恋と深空のんびり考察プレイ録

恋と深空のんびり考察プレイ録 - 空に堕ちる

恋と深空を宗教思想史オタクがのんびり考察しています。

ネタバレを多分に含むうえ、新しく開放されたストを読むたびに考えが変わるため我ながらお門違いなこともたくさん綴ってあるのですが、プレイ記録も兼ねているため敢えてそういうものも全て残したまま書き進めております(土下座

おやすみ、氷湖町

こちらは極地「氷湖町」で発生した大規模な気象災害の現場へ医療チームとして派遣され救援活動を終えたセキがAksoに戻り犠牲者たちの死亡診断書を作成しながら救えなかった命の重さと向き合い彼らの代わりに朝日を見届けることで医師として自立していく物語。

読了後の率直な感想なのだけど、これまでレイを「神のような医師」だと仰ぎ見る一方で「平凡な自分には何ができるのか」とあれほど無力感に苛まれていたセキが、彼のいないAksoで「レイもまた人間であること」に気付かされ「奇跡」とは「神のような誰かが完全な救済を与えること」ではなく「限界ある人間たちがそれでも手を伸ばし続けた結果かろうじて未来へ渡されるもの」なのだと信じられるようになるって本当にすごい。まるで彼の授けた「医学」という贈り物で「病」という脅威に「民の知恵」で打ち勝つネアのごとくAksoにもレイによって蒔かれてきた小さな継承の種がとっくに芽を出して今は立派な花を咲かせているのだなと思ったし、まじでレイはどんなに険しくとも絶対に揺るがない確固たる意志を持って神ではない「人間の物語」を生きたいんだなと改めて感じたよ。

個人的には「朝のない日」のアンサーが「おやすみ」になるところにもめちゃくちゃ「人間」を感じてる。たぶんセキさんの視点で見れば「朝のない日」って朝を遮るような冷気を纏う何か恐ろしい運命のただ中にいる「神のようなレイにさえ起こせない奇跡」を直視する物語だったんだと思うけど、今回は「ごく人間らしいレイ」がその手で繋ぐことのできなかった命を背負いながらも奮起して自分の足で夜を越え朝を迎える姿を垣間見て「救う者もまた救われる者でなければならない」共生や相互救済に気付かされるような結末から単純に「朝日」だとか「夜明け」だとかに抽象化されない「人間らしい」感情や祈りや弔い全てを集約しての「おやすみ」なんじゃないのかなって勝手に←

最後の鐘

観光地として名の知れた町が数多く点在する極地の中でもこれといって見どころのない「氷湖町」は定住人口も少なく、旅行シーズンであれば唯一の絶景スポットであるらしい氷河峡谷の低地に横たわる「氷河湖」を訪れる観光客でいくらか賑わったりするものの、年の瀬にもなれば地元の人たちだけで静かに過ごすのが常のようである。ただし近日観測された「持続的な磁場異常」を警戒し避難体制が敷かれることとなった今年の町は少し様子が異なって、最後まで残っている住民たちも年明けには新たな居住地へ移る予定となっていたため「ここで迎える最後の新年だから」と酒場には近所の顔馴染みが集っていた。

ちなみにこの「持続的な磁場異常」は「最近の深空トンネルの波動」の影響と噂される氷河の中で見付かった「太古の巨大生物の遺骸」が何か関係しているのではないかと現地調査が入っているらしいんやが、どうやら2034年にも同じ氷河で「大昔の何らかの痕跡」が感知され磁場が乱れて極地全域に厳戒体制が敷かれるなんてことがあったそう。個人的には2034年の方は裂空災変によって起こった「法陣の異化もしくは崩壊」で「フラクタル図書館に突如出現した裂け目」と繋がるものだったんじゃないかと思ったりもしていたが、今回「太古の巨大生物」だなんて言われてやっぱり全然違うかもと思い始めているところ(殴

