一念済度
こちらは先日実装されたホムラくんの限定日位思念「玄面」のペアカードに収録されていた伝説ストになりますが、いやーログイン早々突然の武将姿にめちゃくちゃおったまげてしまったよ。今回はまたがらりと装いを変えてらっしゃって。
そして読み終えて率直に、個人的には本作伝説群の中では歴代級に好きなエピソードのひとつかも知れません。なんだろう、もちろんたまにあるちょっと生々しい肉感的な描写とか情熱的なキスシーンなんかも言わずもがな大好物ではあるんやが(変態、それよりもただ不意に手を取る、酒を仕込む、相乗りする、そういう何でもない動作から漏れて伝わってくるような少しずつ膨らんでいく恋情みたいなものにやっぱりいちばんドキドキさせられてまうんだわたしは←
あとは古典的で王道かも知れないがどうして乙女系作品から戦乱物・歴史物が永遠に淘汰されないのかって、きっと明日の生死さえ分からない戦場で交わされるごく日常的な会話や些細な約束が途方もなくピュアで切実な重量を持つ愛の言葉になり得てしまうところにあるのだなと改めて深く感じ入りました。「これあげる」「またここで」「春になったら」「一年経ったら」、そんなやり取りがまるで消え入りそうなほど儚くて危うく響くのに、同時に決して折れない信念や底知れない強さを秘めた命懸けのプロポーズのようでもあるのよね。
きっと読む方によっていろんな解釈があるはずだと思うけど、わたしに限っては今回の「武神編」を一旦「海神編」の前史もしくは後史という一本の時間軸では今のところ考えてなくて、リモリア人であり海神である本編ホムラに繋がる同じ観測空間の同じ座標上には存在していない、とは言え観測できない別の世界として深空のどこかには理論上存在している、要するに「多世界解釈的単一宇宙」の中で重なり合い揺らぎ合う「無限に並存する可能性世界」の内のあるひとつの物語を描いてるってことなのではなかろうかと現時点では理解しているよ。これはレイで言うところのエングルや図書館のような量子的位相管理網を用いれば金色の糸や古書の姿で確認できる「別世界」なるものと同じものの認識になるのかな?
と言うのも、正直わたしの中では海神の誕生譚があまりにも強烈過ぎるのだ。羅鏡を読む限り恐らくホムラはリモリアの三十三代目にして最後の海神、それも朝と夜の変わり目の炎の中から生まれたという独自の始点を持っていて、さらに後世数千万年間そこに封印されていたという連続した存在史がある。かつ本編地球には2048年より数えて千年前には確かに鯨落都へ辿り着くことができたリモリア人というものが存在し、彼は臨空市南東沖海底になお現存する周辺都市遺跡の出身、さらに未来異文明はおしなべてこの地球と人間とを故郷だとか祖先だと認識している。世界の深層「一編の童話」で語られたリモリア文明の誕生論が本当に「原始地球に生命が息吹いた瞬間から」その感受性を可視化して記録するための芸術というクロニクルなのであれば、もう単純にその前後に同じ地球上の三国志時代を思わせる「別世界」が挟まる余地がないという稚拙な理由である。
何より「テーマ」として直列にすると今スト「済度」が完成し「縛りから解放されること」を命運の昇華としたはずなのに、前後に「さてまた縛られて誕生」はやや不自然な気がするのよね。それよりもこの二編を並列としてみたとき、両者にはまるで「同じ宇宙が何度も違う条件で算出する無数の観測空間」を思わせるかのような「不変項」つまり「どの世界でも必ず起こること」が含まれているように見える。
具体像こそ明かされないが今スト最終話で老人が語る「三層の命運」とは、たぶん魂にはひとたび生を受けるとまずは本来辿るはずだった命運という「正途」の層、ただしある時点で別の選択をしていたなら辿っていたかも知れない「岐路」の層、そして岐路の層で結ばれた「魂引」が招く「逆命」の層なるものが存在すると言っている。逆命に落ちた命運は「生が尽きても魂を縛るもの」となり、魂引で結ばれたもう一方の魂が「同じ轍を踏み代わりに縛られる」もしくは「あるべき道に戻り本来の生を全うする」ことで初めて一緒に「解き放たれる」ものなのだと。これって一見「武神編」の主題であるかのようで実は「海神編」のまるで要約になっているような。
たとえば火種となるはずだった彼女は若き海神ホムラがこれに抗ったことで生を全うして転生し、一方で彼は海底に縛られることになる。ところが数千万年後、今度は彼女がもっとも敬虔な信仰を捧げたことでホムラはリモリアの少年として再誕し、代わりに彼女は星に不滅と人類に不老不死をもたらす個体として宮廷に何万年縛られることになる、みたいな。
しかも「逆命」は単なる過去世からの縁という話ではなく「命運の道筋が交差して生まれた影」だとも語られる。平たく言うと「忘却の海」が仮に彼の「正途」なのであれば「別の選択をして死を辿ったかも知れない彼女」の存在する物語が「岐路」の層、するとそちらの彼女を「魂引」とした「逆命」の束縛がホムラの身に起こる、あるいは「羅鏡の儚き声」が仮に彼女の「正途」なのであれば「別の選択をして死を辿ったかも知れない彼」の存在する物語が「岐路」の層、するとそちらの彼を「魂引」とした「逆命」の束縛が彼女の身に起こる、といった具合である。
