恋と深空のんびり考察プレイ録

恋と深空のんびり考察プレイ録 - 空に堕ちる

恋と深空を宗教思想史オタクがのんびり考察しています。

ネタバレを多分に含むうえ、新しく開放されたストを読むたびに考えが変わるため我ながらお門違いなこともたくさん綴ってあるのですが、プレイ記録も兼ねているため敢えてそういうものも全て残したまま書き進めております(土下座

一編の童話

こちらはめちゃくちゃ要約すると海辺のどこか屋内で「童話」の読み聞かせをしていた老齢の執事が物語の余韻をたっぷり楽しんでようやく寝付いた子どもたちの部屋の明かりを消した後、ふと窓辺に歩み寄ると外には「外壁にもたれながら一緒に物語を最後まで聞いていた」様子の男性がひとり夜空と海の重なる遠くを眺めてる、という話←

執事が童話の総括としてこの深空の中では「人間も」そして「私たちも」変わらない、と自分たちを「人間」とは別の種族として語っている辺り恐らく彼らはみな「リモリア人」で、子どもたちは「明日の使命に最高の状態で臨むために」早く眠ることにしたという叙述、さらにこうして海辺の家屋にみんなで「お泊り」しているかのような雰囲気からわたしにはこれが本編6部3章で描かれた「海月の儀式」の前夜もしくは「シャンおばさんの反響の声」が届く予定日の前夜、あのアンティークなペンションでの一幕と見えるんやが、すると「窓の外に立っていた男性」がホムラになるのかな?

童話は何も知らない状態で聞けば「わたしが昨日見た夢はどこからやってきたの?」「実は海の底には夢を織る不思議な生き物がいるんだよ」みたいな子ども向けの超王道絵本、ファンタジックな世界観の奥には「あらゆる生命の感じた喜び、恐れ、愛、虚無、そのすべてが糸になっている」という深い思想があり、読み終えて「あなたが見た夢はあなた一人のものではなくこの星に生きたみんなのたくさんの感情や記憶の織物なのかも知れない」なんて一見ほのぼのと温かいメッセージが残りそうなテイストではあるのだが、一方で実はかなり正確な地球の「生命史」そして「文明史」ともなっており、最終的に「今度こそ星に終末が訪れるのだろう」不吉な終わり方にもなっているため本編サイドストーリーとしては「これから起こるやばいこと」の予告の位置付けなんじゃないかと(イヤ過ぎるw

とは言えこの童話の語り手と聞き手が共にリモリア人であるということ、さらに窓の外でこっそりホムラがこれを聞いていることにはしっかり意味があるはずで、個人的には長らく疑問だった「どうしてリモリア文明は繰り返し滅亡しようとするのか」こちらもようやく腑に落ちたのでその辺についても軽く覚え書き。

ドリームサラマンダー

この童話の主人公は「ドリームサラマンダー」という「もっとも深い海底よりもさらに星の心に近い場所」に住む架空の生き物である。頭の両側に生えた羽のような6つのヒレは「宇宙の思考をとかして整える」ための手織りの杼になっており、彼らの製織する生地はすべて「夢」になるという設定。幼いサラマンダーはこの「夢織り」の勤めをどうしても楽しいとは思えなくて、傍らでいつも優しい笑みをたたえながら一心にこれに取り組む「ママサラマンダー」にあるとき不満を打ち明けてみる。このとき子サラマンダーは「つまらない」「やりたくない」と頭を激しく振りながらヒレを勢いよく逆立てているが、これは「ドリームサラマンダーがいちばん怒っている時のしるし」らしい(かわいい

するとママサラマンダーは我が子をそっと抱き締め穏やかになだめ聞かせるように、自分たちの「夢織り」がどのようにして始まり、どんな意味を持って継続され、どのような出来事を経て今に至るのかを静かに語り始める。

ずっと昔、まだ「生命」というものが誕生する以前、海と深空はひとつに繋がっていて、世界そのものが静かな「夢」のようだった。眠れる地球は果てしない海に包まれて、水は温かく、空は低く、大陸は恥ずかしがり屋な子どものように波の間から少しだけ額を覗かせたりするけれど、そうやって陽の光がふと海底に届いたとき「初めてのドリームサラマンダー」が小さく息吹く。彼は「はじまりの静けさ」の中で心と体のすべてを使って耳を澄まし、目を凝らし、水の流れでも光でも音でもない無数のきらめく粒からできた柔らかな絹糸のような「みどり」を発見、その糸にそっと触れてみれば目の前には胸が震えるほど美しい織り模様が現れたかのごとく水草は森となり、その間を小さな生き物たちがすり抜けていった。はじまりが誰の手によってどこからやってきたのかは「誰にも分からない」。