避難を控えているにも関わらずどこか緊張感のない町の人たちは「2034年の磁場異常も数年前の長恒山も結局は大ごとにならずに済んだ」ものと認識しているようで、何やら地元の人気者風である極地ハンター「リジン」に目配せを送りながら「ハンターが居れば大丈夫」「ハンター協会を信じよう」なんて一斉に親指を立てたりするけれど、実はリジンもまた以前Aksoで「A型拮抗装置移植手術」を受けた際過酷なリハビリを前に「あんたたちが居るから大丈夫」なんて言ってのけ「医者は万能じゃない」のだとセキに窘められていたりして、今回「救う者もまた救われる者でなければならない」相互救済の循環のまさに象徴として描かれている人物だと感じるよ。つまり町の人たちが「ハンターがなんとかしてくれる」と奇跡を信じられるのはリジンが「自分ならなんとかできる」と信じているからで、彼が自分を信じられるのはかつて足に開放性損傷を負い心臓が特異エネルギーに侵され取り返しのつかないことになるところだった彼を「なんとかしてくれた」レイやセキが居たからだってことだよね。

酒場の店主は「完全復帰」とは言い難い彼の両足に取り付けられている「外骨格アシスト装置」に目を落とし言葉を詰まらせたりもするけれど、リジン自身はそういう「人工的な医療装置で継ぎ留められた身体」をむしろポジティブに受け止めているんじゃないかと思わされる描写はいくつかあって、たとえば店主の幼い娘が久し振りに顔を見せた「リジンおじさん」に「雪綿花を見せに連れて行ってやる」と前に約束してもらったことや結局道が険しく途中で引き返すことになり花は見れなかったことを思い出し拗ねたようにしているとリジンはポケットから「雪綿花にそっくりなポンポン」のついたヘアピンを「お詫びのプレゼント」だと言って手渡すの、個人的にはこれも「人の手によって作られたものだって同じくらい意味あるものだ」っていう彼の感情を乗せた比喩と読めるかなって。

極地でも滅多に見られない希少な雪綿花は地元では「命と幸運のお守りの花」だと言うし、あるいは「遠く離れた臨空市という街で不愛想な医者が鉢植えの雪綿花を救おうとしたが恐らく失敗してしまったのだろう話はしないでおこう」「子どもはきっと報われない結末が好きじゃないはずだから」という彼の独白も実はかなり彼自身に返ってくる言葉な気がしてて、たぶんリジンは「救われなかった雪綿花」を「起こらなかった奇跡」や「両足の欠損」「心臓の不全」として振り返るのではなくむしろ「人の手によってもう一度前線へ戻してもらった身体」で今も「報われる結末」を信じているからこそ本物の雪綿花ではない「人の手によって作られたポンポン」にもきっと誰かの命と幸運を祈るお守りとしての意味をちゃんと託していたんじゃないかなって思うのだよね。

そうしてどこか名残惜しいような新年を待つ慌ただしくも浮き立っていた氷湖町の空気は突如リジンのハンター探査器から鳴り響く警報音によって一変し、まるで突然夢が砕け散ったかのように一瞬にして恐怖と悲鳴に包まれる。警告メッセージを確認すると乱れた磁場の波動により氷河峡谷の「氷河湖」が決壊し町に洪水が到達するまであと15分、リジンは冷静かつ迅速な判断で人を「鉱塔」か「時計塔」の二手に分けて誘導し、誰ひとり逃げ遅れることがないようにと大声で呼び掛けを続けながら人波に逆らって群衆の最後尾を目指した。

外骨格アシスト装置は「短時間の高強度な行動による筋肉疲労やストレス性の痛みを軽減してくれる」のだというが、足の不自由な老人を背負い町の中心にある時計塔へと走り、階段を駆け上がり、戻ろうとする者を引き止め、立ちすくむ者の背を押し、もしかしたら彼は15分間ずっとそんな風に全力疾走で避難経路を往復していたのかな。視界に入る最後のひとりをなんとか時計塔へ送り込み自分もようやく避難場所へ辿り着く頃には心臓には「鋭い痛み」が走り、足はもつれ、磁場の干渉が強まるにつれ「泥と雪煙の混じる爆風」で呼吸もままならず、ハンターである自分は「どんな時も最前線に立つべき存在」だとこれまで長らく自分に言い聞かせてきたリジンはその時しばらく振りに「自分もまた血の通うただの人間であること」を思い出したと言うけれど、かつて祝福の中心だった時計塔が不安と恐怖に満ち「ここで待ってればいいの?」「本当に助けは来るの?」と震える声が耳に届けばそれでもどうにか唾を飲みかすれた喉を整え「最寄りの極地ハンター拠点から直ぐに仲間が駆け付ける」「俺たちを信じてくれ」と振り絞るように訴える。