こう言われるとワンチャン「同じ宇宙が何度も違う条件で算出する観測空間」同士が干渉し合い、あるいは「別世界で海神に花嫁が信仰を捧げたこと」が「武神ホムラの逆命」を招いているのではないか? と考えたくもなるのだが、個人的には老人はあくまで「あるひとつの生を受けた魂」の「現世での命運の影の層」を語っているのであり「量子力学的多世界解釈宇宙」を説いているわけではないと見えるので、きっと今スト武神ホムラには「赤霄将軍の今生」という命運の「岐路」の層にあたる「今回の観測空間における」別層の物語というものがまたどこかに別で存在するという話なのではないかな? と思ったり。
戦功にはまるで興味がない、それよりも管弦や書画に生き生きする彼なので、たとえば初陣の命令を辞退して世継ぎの座を剥奪され祖国を追われることになろうともどこか静かな場所で愛する人と忍びやかに暮らすことを選んでいたかも知れない「岐路」の層。あるいはここで庇い立った彼女の方が先に命を落としてしまったかも知れないもうひとつの物語。
ここからは完全なる妄想になるがひとつ心当たりがあるのがさ、年始に配信された「絢爛たる歳宴」って合同イベントがあったじゃない。雲部国が資金を投じた採掘現場で本物の鉱石がいつの間にか無価値な石ころにすり替えられている、みたいな難事件を酒楼の店主に扮しひたすら盗み聞き一本やりで解決に導くっていうあのミニゲームがあったやつ(言い方
ホムラは「他国からの使節皇子」という設定になっていて、それも今スト「如魚君」とはまるで同じ衣装・同じ髪型をしていたような。もちろん今回のちに赤霄将軍となるホムラは「燮皇帝の若殿下」、絢爛たる歳宴のホムラは「昭勤王延の若殿下」と国も時代も一致してないが、どちらも同じ「文化教養と武芸を備えた自由気ままな若い皇族男性」であり、しかもイベストで彼は歳酒を「一年後に一緒に封を開けて飲める」と言う、今ストでは「来年の春一緒に飲む約束をしよう」と言う、イベストでは「四季折々の美しい景色を君に贈る」と言う、今ストでは「全ての四季の風景をふたりで楽しもう」と言う。ぶっちゃけ思念ストまで読めてないんでなんとも言えないが、ここまで露骨だと少なくとも昭勤王延若殿下ホムラとは燮皇帝若殿下ホムラのあるいは「別層の物語」を意識させる造形だったのでは? と勘繰りたくもなる。いや正直あのふたりが「じゃあ一年後の歳酒を一緒に飲めなかったのかも知れない」だなんてまじで考えたくないけども(鬱
今スト栗毛色の荒馬にホムラは「紅」と名付けるが、これも昭勤王延若殿下ホムラが最後に彼女と交換したのは「紅紐」と「紅玉の腕輪」であり、それらは「ふたりの手首が触れると絡み合う赤い糸のようになる」なんて言われていたような。まあこれに関しては今回「魂引」の証であるふたりの手の甲の「合わせると円になる赤い双魚」の起源がこの紅紐と言うよりは、ある命運では彼女が差し出す側となりまたある命運ではホムラが差し出す側となる、幾重に交差する物語を通じ互いに救い救われる関係を揺らぎながら繰り返し均衡を取り直すふたりの世界そのものを表した陰陽魚がそれになると言う方がしっくりきたりもするが。
いずれにせよ恋と深空がいよいよ「大きな世界設定の開示」から「それを前提に繰り広げられる物語」という新たなフェーズに入ろうとしているのだなと感じられてまたこれからが一層楽しみになりました。わくわく。
武神ホムラ
早速ですがこういう時代劇や戦記物はわたしが作品冒頭文で明かされる地理と年表を始めに整理して頭に入れておかないと途中で読めなくなるタチなんでまず最初にそれをやらせてください←
- 300年以上前
- 王朝は「燮」。
戦火が四方に広がり国運が傾いたことで燮皇帝の若殿下ホムラが将軍として戦陣へ。初陣では単騎で敵将の首を取り、その後も連戦連勝。「赤霄将軍」の異名がつく。 - ちょうど300年前
- 赤霄将軍ホムラは哭沙関外「烈火道」と思われる場所で民の退路を守るためひとり古木の下に残り戦死。享年24歳。その後「葉が燃え金葉となって天へ舞いホムラは九天に昇り武神となった」という伝説が成立。
- その後300年間
- 旧燮国政権の崩壊。衡国の兵士Aが燮国を「前王朝」と発言、さらに兵士Bは複数勢力の境界に位置する「銀鼓村」の入り口の王旗が「これまで何度も替えられてきた」と発言することから恐らくこの期間は長く中央統制のない諸侯戦国時代。政権や国境は入れ変わるが村では武神ホムラ信仰が存続。将軍祠、遊神、皮影戯など、神事や伝承が広く定着。
- 彼女が誕生
- 衡国の将領家系に生まれ「衡寧城」で育った彼女もまた「赤霄将軍のような英雄」に憧れる幼少期。衡国には朝廷が、そして敵国である丘国にもどうやら城楼や将軍府が存在することから恐らく「衡」の方がやや歴史ある帝国、「丘」はこれに反旗を翻す実力主義の大国という勢力図の二国戦争時代。
- 彼女が10歳
- 丘国の侵攻によって衡寧城が陥落。城は「丘鉄城」に改名され、彼女の家族はその殺戮の中で全員死に、哭沙関外は全て丘国の領土となる。
- 彼女が15歳
- 天涯孤独となった彼女は衡国軍に入隊。