これは見たところ地球に生命が誕生した瞬間をもちろん科学的な発生史としてではなく童話の世界観で語り直した序章である。まだ海と空と陸の秩序がはっきりと分かれていない地球全体が熱と水に包まれた未分化な状態として描かれ、物理的な水や光そのものではなく文字通り「生命」が生まれた瞬間に顕現した「みどり」、さらにその「みどり」を「糸」として捉え触れることができる「ドリームサラマンダー」は原始の海に生まれた生命が「初めて世界を感じた瞬間」宇宙に誕生した「感受性」を可視化するための存在、といったところだろうか。

そうして実に詩的で神秘的な昔話を語り始めたはずのママサラマンダーが突然「今からおよそ5億回もの朝と夜を遡った頃」「時を岩の層で数えていたカンブリア紀と呼ばれる時代に、」なんて古生代の時代区分を持ち出すのがとても効いている。これは「可愛い絵本」の皮をかぶった幻想的な創世物語が「ガチの地質年代史」だったことに読者が気付かされる瞬間、ここからママサラマンダーの「進化論と倫理ゼミ」が始まるのだろうことを予感させる展開である(ちがう

ドリームサラマンダーが最後の「みどり」を織り終えたとき、現存する動物の原型ほぼ全てが短期間で一斉に出現したとされるいわゆる「カンブリア爆発」が起こると同時に星にはあらゆる「感情のさざ波」が現れて彼らの織る「糸」はさまざまな色になった。狩る者が初めて獲物を捕らえた時の渇望の赤橙、追われる者が感じた恐れのような蒼白、縄張りを争う時には怒りの玄色、伴侶を求める時には喜びのピンク色、これらはすべて「生命活動」に根ざした他者との「相互関係」によって生まれる新しい感情であり、糸の色もまた生まれたばかりの生命が太陽や水に触れて感じたもっとも素朴な生の喜びとしての「みどり」という単色から情動的でより複雑な色に変化していることが伺える。やがて「鮮やかな色が織りなす染め場」のようになった海で「複雑に入り組んだ色とりどりの糸をとかすため」ドリームサラマンダーのヒレの先端にはいくつもの「織り針」のような繊毛が生え、彼らはよりしなやかで繊細な「夢」が織れるふさふさでふわふわとしたもっと立派な身なりに進化した。

ところがその柔らかで美しい繁栄に今度は「長い夜」とやらが訪れる。それは星全体を覆い尽くす悲鳴、海底から広がる見えない炎、万物の生命を支える根が焼き尽くされ、海がうなり、大地は震え、夜が更ける頃には「種族全員がもう二度と目覚めることはなかった」と語られるあたり、カンブリア以降の生命史において何度か起こる「大量絶滅」を指しているものと思われる。そんな恐ろしいことが起こったら「ボクたちはどうすればいいのか」と子サラマンダーは尋ねるが、「そんなときこそ織る」のだと静かに諭すママサラマンダー、たとえどれほどの生命が途絶えてもどの生命も必死に生きようとしていた、だから自分たちもそのひとつひとつの悲痛を、無念を、未練を、取りこぼすことなくすくい上げて織り上げるのだと。

星全体に広がった絶望の糸を織ることは彼らのふさふさでふわふわなヒレを激しく傷付けるものに違いなく、焦げて絡まった糸をとかすたび、息もできないほどの苦痛を織り上げるたび、身体には引き裂かれ呑み込まれるかのような感覚が伴う。初めての「長い夜」を経験したママサラマンダーは生命の躍動や万物の喜びを感じ取ることができる自分たちに与えられた特別な能力は「天からの授かりもの」であるよりむしろ生命が絶えていく叫び声を誰よりも身近に聞き届けなければならない「もっとも残酷な罰」だったのかも知れないとさえ感じたのだそう。つまり彼らの「夢織り」は幸福な時代においては世界でもっとも豊かな芸術であり、滅びの時代においては世界でもっとも痛ましい証言になるのだね。

幸いドリームサラマンダーには「再生」という恵まれた力があるため心臓が傷付いても回復できるし脳が枯れても修復できる。その長い夜が明けるまで彼らは「最初に生まれた時と同じ星の心にいちばん近いこの海底にまた戻ってきて長い眠りに就く」のだといい、さらに「何千万年の眠りを経て再び生命の力に呼び覚まされ」浮上する、カンブリア以降の「大量絶滅」のたびに彼らはこのサイクルを繰り返してきたのだとママサラマンダーは言うけども、どうやらこれは「ドリームサラマンダー」という幻想生物に仮託した「リモリア文明」の歴史物語である。

