切符代の「元を取る」ためまだ見ぬ景色を見に行きたい、広い草原や山奥や砂漠など数年ごとに居住地を変えてみるのもいいかも知れないだなんて思い巡らせる。
人類に明るい未来をもたらすエネルギー革命の先導たる「天行計画」の一端を担ってきたヤオは今、振り返ってみればそれらが「回り道」であり「失った大事なもの」であったと考えているらしい。
公開講座
研究を離れ執筆活動に専念する作家ヤオを「ひとりの学生の視点から見てみたい」という番組ディレクターたっての要望で午後は彼女が登壇する天行大学の公開講座を受講することになり一同は臨空から天行市へと移動するのだが、もしかしたらここからは撮影陣は入らずディレクターがひとり個人的に取材を続行しているようなイメージなのかな?
講義は現在37歳のヤオが「人工知能とホログラム映像を組み合わせて再現された27歳当時のヤオ」と「時空を超えて対話をする」という演出のもとに展開し、宇宙機関研究員であり天行計画エンジニアでもあるコア派の熱烈な支持者として熱く展望を語る27歳のヤオに、現在大きな理想こそないが穏やかで丁寧な暮らしを楽しむ平凡な作家となったヤオが、今一度「EVERのコアテクノロジー開発によって世界はどうなると思うか」を問うていく。
非枯渇性資源であるコアが人類の文明の存続に不可欠なものであると確信する27歳のヤオは「コアという宇宙からの恩恵を受け科学技術を発展させ世界をより良いものに変えていくことができるのは人間」だと意見するも、37歳のヤオは「人間は信用できるものだと思うか」と聞き返し、ここは質問の意図を汲み取れないAIが「すみませんよく分かりません」と返答するのをユーモラスと捉えた教壇の下からどっと笑いが起こったりもするのだが、番組ディレクターはこれこそが彼女の今もっとも命題に掲げたいテーマなのだろうことを悟る。
受講生たちは「人間は科学による文明の存続を果てしなく広い宇宙に問うことができ宇宙もまたこれに応えてくれる」ことから「今もこれからも世界は素晴らしいものになる」という27歳のヤオの演説を拍手喝采で讃え、一方で「本当に今の世界が素晴らしいものになっていると思うか」という37歳ヤオの課題提起は誰の気にも留められない様子のまま公演は終講した。
プロファイルディレクターは講義のあと「天行市小学校に通う子どもたちを迎えに行く」というヤオにその道中もう少しだけ取材を続けさせて欲しいと申し出て、今後の作品はむしろ過去の自分に苦言を呈していくようなテーマに変わっていきそうな作家ヤオに「10年以上前の自分の作品をどう思っているか」率直な質問を投げてみる。
ヤオは自身の著書「雲」がもちろん人間の科技が奇跡を実現する物語であり人類が憧れだった「雲の上」に到達する物語ではあれど、作中の人々はみな「空から地球を見下ろし」渡り鳥が帰ってくる様子を眺めるのに夢中になっている、という結末に着目し「10年の間にずいぶん変わったがやはり私は私」だと結論する。
かつてエネルギー問題や多くの課題を抱え「どのようにして文明を存続させるか」を考えなければならなかった人間はコアという新たな資源を手に「天行市」というものを見上げるようになり、そうしてコアテクノロジーによる遺伝学の進歩や他の星への移住が現実のものとなれば今度は天行市からさらに「深空」を見上げるようになり、2048年現在「深空の中の人々」はついに「その果てを覗き見ようとさえしている」が、今のヤオの目にはこれが「人類が突然自分たちにできないことはないと考え神になろうとしている」かのように映っているらしい。
もちろん自分もかつて同じように深空の果てを覗き見ようとしていた人間のひとりではあったものの、こうして「痛み」を伴いながらも地上へと飛び降りて今は「空に背を向け大地に目を向けている」、番組ディレクターはそう語るヤオに「それは天行市からでは渡り鳥の帰るような地球が見下ろせなかったためか」と尋ねてみるのだが、彼女の返答は「元夫に会えばあなたの心の中の疑問も解けるかも知れない」という意味深なものだった。
存在しない核
元深空宇宙機関エンジニアであるヤオが離婚した元夫、と聞けば「妻と過ごした記憶のうち唯一想起できるのは最後に会ったときに妻が溢した涙だけ」だという遠空艦隊リアム副官がもちろんよぎってはいたけれど、ふたりは「高校時代の初恋」に始まりヤオは研究員リアムはパイロットとして共に宇宙機関に入庁し同僚たちからは「模範的な夫婦」だなんて呼ばれていたのだね。ヤオが恋しかった四季折々の情趣や落葉の頃に羽ばたく渡り鳥なんかは全部汐行島に住んでいた頃に彼と一緒に眺めてきた景色だったのかな? 切符代として回収したいのはこの辺りなのだろうな。
天行市小学校校門前で落ち合ったふたりの子どもたちと共に遠空艦隊の基地を訪れたヤオは「知らない人を見たかのような警戒やためらい」をあらわにするリアムや「ほどよい微笑を浮かべて」応対するマヒルに「冷たい視線」を向けながら「深空の中には一体何があるのか」「それは地上の全てを喜んで諦めさせるほどのものなのか」と尋ねたりするが、艦隊が士官にチップを埋め込みセベシングを常用させている内情を恐らく彼女は知っているのだよな。しかしながら彼女の側からはリアムもマヒルも「神になるために自らそれを選択した」ように見えているのかな?