ただし衡国の統一王朝を志してというよりかつて家族と過ごした大切な故郷の奪還を誓って。 - 現在
- 哭沙関の征戦で衡国軍がめちゃズタボロにやられ主帥が死亡。ただし彼女の隊は丘国将領を捕虜にして撤収。今は衡国の領地なのだろう銀鼓村へ立ち寄り、たぶんこれから敵将の身柄を引き渡すために衡国軍事拠点を目指すのだろうところ。
冒頭ここまででもっとも強調されているのはひたすら「武神として祀られるホムラ」ではないかな。銀鼓村は兵家必争の地、つまり「誰がここを取るかで常に争奪戦が繰り広げられるような合戦の絶えない場所」であり、そんな土地で村と民を守る神となったホムラは英雄崇拝に近い信仰の対象として300年、たとえ政治的支配者が変わっても村人たちにとっては不変的権威であり同時によりすがるべき守護者でもある。遊神の神輿に乗った泥塑の武神像はまるで命が宿っているかのごとく人の心を射抜き、「崔九」を名乗る旅芸人が披露する影絵芝居の中で百戦百勝を演じる赤霄将軍の紙人形は美しくも勇ましい姿で光の中を昇天する。
数日に及ぶ苦戦の惨状から消耗した部隊を率いなんとか村へ辿り着いた彼女は、そんな光景にふと目を留めながら、思えば幼少期から同じ影絵芝居を何度も語り聞かせてもらっていたこと、そして確かに自分もかつては英雄ホムラに憧れていたものの、本物の戦場を実際に嫌と言うほど駆け抜けてきたであろう今は「戦火が絶えない場所ほど人々は信仰にすがって生きていくしかないものなのだろう」とかなり引いた視点でこれを捉えるようになっている。
そんな村での束の間の休息を挟んで翌朝、帰還までの道中とある峡谷へと足を踏み入れ「燃え立つような秋の葉」に覆われた「烈火道」なる場所に差し掛かったところで待ち構えていたらしい丘軍側からの奇襲を受けた彼らは、奮起して迎え撃つもすでに満身創痍であり劣勢は明らか、兵士はひとりまたひとりと地面に伏し、囚人車に捕えていたはずの丘国将領もどさくさに脱走、最後まで力戦するも深手を負い敵兵に囲まれて小高い場所に立つ古木の下へ追い詰められた彼女はついに己の死を悟りながら、その状況が伝説にある「赤霄将軍ホムラの最期」と酷似していることに気が付き「もしかして彼はこの同じ木の下で天に昇り武神になったのかな」と思い馳せたりする。
この場面とても象徴的なのが、戦地最前線で兵士を束ねる頭領が「百戦百勝の英雄であり万民を守る武神の聖地と思わしき場所」でひとり窮地に立たされたとなれば本来なら「赤霄将軍助けてください力を貸してください」と祈りたくなっておかしくない。でも彼女は「300年前に彼がこの場所で死に際に抱いた想いはどれくらい私に似てただろう」になるのよね。つまり彼女だけが「伝説の武神ホムラ」を「24歳で傷だらけになってこの木の下でひとり死んだ青年ホムラ」に戻してる。海神の物語にも通ずるこのふたりの永遠のテーマなんだろうなってめちゃ思う。
そしてかつては「いつか必ず衡寧城を奪還する」と誓い立てたはずの彼女はいざこうして死を目前に決して「故郷のために」「衡国のために」英雄的に死にたいとは思っていない。長い戦争の果てに「故郷は夢の中で遠ざかるばかり」であり、今や「ここで死ねるなら神になっても鬼になっても構わない」「少なくともとても綺麗な場所だから」なんて空を舞う赤い木の葉を眺めてる。それでも最後までひとり戦い抜くので生きる意志そのものを捨てているわけではないけれど、もう随分と疲れ果てその生涯に静かな諦念さえ覚えているものと見える。
そうやって意識を遠のかせているところへ突如「金紅の光」が放たれて、ぼんやりとした視界には泥塑の武神像と同じ「獰猛な仮面」をかぶった長身の人物が顕現。彼は「君に起こされた武神」を名乗り、加えて「僕はここで君が死ぬことを承諾しない」だなんて言い出すが、ここも民間伝承の「祀り上げられて荘厳化したホムラ像」と敢えて対比させるかのようなめちゃくちゃ「ホムラっぽい」ひょうひょうと軽い口振りがとても印象的なシーンだなと思ったよ。哭沙関に始まり烈火道で奇襲を受け深手を負い包囲されるも最期まで降伏せず死、という300年前の悲劇の再演を300年前に死んだ本人がさせまいと降臨するいちばん厳粛な場面で神々しく登場しておきながら、まるでちょっと待ってと割り込んで入る友達のように「僕は承諾しないよ」ってのが実にいい。
今回「金色」の力を使えるのは彼女でなくホムラの方なのね。将軍ホムラは木の葉が「金葉となって」九天へ昇ったと語られるんでそのタイミングで得た力なのか、あるいは命運が交差するたびに彼の方にあったり彼女の方にあったりするものだとも読めるかな。前回マヒルの伝説では「半神半人だとか聖性を宿す天の力は青く反対に半妖半人のような魔の血を引く冥の力は赤い設定なのだろうか」と突拍子もない仮説を立ててしまったが、今スト神であるホムラが「紅色」なんでこれもたぶん全く関係なかったんだろう←