は彼の指示通り手すりや鉄柱へ身を寄せて互いに手を握り、腕を組み、体を固定できる支点を探して迫りくる衝撃に備え、濁流は容赦なく時計塔へ襲いくるが幸いにも極地の過酷な環境に耐えるべく造られた建物はその猛威を受け止めることができ、飛び散った水しぶきが空中で凍りついて「本来なら2日後の午前0時この町に移住前の最後の祝福を贈るはずだった」銅製の鐘を打ち鳴らしては砕け散り一面の氷霧となって視界を覆い尽くすものの、洪水が過ぎ去ると静寂よりも先に「極地ハンター救援チームの到着」を告げる声が上がり群衆は安堵に包まれた。

リジンは大きく息を吐き、壁にもたれかかるようにして全身の力を抜くと雲の切れ間から差し込む陽光が氷雪の上に虹を描き出すその美しい光景をまるでAksoを退院したあの日のようだと感じたりもするのだが、まだ状況は安定していない、ここで気を緩めてはならないと言い聞かせるように避難と救援を促し、自分は最後までここに残り救助活動を続行することを決意する。

氷湖町救援活動

氷河湖の決壊と洪水の発生が14時、第一陣として現地入りした極地ハンター救援チームの到着が15時30分、その後磁場異常および信号干渉により「現地の全員と連絡が途絶え」極地緊急指令センターの要請を受けた臨空市がAksoに医療支援チームの現場派遣招集をかけ、目標地点へ向かうヘリに乗り込んだセキがシートベルトを締めた瞬間が19時34分。

暗赤色のライトが明滅しプロペラの轟音が響き続ける機内で被災地の状況が極めて過酷であることを告げるチームリーダーのごく簡潔な任務要綱に「現場に到着すれば一秒も無駄にはできない」のだから「少しでも体力を温存しておかなければならない」ことを悟るも休むことさえうまくできないほど疲れ切った様子のセキ、レイが病院を去ってから増え続ける患者と常に足りない人手、限界を超えて稼働し続けるハンター協会を前にどこか世界そのものがおかしくなってしまったのではないかと違和感を覚えつつも、レイ先生がもしこの場にいたらもっと皆を安心させられる言葉をかけてくれたかも知れない、なんて想いがふと脳裏をよぎる。かつてAksoで彼が一人で背負ってきた役割は残された者たち全員で手分けしても余りあるほどに重く偉大だったらしい。

チームは現着30分前になって目標地点は17時前後で二次災害的に発生した「極低温滑降風」の影響により気温が「氷点下42度を下回っている」なんて指揮センターからの情報更新が入り「誰もが口には出さないが最悪の事態を覚悟している」状態で被災地に到着することになるのだが、ひとつすごいのがこのストーリー実は冒頭「すでに救援活動を終えAksoに戻ったセキ」が「災害の犠牲者と殉職した救援チームメンバーの死亡報告書を作成する」ために記録ファイルを開く場面に始まって、救援に向かうこのヘリの場面は被災者が時計塔へ避難する「前」にカットインするのよね。つまり読者は「17時」を目安に誰が助かるのか助からないのか分かる状態で被災シーンを読み進めることになる(鬱
人命救助やレスキューとしてじゃなく「助からなかった命を知ったうえでそれでも助かった命の意味を読め」って構成からも言われてる感じするよね。

ところでひとつ気になるのが、病院から派遣される医療班って「救助」じゃなくて現地で負傷者の応急処置とか「医療支援」をするもんだよね? すると現地全員と連絡が途絶えているところに医療チームだけが投入されてるわけじゃなくて、たぶん追加の救助部隊とかもちゃんと派遣されてるはずだよね? (うるせぇ

