小さな王子の贈り物
以前読んだ「和光同塵」がアプデ後は別ストに差し変わっているものと聞き慌てて履修して参りました。うーん…、正直な感想を述べていいのなら、これは本当にこれまで数年わたしが好きで耽読してきた同じ『恋と深空』の「世界の深層」なのか…? っていう、限りなく違和感に近い初めての読後感かも知れん。いやもちろん偉そうに批判だとか評論をする意図は一切なく、作品世界そのものが壊れてるって話でも全くないのだけど、個人的にはいつも「いちばんの楽しみ」であり「強み」でもあると感じていた「この作品における短編ならではの深い構成思想」が今ストだけ特別に薄味だったかなぁっていう、いち読者の身勝手で率直な所感でございます。
「贈り物」
今ストは「王子殿下」としてフィロス星に誕生したセイヤが王室と民衆から寄せられる期待と責任の中で成長し、やがて自ら選んだ仲間たちと共についに王宮の外へ踏み出すまでを全知視点で丁寧に描いた物語。一篇通して中核に置かれているのはタイトルにある通り「贈り物」である。
冒頭で描かれるのはひとりの赤子の誕生であると同時にひとつの器の誕生でもある。王都の鐘塔が一斉に鳴り響いたその瞬間からセイヤはすでに「この時代でもっとも輝かしい文明を受け継ぎフィロスの未来を背負う存在」として星中の祝福を一身に受け、成長報告は毎月発表され、些細な出来事がニュースとなり、誕生日には毎年王宮を埋め尽くすほどの贈り物が届く。ただし幼い彼はまだその熱狂をうまく理解できない。自分は特別なことを何もしていないのになぜ皆がこれほど多くの贈り物をくれるのか、それは純粋な好意と言うよりも何か名前の分からない重さや騒がしさを伴うようなものだった。
この問いに対し王妃は「皆があなたを好きだから」とは答えない。彼女はむしろ「民衆は自分たちの祝福と期待を寄せる場所を必要としている」のであり「セイヤはたまたまその場所として選ばれた」ものと幼子には一見現実的過ぎる世界の仕組みを語る。民衆から王子へ届けられる「贈り物」は祝福の品であると同時にフィロスの未来を背負って欲しいという「期待」でもあるのだと。
一方セイヤが初めて自分で選び取る贈り物は民衆から届くそれらの品々ではなく剣術の先生から無造作に投げ渡された素朴な木剣だった。倒されても助け起こされるのではなく自分で剣を支えに立ち上がる。小さな手で柄を握り締め眠るときでさえ手放さなかったその木剣は、彼にとって「自分で立つこと」を覚えた最初の「贈り物」。これまでの贈り物が外側から一方的に注がれる期待であったのに対し、木剣は彼自身が受け取り、握り、手放さないことを選んだものとして繰り返し粒だてられる。
中盤は王妃の死を境にそれまで祝福と見えていた期待がいよいよ責任へと姿を変えていき、セイヤは「王太子」としてより重い役割の中に置かれ、王は早急な政務の引き継ぎを望み、王宮は彼を次代の統治者として囲い込むようになる。しかしセイヤは父の敷いた道をそのまま歩むことを望まず「王妃がかつて通ったアストライアー聖騎士学校」へ進学。ここで物語は「王宮の内側で期待を受け取り続ける王子」から「王宮の外で自ら誰かと出会おうとするセイヤ」へと視点を移していく。
個人的にはアストライアーでの仲間たちとの出会いがこの物語における最大の贈り物のひとつになるのかなと。彼らによる誕生日のサプライズは王子という役割に向けられた祝福ではなくセイヤ自身に向けられた「贈り物」。友達も先生もライバルもこれからは自分自身で見付けていかないといけない、彼らは誕生日プレゼントのように向こうから届けられたりはしない、けれど「それは贈り物を開けるよりずっと面白いこと」だというかつての母の言葉を想い起こし、彼らからの贈り物を「すごく気に入った」と反芻するセイヤ。これは序盤で描かれた贈り物が「向けられる期待」から「選び取るもの」に変化する木剣の再演であると同時に、亡き王妃の「嬉しくもどこか寂しい願い」の回収シーンでもある。
そしてクライマックスでセイヤが護衛長シャランから手渡されるのは王妃が彼に遺した最後の「贈り物」。成人式典の夜、王太子としての礼服と冠、祝宴と儀礼がセイヤを取り囲む中で、彼は母からの「手紙」と「観星台の鍵」を受け取った。手紙の内容はまるっと全文が明記されており、母が兼ねてから我が子へ贈りたかったものは「期待」ではなく「自由」なのだということ、王太子として立派に振る舞うより先に自分自身を愛し立ち止まれる場所を持って欲しいということ、それは誰かの期待に応えるためではなくただ「セイヤ」としていられる場所の保持であることなどがあまねく綴られている。これ手紙には「鍵は封筒の中に入っているわ」って書かれていながら実際には銅の留め金を外し蓋を持ち上げた精巧な木箱の中のベルベットの敷布の上に「封筒と並べて置かれている」ってところには何か意味があるのかな? すごく細かく描写されていたけども。