敵兵の軍勢に「この木の養分になりたいなら望みを叶えてあげる」だなんていかにもホムラである開戦を告げるや否や縦横無尽に振るわれる双刃剣で「わずか数呼吸の間に」敵軍は嵐の中の塵と化して雲消霧散、渦巻く炎を纏うその剣技は「飛龍のようにしなやかで力強く驚鴻のように軽やかで機敏」だなんて形容されるけど、ホムラという武神が決して剛勇一辺倒ではない「詩歌・管弦・書画にも通じた美しい王子」という元よりの姿を併せ持つ「武的存在でありながら殺陣まで舞のように優美」であることを示す筆致はここに限らずそこかしこに意図的に散りばめられていると感じるよ。
魂引
赤霄将軍を祀る村のお堂の中で目を覚ました彼女は、昨晩この祠から金色の光が放たれた、すると武神様が衡国の瀕死兵を抱え現れた、なんて村人たちが外で大騒ぎしてること、さらにあれだけ重傷を負っていたはずの身体中の傷がすっかり治癒していることからどうやらあのまま峡谷で力尽き気を失ってしまったらしい自分を彼が神力で癒しここへ運び込んでくれていたのだろうことを理解する。
改めて「あなたは本物の武神なのか」と尋ねれば、もはや泥塑の武神像を「泥人形」呼ばわりであるホムラはそんなものと見比べて馬だ鹿だと判断されたくない「僕はホムラだ」と言ってのけ、とは言え「武神の名がホムラであることは誰もが知っていることでありそれが本物であることの証明にはならない」と返されれば「君が信じる必要も僕が証明する必要もない」ただ「僕は君の命の恩人」なんだけど? なんて意表を突くような回答。彼もまた最初から「信仰による神と信者」ではない「事実を自分で確認する人間同士」として彼女との関係を始めようとしてるのね。
いわく彼女は「僕の現世における魂引」なる存在であると言い、その「契りの証」としてふたりの手の甲には近付けて並べるとまるで「合わせてひとつの双魚紋」と見える「同じ赤い小魚の印」が発光し熱を帯びながら浮かび上がるのだと。さらに魂引で結ばれたふたつの魂というものは何やら一方が「生」を終えていても一方に「命力」があればそれを「依り代」にして「人の姿で現世に留まることができる」という仕組みであるらしい。
ホムラには「人の姿で現世に留まりたい理由」があるらしく、彼女には「助けてあげたお返しに依り代を引き受けて欲しい」なんて持ち掛けてくるのだが、この辺のやり取りもなんだかとても駆け引き上手なホムラらしい押し引きなのだよね。始めに「実はこの関係があれば僕って君の命も奪えるんだ」なんていたずらっぽくほのめかせてみたり、彼女がびっくりして手を引くと「でもそんなことしない」「ちょっと命力を分けて欲しいだけ」などと下手にも出てみる。命力を削られてあわや戦場でめまいを起こすかも知れないだなんてそんなのやりたくない「契約を取り消して別の人をあたって」と彼女が突き放せば、今度は悠然と確信めいた口調で「むしろ戦場で君を助けてあげられるのにな」って実は彼女がいちばん呑みそうな条件を最後のひと押しにしてみたりして。
まんまと心動かされてしまった彼女は古木の下で垣間見た嵐のようなホムラの剣技を思い出し、あの力があれば「逃がしてしまった丘国の将領をもう一度捕まえることもできるかも」なんて思い立つも、精鋭だらけの敵陣にたったふたりで潜入するとなれば余程熟慮して知恵を絞らなければならないとまずはあれこれ策を練り始める。
なんだそんなこと造作もないと二つ返事のホムラは果たして話を聞いていたのかいないのか、夜が更けるのを待ってひっそりと軍営の外郭に忍び寄り巡視将を眠らせて兵糧庫に火を放つ彼女がさてこれが燃え広がり東の見張り塔が気を取られている間に西側から動いてもらおう、などと思った瞬間すでに彼は正面から本陣を吹き飛ばしているというw
一体何が起こったものかと慌てて駆け付ければ例の敵将をひっ捕らえたホムラが「こいつであってる?」てなもんである。もちろん「百戦百勝」「単騎で敵将を斬る」伝説に遜色ない圧倒的なホムラの強さに爽快感を覚えるようなシーンでありながら、同時に慎重に状況を見て陽動する、損耗を減らす、撤退まで考える、そういう弱い戦力で何年も戦火を生き抜ぬいてきた彼女の一歩間違えば命を落とし兼ねない危うい戦況の数々を思わせる一幕だったとも思う。そして言うまでもなくホムラが激しく戦えば戦うほど依り代たる彼女の命力は削られ耐え難いめまいに襲われてしまうものと。
衡国の要所は今は国境付近に位置する「雁洲城」という名の城楼で、天子や百官が集まることから恐らくは「都」になるのかな? ふたりが捕虜を引き渡すと「大軍の中から敵将を生け捕りにして無傷で生還する」という神業のような戦功は瞬く間に雁洲城中に広まって、彼女は破格の昇進を遂げて戦死した主帥の職である「鋭持将軍」を継承、朱塗りの扁額が掲げられた「将軍府」を与えられ、さらに一緒に帰還した来歴不詳のホムラは「逐烈将軍」として彼女の副将となった。
冊封されたこの日はちょうど衡国の礼節で、日が沈む頃には灯籠が並び、空には花火が上がってる。ふたりは任官と戦勝を祝う賑やかな酒席を抜け出して、灯りを望む城楼で夜風に当たりながらのんびりとお喋りに興じたりするのだが、ここめちゃくちゃ好きで絶対に忘れたくないのでちょっと語ってもいいですか?←