恐らくこの童話の作者は「リモリア文明」が「星に生命が途絶えたときに眠り息吹いたときに目覚めるもの」だと言いたいのではないかな。ママサラマンダーは「長い夜」に起こる大量絶滅を「文明の掃除」とも呼ぶんで、彼らにとっては本編「地球の大掃除」とやらも「高次元文明」だとか「深空信号」なんてものが示す何か見えざるものの手によって迫り来る世界の危機というよりはごくシンプルにこれまでに繰り返されてきたそれらと同じ「宇宙や地球の変動によって引き起こされる大量絶滅とそれに続く生態系の再編」と捉えられているのだろうと思う。

そして何より「リモリア人」があらゆる音を聞き分けることができ膨大な色を識別することができるのは「世界の感情を可視化する使命」のために与えられた能力であると伝えたいのだろう。自分たちの芸術は「生きる喜び」も「滅びる苦しみ」も同じように形にして残すこと、もちろん「苦しみ」を直視することは同時に自分たちが苦しむことでもあるが、どちらも星に生命が存在していたことの証として同じように記録しなければならない、これが自分たちの「世界との関わり方」であると訴えたいのではないかな。

生命の衰亡と繁栄は宇宙の潮汐のようなもので、長い夜が明ければ毎回方法は違えどこの世界は必ず賑やかさを取り戻すことができる。それを聞いた子サラマンダーはすやすやと寝息を立てる大きなシャコガイから浮かび上がった「陽の光への恋しさ」や「成長への決意」のような感情を宿す藤黄色の糸を織り始め、初めて自分の「作品」を完成させたときついに「生まれ持った才能」の面白さに気が付いた。

静かな終わり

ママサラマンダーの語るこの星の長い長い夢の年代記が「取るに足らないほど短い最終章」を迎えると世界にはようやく「人間」が誕生する。人間の夢はこれまでの生命の夢とはまるで違う「本当に美しい光景」であると言い、何より美しいのは人間が「お互い」を夢に見る瞬間で、他者のために危険へ進む勇気の色、星空に手を伸ばそうとする揺るぎない意志の色、それらは色だけでなく造形や音やリズムや感覚をすべて凝縮したような「まったく新しい芸術の形」をもたらしたのだと言うけども、するともしかしてこの「ドリームサラマンダー」とは人間にとってのアウストラロピテクスみたいな本当にリモリア人たちの先祖にあたる生き物で、彼らはこのタイミングで「織り師」だけでなく「彫刻家」や「画家」や「歌手」のように枝分かれてより複雑な「夢」を形にするために進化したって言いたかったんかな。確かに伝説や外伝のホムラにはまるで進化の過程で必要がなくなった「頭の両側に生えた羽のような6つのヒレ」の名残りだと言われればそう見えんこともないそれが生えて見えることがあるような…

ただし強い光とは同時に深い影を落とすものであり、美しい色彩は争い混ざり合うことで汚れた色にもなった。探求心は強欲に変わり、愛は独占欲になり、人間は彼らが見たこともないような「虚無」の色さえ生み出した。ママサラマンダーは「だから糸はこんな風になってしまったのか」問う我が子のヒレに絡み付いた繊維を優しく取り除きその肌に滲んでいる血を見留めながら「これはもう糸ではなくイバラなの」だと呟いて、あれほど柔らかく滑らかだった美しい糸が一体いつからこんなに硬い殻をまとい鋭いトゲを生やすようになったのかと思い巡らせる。加えて「私たちは好奇心という名のもとに故郷が覆されるのをこの目で見つめ愛の名をもって利用され白骨となってしまった親友をこの手で埋めたこともある」なんて言うんだが、こちらもどこかで聞いたことがあるような話だな。

この「イバラ」からひとすじの純粋な色彩さえ見付けられなくなったとき、星は再び「長い夜」を迎えるのかも知れない。ただしそれはこれまでのような天地を揺るがす激しい変動ではなくて、音もなく、まるで日常のように、良知に対する沈黙と美しさへの無関心が堆積する中をひっそりと静寂に陥っていくように訪れる「静かな終わり」なのかも知れない。そうしていつかこの星そのものが死んでしまったら「ボクたちも消えてしまうのか」という問いにママサラマンダーの答えはない。

かつて人間も同じように「文明を永久に保って終焉を免れる秘策」を彼らから見付け出そうと試みたけれど、彼らはむしろ「文明を作品として記録する創り手」なのであって「文明そのものを永続させるための存在」ではないのである。その日が来れば行き場を失ったドリームサラマンダーたちはあるいはこの星の山や川、湖や海と共に、ただ深空の彼方へと散っていくのかも分からない。