その鍵によって開かれた観星台後方扉の先に「王宮の外へ続く小道」があることが今ストにおけるささやかな叙述トリックになるのかな。幼いセイヤは贈り物の山から逃げて木に登るけど、鍵は「王宮の祝宴から逃げて閉じこもるための避難場所」ではなく「王宮の外へ踏み出し未知なる道の始まりに立つための入口」だったっていう。秘密基地に掲げられた「ロールバック」の旗は確かに粗末なものに違いないけれど、今日が「今までの人生でもっとも多くの贈り物を受け取った誕生日」であることを振り返り笑みを浮かべながら「王子として与えられた場所」を出て「セイヤ自身が選び取った仲間」と「選び取った道」を行くことを決意する、という締め括りになっている。
なんと言ったらいいか、始めから終わりまでとにかく分かりやすく丁寧かつ親切ですよね。ひとつの状況を描写するのに必ずふたつ以上の説明が入る。贈り物というモチーフの変奏には通して「含み」や「濁り」がない。民衆からの贈り物は期待であり、木剣は自立であり、キノアたちは自分で見付けた仲間であり、母の鍵は自由。セイヤが何を背負わされ、何を受け取り、何を選び取ったのか、一篇丸ごと「贈り物」に収束する短編だったんじゃないかな。
従来の構成原理
これってわたしの愛する本作テキストコンテンツ群の中では正直めちゃくちゃ異質な構成思想です。読者が掘る前に作品側が「この話は贈り物を象徴とした期待と自由の話です」とかなり強めに主題を明示していてこちらが読み解くべき余白がほとんどないという。
内容で言えばこういうのんびりほんわか話は過去にも多くありました。たとえば通信指令室管制員の視点から「最前線のハンター」の日常が描かれるような小話では、霊空行動部のつわものぶり、共闘するセイヤと彼女の圧倒的な強さや鮮やかさが強調され、群衆からは歓声が湧き上がり、最後にはヒデが「彼らがいる臨空は安全だ」と確信する、これだけ読めば物語は臨空市を守るハンターたちへの賛歌、最前線のハンターを称えるストーリーとして完結していると見える。けれどそこに「武器も持たない訓練も実戦経験もないヒデが唐揚げ弁当を放り投げ少女を庇う一幕」が挟まると読後の感想はテキストと同じ訴え同じ焦点のまま「ハンターはすごい」にはならない。むしろ「この街の平和は特別な力を持つ選ばれた者たちだけの手で守られているわけではない」になる。作品が「読んだもの」と「読み終えて立ち上がるもの」の二層でできている。
あるいはトウさんがホムラの代わりに美術出版社の取材を受けることになるあのサイドストーリーだって、表面的にはまるで自分の習慣を茶化しているかのように放たれた「雅と俗は紙一重」なんて彼の何気ない一言からも、それこそ俗っぽい日常の中にある風雅であるだとか、アートと商業の境界であるだとか、敗北した者の自己認識、ホムラという天才に対する距離感、トウ自身にも返ってくる慰めや救済、そういう奥行きが読み終えてじんわりと立ち上がってくるような骨組みになっていたんじゃないかな。要は作品側が「こういう意味で言いました」と説明するのではなくて、読者が言葉の置き方や行間からある解釈を構築する作業ができるような表現が特徴であり魅力でもあったと思うのだよね。
加えて恐らく翻訳文だからなのだろうどこか海外文庫っぽい少し乾いた硬質さとさらりと置かれる比喩の含みがとても好きな手触りだとも感じてて。誰かの台詞や状況描写の隙間にいろんな意味が沈んでて、それを「読みながら立ち止まり拾っている感覚」って言うのかな。体感としては「脳内メモリが少し熱くなる」ような。乙女ゲームではあんまり味わえないそんな充実した読み心地が本当に好みだったのだ。
今回は「期待」「責任」「自由」というテーマを本文がはっきり言語化しているし、モチーフも「期待として寄せられる贈り物」と「自分で選び取る贈り物」が解説を交えながら交互に配置されていて捻りが入ることもない、海外文庫と言うよりむしろ児童文学とか教科書的な文体や構成に近かったんじゃないかな。乾いた鉱脈みたいに埋められているものを拾うのではなく、目を通せば全部向こうから流れてくるような潤った手触り。もちろん語りの設計の中にはたくさんの技巧が散りばめられてるし、どちらが良い悪いではなく「好みで分けるなら」という区別です。作品としては変わらず完成度が高く感動もしたし大満足の読み応えでした。