祝宴を一足先に抜け出していたらしいホムラは遅れてやってきた彼女を軒先で足をぶらぶらさせながら手を差し伸べて迎え、引き上げて隣に座らせる。戦功に関心がないならあなたは何のためにここに留まるのか「叶えられてない願いがあるのか」問われると、だとしたら「僕と君は似た者同士」じゃないか、だって君にも叶えられてない願いがあるはずだと頬杖をつき小首を傾げてじっとを彼女を見つめてる。官吏や将兵は15歳からひたすら剣を振るい続けとうとう主帥にまで上り詰めた彼女を生まれつき戦好きの女将軍だと思っているかも知れないが、「やむを得ずってわけじゃないなら誰がこんな道を選ぶのさ」って。
きっと彼自身も本来は詩歌や管弦や書画が好きで、やむを得ず戦争によってそれを奪われてるんだよね。家族を殺されて故郷を失った彼女も同じように大切なものをたくさん奪われて、本当はただそれらが恋しくて帰りたくて戦い続けてきたというだけ。だけど目の前には絶えず生き抜くに精一杯な景色が広がっているものだから、いつの間にか自分が何のために戦っているのか、生き残るためなのか、部下を守るためなのか、敵将を討つためなのか分からなくなってくる。取り戻したかったはずの「本来の自分」が「役割」の中で徐々に色褪せてしまうかのような。
そんな彼女に「戦に勝つための手駒になることは抜きにして僕に留まって欲しい理由はある?」というホムラの問いは、「鋭持将軍ではなく君自身が望んでいることはある?」って問いと同義なんだよね。ただし彼女は長らく「心で思っても人には言えなかった」から、突然そう聞かれても上手く答えられない。敵を倒したい、城を取り戻したい、兵を生かしたいは言えても、私はこれが好き、私はこれが見たい、私はこうして生きたいという言葉は必要とされてこなかった。だから彼の答えは「僕だけに言えばいい」「そのためにここに留まる」になるのではないかな。それが「君が心から望むことなら僕にとって無駄にはならない」のは、たぶん彼自身が赤霄将軍として詩を詠みたい、笛を奏でたい、書画を書きたいを「心で思っても人には言えなかった」からなのだろうと思う。
そして彼女はようやく彼に「役割」ではなく「自分自身」の人生の一部を打ち明ける。それは幼少期を過ごした「衡寧城」の高い城塔の上で家族に抱えられながら見上げた花火が特別大きくて手が届きそうなほど近くに感じられたっていうただそれだけのこと。するとホムラは緩んでいた表情を少しだけ引き締めて「衡寧城で花火を上げたいかい?」、さらに打ち上がる花火を背に彼女に向き直り名前を呼んでもう一度「衝寧城で花火を上げたい?」とめちゃくちゃ優しげな声で問い掛けてくるの、これ一言目は「故郷を取り戻したいかい?」くらいのニュアンスで聞こえてくるんだけど、二言目はあるいは軍事パレードのそれではない「ただの祝日の花火を喜べたあの自分を思い出したい?」「僕も何でもないことを楽しめる何者でもない君を傍で見てみたい」くらいの深みで聞こえてくるんだよ。うーん語彙力がなさ過ぎて上手く表現できないけど、彼女がためらいがちに「上げたい」って答えてくれた瞬間、なんか久し振りにつーっと頬をつたうような涙が流れました…
あとは彼女が祝宴から持ち出してきたらしい酒壺の冷めた温酒を口にして「ほぼ水じゃん」とホムラ、さっと取り上げて「こんなまずいの飲んじゃダメ」「ちゃんとおいしいお酒を飲ませてあげる」って後ろ手に高くそれを掲げるけど、咄嗟に奪い返そうと手を伸ばした彼女が思わず彼の胸に飛び込んでしまい房飾りが鎧に絡まって取れなくなっちゃって、早く解いて身体を起こしたいけど焦るほど上手くいかずに「わ、私そこまでお酒は好きじゃないから…」なんてどぎまぎするくだり、なーんでこんなにドキドキするんだろうねぇ(悶
生の趣
哭沙関の損害と、恐らく相手はホムラが軍営を潰してしまったことで互いに軍事力を回復させなければならない衡国と丘国の国境には束の間の安寧が訪れた。雁洲城が保護するとある山奥の古寺では、遥か西域から「慧瀾」という高僧が赴いて、香煙を焚き数珠を擦って祈祷を捧げる「祈福の会」なるものが執り行われる。本堂へ招かれていたふたりに気が付きふと動きを止めたその高僧は、ホムラに向かい手を合わせ、何やら漢文訓読のような宣講を始めるのだけれど、たぶんここが今回ホムラの「人の姿で現世に留まりたい」ざっくり理由となっている。
彼は戦争のために現世に戻ってきたわけではなく「ただひとりの人を救うため」、そしてそれをすることで「自分自身が縛りから解放されるため」にこうして留まっているのだと。その救いとは慈悲でも護念でもなく「彼自身を差し出して」もたらすものであり、まずは彼女に降りかかる災厄を遮ること、そして彼女の心を解くこと。それが完成すれば「生生流転し念念相縛せん」つまり「生を重ねて流転し念が念を縛り続けることがなくなる」のだとホムラ自身が答えてる。高僧が「なるほどここにいらしたのには因があったわけですね」と言い添えると「因ではなく定めなんだ」と。
となると、ホムラが始めからずっとやろうとしてることは役割や念に囚われている現世の彼女の心を解いて「何者でもないただの彼女」に戻してやることになるのかな? そしてそれは同時に自分自身が縛りから解放されるためでもある。これって本編6部4章「彼女がホムラにしてあげたいこと」に通ずるものがあるけども、ひょっとして彼を「海底神殿に縛り付けようと働くもの」とはいつかどこかで相手のために命を捧げたかも知れない彼女もしくは彼自身の「解かれていない心」「解けない念」みたいなものであると言いたいのかな(悩