日の出

氷湖町での救援活動を終え臨空に帰ってきたばかりのセキはひどくやつれ、なんと「無精ひげ」を生やしている。レイがAksoにいた頃の彼は自分の「童顔」に悩んでおり、医師として頼りなく見えるのではないか、大人の男として見られないのではないか、好きな女の子に子どもっぽく見られるのではないか、そんな恋愛未満の浮かれた悩みを打ち明けられたエンは「仕事でボロボロにすり減った顔よりよっぽどいい」などと茶化していたが、これをただの冗談が現実となって回収された話ではなく「セキがもう以前の場所には戻れないこと」を暗喩する描写としてわたしはとても重要視したい←

だってあんな赤ちゃんのような顔がやつれて無精ひげ、それはかつて彼自身が望んでいた医師として経験を積んだ頼もしさでも恋をして成熟した余裕でもない「災害現場で多くの死に直面し救えなかった命の死亡報告書を書かなければならない人間の顔」である(真剣

彼はその顔を拭い去ることも目を背けることもしないまま、かつてレイが同じような事態に直面した時に見せた冷静さを思い出し、胸の奥に渦巻く重苦しさと恐怖を必死に押し留めながら、氷湖町救援活動における医療支援チームの一員としてこの悪夢のもっとも痛ましい結末と向き合った。そして夜が更け「犠牲者遺体検案および死亡診断書」の最後の一通にハンター固有の生体識別コードと「リジン」の名を確認したセキは、救援チームからそれを受け取った際に涙で言葉も出ない状態だった隊員の横でかろうじて冷静さを保っていたもうひとりの隊員が語る彼の「最期」を思い起こす。

例の「極低温滑降風」は時計塔に最後まで残っていたリジンがようやく縄はしごをつかんだときに吹き荒れて、宙吊りになったはしごは激しく揺れ、ヘリは煽られ、救援チームは必死にはしごを引き上げようとするも、あまりに多くの人を救うため消耗し疲弊し切っていた彼は力尽きて手を放し暴風の中へ消えてしまった、というのが事の顛末のようであるが、すると少なくとも「鉱塔」ではなく「時計塔」へ避難した人たちは彼の手によって無事全員が生き延びたと理解していいのかな。

ここはとても胸が痛いのだけど、氷点下42度を下回っていた当時被災地において、逃げ延びられず「低体温」で亡くなった犠牲者たちはみな意識混濁の中で寒さや苦痛の認識が徐に曖昧になりやがて幻覚や温感の錯覚のような状態に陥っていったのだろうことが推測できるのだそうだけど、リジンの場合は体内に埋め込まれた「A型拮抗装置」が極低温下でも心臓の高頻度拍出を補助していたために体温は通常の倍の速さで失われ、さらに本来なら機能不全を起こし朦朧としていくはずの極寒と死の苦痛を最期の瞬間まで明晰に感じたままだったって言うんだよね。

これはセキさんにとってもいちばん残酷な現実だったんじゃないかな。だって彼の拮抗装置は自分たち医師が長時間に及ぶ超高難易度オペをやっとの想いで成功させ「彼を救うために」彼に移植したものであり、彼の命は「自分たちの手で継ぎ留めたはずの命」だったわけだから。その命が結局「救えなかった命」になってしまったばかりか、自分たちの施した救いが最後の最後で彼により長く明晰に死の苦痛を味わわせ続けるものにさえなってしまった。発見時の状況や推定死因など書類の空欄を手順通りに埋め、見直し、電子署名を記し、努めて専門家として事務処理をするセキがどれほど冷静に振る舞おうとしても、リジンの死亡診断書は「自分たちが救ったはずの命」と「医療行為の記憶」が刻まれたあまりに重い記録なのである。

長らくためらった末にセキは今回の救援活動についての経緯をメッセージでレイに「報告」することにした。送信した内容は細かく明記されておらず、あるいはカルテの申し送りのように淡とごく医者らしい報告書のような業務連絡だったのかも知れないが、行間から「どう受け止めればいいのか分かりません」「ひとりでは抱え切れません」という助けを求めるような心の声が読み取れたのか、すぐに返信が来るとも思っていなかったところへすかさず「電話」がかかってきて、業務報告への返答はなく、代わりに「病棟下の庭園にあるベンチは監視カメラの死角になっていて泣いていても誰にも気付かれない」ことをそっと教えるレイ、自分もそこで泣いていたとは言わないが、手術がうまくいかなかった時にはそこで「日の出を見ていた」のだと。