この辺も「リモリア」がついに「最後の海神」を予言してそれまでの「眠り」ではなく「滅び」を選ぼうとするのは次に訪れる「長い夜」が二度と明けないことを意味しているのだと言いたいのではないかな。人間が築く最後の文明がこの星の最後の夜になる、もう二度と新しい生命が息吹くことはない、なぜならその文明が愚かさと傲慢でついに星そのものを滅ぼしてしまうからで、彼らはもうそれらを宇宙の作品として記録する必要がないからだって話だったんじゃないかと。

子サラマンダーは生まれて間もない輝く瞳で何かを決意したように、母が織っていた棘だらけの作品の最後の角の部分を一緒に縫い上げた。傷付いたヒレは強い再生力によってすぐに修復するけれど、ママサラマンダーは我が子が覚えたであろう口には出さない痛みをはっきりと感じ取っている。そしてイバラを織り続けることを使命付けられた「この時代にあなたを生まれさせてしまって本当にごめんなさい」という一言で童話は締め括られるけど、この一文によって物語そのものに込められたメッセージは「それでも織りなさい」という次世代への継承や導きに収束するのではなく「ある母親」がたったひとりの愛する息子へ伝えたい「これしか言えないママでごめんね」の言葉になっている。

個人的には読み終えて率直に「この童話の作者はホムラのお母さんなのかな」って感じてしまったのだがどうだろう? 細かく見れば矛盾点もあるがあくまでこれは手記でも随筆でもない「創作」であるという前提で、ドリームサラマンダーもどこかに実在する何かを描いているわけではなく一旦「作者の代弁者」としての登場人物だと仮定して、ぶっちゃけわたしはなんかこのとても壮大な芸術論の中に幻想とカンブリア紀が違和感なく融合している特有の世界観をワンチャン「ホムラの語りなんじゃないか」と思いながら読み進めていたとこではあるんやが、それくらい随所に散りばめられていたように思う「ホムラ節」が「親子のもの」でちょっと納得できちゃうとこあるし(強引、何より冒頭の「怒った子サラマンダー」の描写はどことなく母の視点を介した「燃える炎のような少年だった」幼いホムラを思い起こさせるものがあるような気がするよ。

小さな記録者たち

読み聞かせを終えた老齢の執事がそっと本を閉じるのも待たず「そんなに痛くて苦しいのに彼らはなぜ夢織りをやめないのだろう」「綺麗な夢だけを織ればいいのに」と口に感想を言い合うウトウトと寝入りそうな子どもたち、これが世界の「反対側」ではある人間が目を覚ます頃だと解説が入るのは「地球がまだ昼と夜を巡らせる天体としてかろうじて機能していること」を示したかったのかな? 誰かが目覚め、誰かが眠り、誰かが記録した物語を誰かが聞いている限りこの星はまだ生きている、世界はまだ完全な静寂には沈んでいないっていうちょっと「希望」っぽくも読めるけど。

ドリームサラマンダーにとって夢を織ることは「寒い日に息を吸えば喉が痛くなり砂漠では息苦しいけれど呼吸をやめることができない」のと同じ放棄することも選択することもできない「存在の仕方」なのだと執事は答えるが、どうやら彼もまたひとりの「夢織り師」として「この深空文明の小さな記録者たち」へ語り継ぎたいことがあるらしい。

醜いものを知らなければ綺麗なものも分からない、もしも太陽が昇るだけで沈まないなら、海が水を受け入れるだけで雲にならないなら、と敢えてここで一呼吸置いて「それではまるで太陽も海も死んでしまったみたい」だと子どもたちが思い至るのを待って、彼らが織るのは滅びを止めるためではなくむしろ「滅びが必然であることを誰よりもよく知っているから」すべての生命が苦しみの中で喜び美しさの中で儚さを覚え「決して無駄に存在したわけではなかったこと」を証明するため、そしてそれは「私たち」が絵を描き歌を歌うのと同じだと最後に言い添えるけれど、もしかしたらここは「それでも赤い海を描き続ける」ホムラへの言葉にもなっていたのかな。

窓の外で外壁にもたれている「彼」が執事の視線をたどり遥か遠くを眺めると視界の果てには深遠なる海と限りなき深空が「優しくひとつに繋がっている」という幕、あるいは海風が窓辺に吊るされた貝殻の風鈴をそっと揺らすような描写からも、なんとなく海から陸へ「我が子のもとに届く亡き母の声」を連想させるような、不思議と穏やかな読後感だなとわたしは感じましたねぇ。

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