ただしこのままではホムラの負う「殺戮の気」とやらがあまりに重く彼女の命力を削り続けてしまうため、それを成すにはふたりが起居を共にして気を調和させなければならない、あるいは殺生から離れ常に「生の趣を味わうことをなさるといい」と高僧は助言する。
これを聞いて「そうかホムラが戦力を使うほど酷くなるあのめまいは一緒に趣を味わえば起こらなくなるものなんだ」と早合点の彼女、ちょうど雨が降り霧が濃くなり始めたことから古寺境内でしばらく休ませてもらうことにして、この山の希少な特産品なのだという「凝露茶」なんていかにも風流な響きである銘茶を「さあ飲んでみて」と急かし立ててみるけれど、趣を味わうどころか「茶を淹れる湯の正しい温度」について説教を始めるばかりのホムラに「これは前途多難かも知れない」と溜め息をついている(かわいい
ここはとても美しい流れだなと思わず唸ってしまったが、そこへとある旧王家の血を引く名門一族が寺へ仏像を寄進しにやって来るのよね。ただし彼らは純粋な信仰心からそれをしているわけではなく、その富や地位の背景にはかつて曾祖先が「財政を潤す優れた改革」と称し塩税を厳しくしたことで民衆を苦しめ私腹を肥やしてきた歴史がある、だから今になって仏像造立で「功徳」を積むことで一族の罪業を軽減させようとしている、つまり本来であれば「真心」を持ってすべきことを「見返り」や「収支計算」でやっていると。
するとホムラは生前よく連れて来られたのだと言うこんな山奥の古寺で、太傅たちに「陛下のために敬虔な心で祈りなさい」などとどれだけ口うるさく言われても「顔もよく見えない玉座に座る影」でしかなかったその人に心を込めて祈ることなんてできなかったこと、ところがある日「足を怪我した貂」を拾って大殿に連れ込んだとき「どうかこの子の足を早く治してください」と神像の前で目を閉じてひざまずき丸一刻も祈ることができたこと、貂はすっかり回復したのできっと「真心があれば願いは必ず通じるもの」であり、同時に「真心とは強制されて生まれるものじゃない」のだと話してくれたりする。
たぶん流れ的に「生の趣」も高僧に言われたからといって「では今から雨音を聴きましょうお茶を飲みましょう」と進んだらあるいは「皇帝のために祈れ」「免罪のために造れ」とあまり変わらなくなってしまうって話なんじゃないかな。生きる楽しさも誰かに命じられて味わうものではなくて、さらに「見返り」や「収支計算」が混じってしまったらますます趣きがなくなってしまう。でも本当に自分の「真心」が動くものへ向かえばそれが結果として「生の趣」になる。
彼自身の「真心」が動く先には今はただ「彼女としたいこと」があって、さらにそれに忠実に行動しているだけで「僕の望みは全部君が叶えてくれている」と同時に図らずも彼女への処方箋になってしまうところがいいんだよね。さっき本堂でお祈りしたときもあなたは目を閉じてたね、に対する「実はこの雨がもう少し長く降り続きますようにと願ってたんだ」なんて返しに全部集約されてるなって思ったよ。
一斛春
ある日「秋水楼」というしばしば風流な金持ちが集い文人遊びに興じているような酒楼から彼女のもとへ急信が届く。聞けば「如魚君を名乗る客人がやって来て見事な所作で毛筆を振るっているがあろうことか将軍府の令牌を質に置いている」のだと言うが、つまりホムラは先日主帥に任官したばかりの彼女が賜った鋭持将軍府の貴重な財産をこっそり持ち出し担保に預けて架空の豪族「如魚君」を演じ文化人たちとお戯れであると(ちがう
慌てて様子を見にやって来た彼女が初めて見る「平服姿」であることに目を輝かせて喜んで「君も来ると分かってたなら始めから声を掛けたのに」なんてはしゃいでいるホムラがとても嬉しそうでなんだかわたしまで嬉しい。不機嫌な彼女は「どうせ私には風流なんて分からないから別にいい」などとむくれているが、机の上の果物をシャクシャクしながら「君も食べるかい?」でチャラにしてしまうところになんかこう無邪気なんだけど身から溢れ出る上流階級っぷりというか、やんごとなき家柄からくる特有の余裕みたいなものがあるんだよなw
確かにホムラは高官や貴族に囲まれて揮毫を披露しているのだが、どうやらそれは文人墨客がとんでもない高値を付けようとするその作品で「ちゃんとおいしいお酒」を手に入れようとしてのことだったらしい。ところが店主が大金を投じて王都から運ばせたのだという皇室御用達の銘酒でさえ実は本物の皇族であり本物の風流人である「如魚君」の舌を唸らせることはできなかったようで、僕のよく知る前王朝ゆかりの「一斛春」には及ばない、疑うならどちらが良い酒を造れるか賭けをしてみないか、などと思いもよらない提案を口にするホムラ。ひと月後ここにいる全員に品評してもらい僕が勝ったら表の看板馬を譲ってもらう、負けたら鋭持将軍府の書画骨董から好きなもの十点選んでいい、なんて勝手に話を取り付けてしまうけど、実は目的は始めから店主が「客寄せの道具」として買い付けた栗毛馬を荒馬らしく自由に駆け回れるようにしてやることだったのかな?