個人的には今スト「贈り物」よりも「剣」に象徴されるものがもっと深みがあって良かったなって思ったよ。幼いセイヤが最初に自分で選んだ贈り物は木剣、でも最後の剣術の授業では先生が「騎士は剣を固く握ることを学ぶが王になるには時に剣を置く必要がある」からと「いかにして剣を手放すか」を教え説く。つまり幼いセイヤは剣士でありたいわけだよね。自分で剣を握り、自分で立ち上がり、自分で戦う者。でも王になるということは必ずしも自分の手で戦うばかりではなくて、時に誰かを犠牲にし、全体のために個を諦めることでもある。ある時はそれが「責任」かも知れないし、ある時は「自由」のためなのかも分からない。
これが成人式典の夜に礼服を脱いで騎士服をまとい晩餐会をすっぽかして庭園に通じる扉を開けようとする王太子が「剣を握り」まっすぐに自分を見つめてくるのを同じように見つめ返しながら、ああこの子はかつて剣を抱え飛び出したあの小さな王子と何も変わらないのだと思い至り、さっと一歩下がり体を横に向けて道をあける護衛長シャランに繋がるのは本当に見事だと思う。幼いセイヤは初めて自分で選び取り長らく握ってきたその剣を「なぜ置くことになるのか」が分からなかったけど、成人を迎えたセイヤは置くことの意味を理解したうえで「剣を王制には預けない」と示してる。自分の手で握ったものは自分の意志で握り続けその時が来れば自分の意志で手放すことを選ぶのだと。そしてシャランは彼が「始めからこうだった」ことを静かに悟るというね。
これまた過去ストで言うとたとえば「隣り合わせの生存」みたいに「音」で始まり「音」に終わる間接描写がロウハの「変化」だったんだ、ていう思わず膝を叩くような発見の快感ではないものの、今ストの中ではここが唯一「深空っぽい」反復として機能していたような気がするよ。
勝手に仮想構成
そもそもお前の言う「深空っぽい」って具体的になんやねんってとこ考えてみたのだけど、ちょっとここで「もしわたしが思うこれまでのサイドストーリーに近い手触りを想像するなら」という話をこれが最初で最後のつもりで一度だけしてみてもいいですか? 決して「こうして欲しかった」って主張ではなく「これが深空サイストあるあるだ」っていうお遊び余談の意向なのだけど、万が一読んで嫌な感情になった方いたら即刻削除しますので遠慮なくお申し付けください←
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まずわたしの思う「深空ならこういう構成にしがち」ひとつめは「クライマックスを物語の現在地点にしがち」かな。今回なら成人式典の夜、それもセイヤ本人ほど主題が前に出過ぎない「護衛長シャランの視点」になるのがより「ぽい」んじゃないかと思うなど。すると冒頭は晩餐会を目前に王宮中がセイヤ捜索に騒然としているような場面、そしてシャランは「またか」と独り言ち溜め息をついていたりする。問題の王太子がまだ幼い王子だった頃、思い返せばほんの数秒目を離した隙に彼は贈り物の山から消え木剣を抱え木の上で眠ってた、ただし王妃だけは慌てる素振りなく彼を見上げて笑ってた、ここでそんな回想が入るようなイメージ。
とは言え王妃とセイヤのやり取りには「贈り物は期待でもある」だとか「期待は責任に変わる」みたいな主題語は一切出てこない。王妃はたとえば山積みの贈り物を前に困惑するセイヤを見てただ一言「全部を抱えて歩かなくてもいいのよ」って頭を撫でるくらい。それらが「期待」や「自由」を指していたのだと気が付くまでの思索は丸ごと読み手に委ねられていたりする。わたし的にはこれくらいがとても「深空っぽい」。
で、物語は再び現在地点に戻る。王宮に警戒態勢が敷かれ、各所の門や廊下は厳重に封鎖され、パトロール隊が四方に散って消えた王太子の姿を懸命に探し回っているそのさなか、シャランは「礼服から騎士服に着替えたセイヤ」が護衛の目を避けて庭園に通じる扉に手を掛けようというところにばったり出くわしてしまう。一方その頃「城外の森」では「なんとなく友人がこれから先あまり自由でいられなくなるような気がしている」キノアが急遽変更された「計画」の頓挫を案じあれこれ思考する場面がカットインしたりして。するとこちらには果たして今シャランがセイヤを捕まえる側なのか逃がしてくれる側なのか緊張感が生まれたりもする。そういうスリルのための視点や時系列の行き来も「深空ならこういう構成にしがち」のひとつだと思ってるw