類稀なる医術と強大なEvolを持ち、現場ではまるで奇跡のように危篤状態の患者を蘇生しハンターと肩を並べワンダラーとも戦える、愛する人を危険な目に遭わせるわけもない、かつてレイはセキにとって「神のような医師」だった。でもそんなレイにさえ救うことのできなかった命を悼む「ひとりの人間」に戻る瞬間があって、今セキが感じているのと同じ「どう受け止めればいいのか分からないもの」「ひとりでは抱え切れないようなもの」を抱えながら、日の出を見て、弔いを終えて、自分の足でもう一度立ち上がり現場へ戻っていたということ。

夜明けまで待って「朝を迎えることができなかった人たち」に代わって朝日を見届けてやるといい、というレイの言葉にようやく「死亡診断書を書く医師」から「リジンを悼むひとりの人間」として電話口で声を上げて泣くことができるセキ、電話を切った後になってレイがいつAksoに戻るのか聞きそびれてしまったことに気付くけど、戻ってくるかどうかにかかわらずこの道は自分の足で進んでいくものなのだから「もうそれほど重要なことじゃない」のだと思い直したりして、きっと彼はレイが神のごとく冷静に対処し皆を安心させてくれるのを待つばかりの医師ではなく、レイがひとりの人間として自分の足で自分の道を歩んでいるように、あるいはまるでその背中を追いかけるように、同じく自分の足で自分の道を進む医師になれると気が付いたってことなんじゃないかな。

奇跡

災害が発生してからというもの、スマホ、テレビ、インターネット、いつ何を見ても極地の事故報道が途切れることなく更新され死者と行方不明者の数ばかりが増えていく数日間だったけど、ここへ来て初めてセキの目に「生存者」の報道が留まる。氷湖町の瓦礫の中から息のある状態で発見されたその「7歳前後の少女」は、被災した数名の大人たちの身体と厚手の衣類に包まれ極寒から守られていたことで奇跡的に低体温症を免れ、深い香睡状態に入り、医学上の「仮死状態」で一命を取り留めたのだそう。セキが極地を去る頃には少女はすでに生命の危機を脱していたと言うので、臨空に戻ってからこれまでひたすら死者のニュースしか流れて来なかったように見えたのは彼自身の目が「救えなかった命」の方に長らく向けられていたためなのかも知れないね。

そして発見時少女の手には「まるでそれが彼女のお守りであるかのように」ポンポンの付いたヘアピンが握られていたのだと言うが、えーんなんとなくそうだといいなって思いながらずっと読んでたけどやっぱり泣けてしまう。涙

セキにはもちろん「救えなかった命」があるし、救いとなるはずだった医療措置が苦しみに変わることさえあるのかも知れない。でも一方で彼に「継ぎ留められた命」というのも確かにあって、それが誰かを「自分ならなんとかできる」と己を信じる町のヒーローにするかも知れない。そのヒーローを信じる町の大人たちは奇跡を信じるかも知れないし、それが本当に奇跡を起こすことだってあるのかも。本物の雪綿花ではない「人の手によって作られたポンポン」はさらにたくさんの人が細く長い橋をいくつも渡り繋ぎ続けた結果本当に持ち主の「命と幸運のお守り」になったんや(ないてる

この長い夜の終わりに訪れる朝日を見届けることにしたセキは、ふと意中の彼女からスマホに届いていためちゃくちゃ可愛いメッセージに気が付いて、日の出前の今ならまだ間に合うからと「おやすみ」を返すことにする。大丈夫だよ、僕がついてるよ、朝は来るよ、だからおやすみって言葉は、「僕にもみんながついている」のだと感じられるようになったからこその言葉なのかも知れないなって思ったよ。リジンの「俺を信じろ」しかり、レイだったらかけられるかも知れないみんなを安心させるような言葉しかり。誰もが夜を越えられるわけではないから「おやすみ」、そして誰もひとりで夜を越えているわけではないから「おやすみ」、みたいな(だまれよ

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