早速あれこれ原料を仕入れ将軍府の裏庭を「醸造所」さながらに整備して手際よく仕込みを開始するホムラは「実は小さい頃から退屈な王府を抜け出しては町酒屋で酒造りを見ていた」のだと言うが、対戦相手の店主もまさかこんな場所で都の息がかかった極上の湧き水やもち米とかつて泰平の時代に本場老舗の伝統職人たちから肌で学んだ技術で一斛春が密造されているなどとは夢にも思うまい←
酒造りのシーンは「とにかく好きな人と好きなことを心から楽しんでいる様子のホムラ」と「それに振り回されながらも徐々に心の在り方が変わっていく彼女」がどちらもとても可愛くて、誰にも邪魔されたくないからと夜明け前からこっそり窓に石を投げて彼女を起こしに来るホムラも、言われるまま慌てて髪をまとめて出て来る彼女も、そのほどけかけた髪を指でとかしながら「初めて女の子の髪を結うが絵を描くのに似てる」からと上機嫌なホムラも、されるがままなんだかうなじが熱くなってしまう彼女も、あとは指先につけた米の汁を彼女の唇に塗って「味見してごらん」とか、もはやただただ蒸し上がった米の白い湯気にも、木漏れ日にも、きっと少し燻されたような竹むしろの匂いにも、鳥の声にも、想像できる全ての景色、全ての空気感になんかドキドキしちゃう。忘れていた感情を思い出す(遠い目
ふたつ用意した酒がめの一方にはひと月後に間に合うよう発酵を早めるための触媒を加えて封を締め、もう一方は「本当なら冬の雪を越えて花が咲く頃にいちばんおいしくなるから」と筆で「春」と書いた紙を貼って木の下の土に埋める。すると夜風が吹き抜けて、葉がさらさらと音を立て、振り返ったホムラに「来年の春ふたりで一緒に封を開けて飲む約束をしよう」なんて笑い掛けられた彼女は、もちろんその頃のふたりがどうなっているかなんて想像さえつかない、なのに「どうして私の心はこんなささやかな約束に包まれて何も隠せない透き通った琥珀のようになってしまったんだろう」って感じてる。なんて素敵な表現だろう。
琥珀って、透明なのに内部に小さなものを閉じ込めて長い時間を保存するじゃない。来年の春と聞いて何ひとつ分かり得ることなんてないはずなのに、きっと唯一その時まで大切に閉じ込めておきたいと思えるような、あるいはその時も変わらずここにあることが確かだと思えるような感情、瞬間だったんだろうね。しかもそれは何も隠せない透明な入れ物に入ってて、中身がどんな色や形をしてるのかはっきりと見えてしまってる。けれど「もしそれを見透かしているのが目の前の人なら悪くないかもしれない」んだって。自分が「心から望むこと」さえ分からなくなっていたのにね。涙
一念成神
そしてひと月が経ち、満場一致の大絶賛で約束通り馬を譲り受けたふたりは長らく酒楼の窮屈な馬小屋で体力を持て余していたであろう荒馬「紅」の手綱を握り、めいっぱい走らせてやることにする。彼の腕の中に収まっている彼女は紅が大地を蹴るたびに上下に揺られ、回された腕に肩が触れてしまいそうで精一杯小さく身をすくめているが、そちらにばかり気を取られていると今度は胸に背中が当たってしまい、僕がいるんだからもっと身体を楽にしていいよ、なんて言われてますます縮こまるも結局姿勢を変えるたびにあちこち擦れ合ってしまう、みたいなくだりもめちゃくちゃ良くなかった?←
酒の仕上がりを待つ間「衡寧城から逃げ延びて以来二度と経験することのなかった平凡な日々」を彼と過ごしていたのだという彼女はその間一度もめまいに襲われることがなかったらしく、きっとふたりが「事を共にし生も共にする」ことができているからだと得意げなホムラが「今なら呼吸の調子まで揃ってる」と顔を近付けて確かめると彼女は思いがけず脈が跳ねていてつられてふたりで赤くなってるとこ、わたし心臓爆発したかと思ったよ(死
川沿いを疾走していた紅がようやく足を止めたのは今はそこの村人たちからは「折頸楼」と呼ばれている廃墟と化した城楼の近くだった。衡寧城が陥落したあの大戦でてっぺんがへし折られたそのままの状態で残っていることからそう呼ばれるようになったと言い、当時は城郭都市の中で「いちばん高い楼閣だった」ってことなんで、もともとこっちが本丸だったんだね。