最後の剣術稽古の回想はここに入ってもいいかもね。初めて自分で選んだ贈り物である剣でさえ握ることも手放す自由すらも自分のものではなくなっていくということを教えられたセイヤがじっとうつむくのを見て何かを感じていた過去のシャランが、いま目の前で剣を握り締め黙ってこちらを見据えているセイヤにそっと道を開ける現在のシャランに繋がるっていう流れ。しかもこの場面で強調されるのは「手紙」よりも「鍵」の方。原文では「鍵=自由」だと手紙が明示するけれど、わたし的「深空っぽい」筆致なら鍵の意味はきっと最後まで解説されない。シャランの視点からは封筒の中の数行だけが見えるので読者が知り得る王妃の言葉は「これはあなたのためだけの場所」「誰にも報告しなくていいわ」「静けさが欲しくなったときに星を見ていらっしゃい」とかそのくらい。
となると、鍵は「成人式典の日に渡して欲しい」と託されているよりも「あの子に必要な時が来たら」くらいのヒントに留めてある方がもっと「ぽい」のかも。いざセイヤへ手渡すとき添えられる一言も「きっと今夜は殿下が剣を抱いたまま眠れますように」くらい間接的で、すると式典後はもう木の上でまどろむこともままならなくなるのだろうこと、王になるため剣を置けと言われても彼はまだそれを手放すつもりがないはずだとシャランが確信しているのだろうことはその台詞から読み手が感じ取るものになっている。続けて「殿下ならお父上とは異なる道を歩んでいける」「フィロスはより良い未来を手にすることができる」なんて親切に全部言わずとも「そう信じて道をあけてくれたのだろうことは分かるでしょ」とでも言いたげな行動描写がひとつ挟まればなおそれっぽい。
出航シーンの「今すぐだ」はここで「ありがとう」「でも今夜は眠らない」的な返答で済ませてしまうのも「ぽい」かもな。この日がロールバック計画のいよいよ本始動になるのだろうことは直前キノアとのやり取りで分かっているはずなので、あるいはセイヤが観星台の後方に城壁が一角だけ途切れている箇所を発見し「王妃が残したその場所とは実は城外へ続く暗い小道でもあったんじゃないか」って反転が読者の身に起こったタイミングで視点は「騎士服の裾を翻し星明かりの方へ歩いていく青年の姿を無事見届け終えたシャラン」の位置に戻ってラスト締めってパターンもまた「あるある」な気する。最後の一行で「シャランはようやく気が付いた」「王妃が託した贈り物はあの子の自由な選択を見送るための愛だったのだ」とか、もしくは「その夜シャランは初めて王子を見失ったことを王へ報告しなかった」とかだけでもいいよね。むしろそれくらい余白を残して終わる方がもっと「深空っぽい」まである。
タイトルもこれだけ本文が押している「贈り物」をまた前面に出すよりも、敢えて『見失うための護衛』とかって護衛長の役割が「王子を見失わないこと」から「彼が自分の選んだ道へ発つのを許すこと」に遷移した方へフォーカスが向いているようなパターンか、もしくは「焦土の上」みたいに本文を読んだ後で改めて意味の繋がる単語を並べているパターン、王宮=生まれ、城壁=期待と責任、壁が途切れた一角=母が残した自由ていうざっくり展開を集約して『城壁の切れ目』とかもめっちゃ「ぽい」に入る気がするw
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って、あれ? わたしは今酔っ払って一体何を書き散らかしていたんだ? (殴
分岐点と収束点
そもそも今回のサイドストーリーはこれまでのような「文芸として楽しませるための短編」というより「王子殿下セイヤの幼少期・母の死・王太子期・ロールバック隊の原点を一気に補完するための情報整理回」として敢えて情緒も構造も分かりやすさに振っていたってことなのかも知れないね。本編セイヤ軸のロールバック前史を今一度一話で整理して広い読者に誤解なく補完する必要があったなら、読み手に行間を委ねないこの明快さにはきっと意味があったのだろうと思う。
それで言うと今回改めたくなったのは伝説「星々の散る場所で」終盤で彼女が立ち戻った「分岐点」とは一見その「同じ世界線上のある過去の地点」を指していたようで厳密にはすでに履歴が違う「別の世界線上のある過去の地点」になっていたのかなってちょっと思った。