マヒルは「人類の問題はエネルギーではなくもう役に立たなくなっているものを手放そうとしないことにある」なんて答えていたけれど、すると今艦隊が深空の果てに手にしようとしてるものとはすでに「コアのさらにその先のもの」ってことになるんだろうか。
事情を知らない番組ディレクターは遠巻きにその様子を観察しつつ「久し振りに会うパパに駆け寄って行く子どもたち」に戸惑い傍らの上官を振り向いて何か指示を仰ぎ頷いてようやくためらいがちに彼らの頭を撫でるリアムから「父親らしい愛情が全く感じられない」ことや「今夜は家族とゆっくり過ごしてはどうか」とリアムを気遣う上官の口調から「本来あるべき感情の起伏が感じられない」ことに違和感を覚えながら、ヤオが今「空に背を向け大地に目を向けている」のも後日「存在しない核」というタイトルで新刊を出版したのもきっと「リアムさんが変わってしまったから」なのだろうと考え至る。
「心もコアも核」だと定義付けるヤオがこれを「存在しない」と題し綴る物語は、今度は宇宙への進出と技術革新により新たな文明を拓くたびに人の「核」である心やいつか宇宙資源さえ「もう役に立たなくなった」と手放し続け開始点を失い終焉には何ものにもなれなかった何かだけが残される未来を予知しているのかも知れないし、それはたとえば「星核」が空洞であるフィロス星のようなものなのかも知れないなって思ったよ。
ただ「人間は信じていないが人間の本質は信じている」と言うヤオは「人類のこれから」云々よりたとえ「本来の部分がほとんど残っていないもの」であっても本質は「同じもの」だとまだ信じたいって話なのではないかと解釈したくなってしまったなぁ。
子どもたちはもう小学生ほど小さくないがわたしも間もなくヤオさんとは同い年だし旦那とは高校時代から付き合っていたのでね(しらん、何かが少しずつ変わり始め仮にすべてが変わってしまったとしてもやっぱりそれが「別人」だとは思えないかも知れないなって(アホのような感想
彼女が宇宙を離れてなお子どもたちを天行市小学校へ通わせるのもパパに会いたいと言われれば面会へ連れて行ってやるのもこうして彼に訴えるように新刊を出版し続けるのもまだまだ割り切れていないからなのだろうと感じてしまったな。
ところで天行市のもっとも高いところにある「神」のオレオールのような巨大な天行リングには「色とりどりのコアエネルギー」が流れているのだな?
「最高神」アスタそのものであるかのような蘇生のコアがレイの権能により「色とりどりの水晶」になるのはやはり人工的に掻き集められた大量のコアエネルギーの結晶だからなのではと思いたくもなるが…
ゲノム編集で作り出された欠陥のない人間を秩序のほころびだと唱えた者が「裏切り者」になるフラクタル図書館のひとつ目の物語を思い返してみると、恐らく公開講座受講生たちのように「人間は科学による文明の存続を果てしなく広い宇宙に問うことができ宇宙もまたこれに応えてくれる」ことから「今もこれからも世界は素晴らしいものになる」と信じ込んでいる多くの科学者や技術者たちに密着してきたであろうプロファイルの「13番目」の出演者であるヤオがこうして「核を失う未来」を予言してることも、おおむね今彼らが歩む道に誤りを指摘した者が表向きは反逆者となってしまうことを暗に示してるってことなのかも分からんな。マヒルの「罪」とやらもこのニュアンスなのかなぁ。