と言うのも、わたしはこれまで「王太子擁立式典の前日に姿を消したセイヤの世界=指間の流星」が「後に分岐点へ戻ることになるセイヤの世界=星々の散る場所で」と地続きのものだと考えていたのよね。つまりセイヤはアストライアー時代王太子にはならない、200年行方不明、服喪期間が明けて彼女が女王になる、ロールバック隊は「追放された騎士」になる、彼女が星の餌になる、ここで初めてセイヤが王になる、そして分岐点に戻る、すると戻った地点は「王太子にはならなかったセイヤが作った分岐点」だったのだろうなって。
ところが今ストでは「分岐点」つまりセイヤが師匠にお叱りを受けながら一瞬だけ「時が静止した」ような気がして思わず周囲を見渡すあの「夏 王都の郊外」以前に「セイヤがすでに王太子になっている世界」が描かれている。正確に言えば今回キノアの言う「図書館の下の秘密基地が師匠に見付かった」がそのまま「夏 王都の郊外」に該当するのかは判然としないけど、少なくとも王妃が崩御して以降「王太子と王の間には次第に距離が生まれていた」ために彼は「王妃がかつて通ったアストライアー聖騎士学校に入学した」と言うんでこのセイヤは「進学時すでに王太子として擁立されている」わけだよね? ここから彼を指す呼称として「王子」と「王太子」が混在し始めるけど、うーん王子は身分全体を指す呼び方として残るのでその辺は単に場面ごとに強調したい意味が異なっていたものと読めたかな。
ちなみに「王太子擁立式典」と今回「成人式典」は恐らく別物だよね? 王太子擁立式典は「王子=生まれた時点での身分」を正式に「王位継承者=王太子」として立てるための儀式なんだと思うけど、成人式典は王族の誰かが公的に成人だと認められる儀礼であり今回セイヤは「王太子の礼服を着て成人儀礼に出席する予定だった」って話になりそうな。するとこのセイヤは「王太子擁立式典の前日に姿を消したセイヤの世界=指間の流星」ではない「アストライアー入学時点ですでに王太子として擁立されているのだろうセイヤの世界」に属していることになると見える。
となると、分岐点に立ち戻ることを単なる「巻き戻し」のような出来事として理解していたこれまでのわたしの認識がたぶん誤りで、そもそも深空の「世界線」がよくあるパラレルワールドの分岐宇宙ではなく量子的な可能性の揺らぎがデコヒーレンスによってひとつの観測結果に定まる構造だとするならば、恐らく「王太子擁立式典の前日に姿を消したセイヤの世界=指間の流星」と「アストライアー入学時点ですでに王太子として擁立されているのだろうセイヤの世界」は「分岐点を起点に分かれた別ルート」なのではなく、フィロスが崩壊へ至るまでの無数の可能性の束の中で「ある観測結果ではセイヤは王太子にならず別の観測結果ではセイヤは王太子になった」という関係だったのかも知れないなって。
もしかしたらこれが今ストの大きな示唆だったのかな。普通のタイムリープなら「A世界の未来からA世界の過去へ戻る」になるところ、エーテルコアの力は「A世界の未来から近似する別の可能性B世界の過去を観測・確定させた」ってことが言いたかったのかも知れん。Aではセイヤは王太子擁立式典前に消えた、Bではセイヤは王太子になっている、でもどちらにも同じ「彼が作ったロールバック」という分岐点がある、それは必ずしも同一履歴上の同じ点なのではなくて、複数の可能性世界に共通して存在する「収束点」のような意味合いだったのかも知れない?
仮にそうなら改めて灰城の彼女の回帰は「今度こそ道を違えない」という強い想いが「セイヤと常に同じ方向を向いていられる可能性のある世界を選び直した」という読みができそうね。A世界でフィロスは崩壊するが彼女は「分岐点」に戻る、ただしそれは同時に「収束点」でもあって、A世界の完全な過去ではなくA世界での後悔を反映した別の観測結果B、そこではセイヤはすでに王太子になっておりフィロスの制度状況も星象もまるで同じではなくなっている、みたいな。
そしてB世界が必ずしも「都合よくもっと良くなった世界」ではないことがたぶん重要なのだろう。確かに「幸運の循環」でもセイヤは王太子だったけど、恐らく王の没後200年の服喪期間中なのだろうあの場面では結局貴族たちが実権を握り「巡礼」は美化されて人々は「星に喰われても再び別の地点で目覚める」なんてことになり始めていたもんな。条件は変わっても問題の本質は解決していない。違うのは「ふたりが道を違えたか否か」ってことなのか…