縁起が悪いし危ないし誰も近付かないから荒れたまま放置されていると言うが、そんな大人の目の届かない危険な秘密基地こそ村の子どもたちにとっては格好の遊び場になるというもの。傍を走り過ぎ勝手知ったる調子で楼閣の中へと駆け込んでいく子どもたちが口々に「崔九じいちゃんがまた武神様の皮影戯をやる」などと言い合っているのを聞いて興味津々なホムラは、彼女を馬から降ろすなり「僕たちも聞きに行こう」とわくわくした様子、ただし彼女の方はつい先日銀鼓村で見掛けたばかりの同じ「崔九」と見える老人がいくら旅芸人だからってもうこんなところにまでやって来たのかと少しだけ違和感を覚えてる。
ふたりは子どもたちに混じって影絵のスクリーンに目をやるが、この日の演目はスト冒頭で語られる赤霄将軍の伝説「九天に昇り武神となった」どうやらその後の物語になっている。
武神となったホムラはこれからは神として功徳を重ね、やがて魂は天門に帰るかと思われた。ところが彼の魂は振りほどけない何かに縛られたまま、なぜなら彼と深き縁で結ばれ恩も情も抱えたまま道に迷っているある人がまだこの世にいたため。その人をあるべき場所へ送り、本来の人生を歩ませてこそ武神もまた「運命に逆らう苦しみ」から解き放たれる。そんなお話。
百戦百勝の無双ストーリーを期待していたらしい子どもたちは「つまんなかった」なんぞ辛口レビューを残してわらわらと立ち去ってしまうけど、崔九はふと白幕の後ろからホムラの姿を確認して一言「これはこれは釈迦に説法でしたな」って。なるほどあなたもマヒルで言うとこの「鬼媒師の老婆」の側の人ね? 彼が赤霄将軍本人であることも、今何をしてるところなのかも恐らくご存じなのね。
そう考えると演目のラスト「運命に逆らう苦しみ」って言い振りがなんかすごく嫌な感じ。だって「彼女に本来の人生を歩ませてやること」は今はかつて「赤霄将軍として」人生を終えてしまったホムラが思いがけず「彼自身の本来の人生を擬似的に歩み直すこと」とほとんど同義になってるじゃない。なのに「それはあくまで運命に逆らってる苦しみの状態だからね」「救いを終えたら解放されるんだからね」「解放されたら神なんだからね」「神の役目に戻ること忘れないでね」って念押されているみたい。
いつもはこんな話じゃないはずなんだけど、なんて彼女の一言から始まって、ここはホムラが「赤霄将軍の本当の最期」を語り聞かせてくれる流れに。伝説では「最後の一戦で彼は一日一夜力戦し民が避難する時間を稼いだ」という英雄譚になってるが、彼に言わせればそれは「生きた人間に聞かせる話」でしかなく、実際にはただ彼の命が尽きるまで「来る予定だった援軍が来なかった」だけ、しかも「自分が守ろうとした人々に死の道へ追いやられたんだ」と言うからには単なる遅延ではない意図的な裏切り、たぶん「退路を守るため自らしんがりを務めた」ってとこがすでに彼ひとりをおとりにする燮国軍の罠だったんだろうね。
めちゃめちゃ話逸れてしまうけど、わたしの父が昔から戦国史とか三国志とか本当に好きみたいで(この世代のおじいちゃんあるある、強引に本を勧めてはしつこく感想を求めてくるというハラスメントをときどき受けてきたんやが、まだ未熟な子どもだったわたしがあるとき「なぜ彼らはいつも自国軍や同盟国に裏切られて終わるのか」「一緒に天下統一する幸せな結末はないのか」尋ねてみたことがあって、すると父はこういう戦記物はヤンキー漫画なんだと、王朝はセンコー、諸侯はヤンキーの軍団、そう考えるとそもそも軍団同士が慣れ合ってセンコーの首を取る結末なんていちばんカタルシスがない、本当に見たいのは軍団内で起こる友情、裏切り、それでも貫かれる流儀、仁義、ヤンキーたちの生き様だ、みたいなことを力説していたな、ということをふと思い出しました(どうでもいい
彼女はその裏切りが最期に「憎くはなかったのか」と尋ねるが、死の瞬間は一生を振り返って余りあるくらい時間がとても長く遅く流れるためあらゆる想いが絶えず生まれては消えていくものなのだと彼は言い、確かに憎いと思ったかも知れないし、あるいは王府の貂のご飯の心配もしたかも知れない、でもそれらが次から次へと巡り最後に思い浮かべていたのは「天下太平」「海晏河清」の景色だった、たまたまそんな一念に行き着いたと「本当に憎しみなど感じられない淡泊で澄んだ表情」で振り返る。一念成神、一念成魔、確かに烈火道で敵兵に囲まれていた彼女もホムラの割り込みがなければあのまま「願わくば後世に天下太平の景色を」くらい言ってたのかも知れんと思えば妙に説得力のある思想だが、仮に現世に魂引が存在せず「運命に逆らう苦しみ」が起こっていなかったとしたら武神はどこでどんな状態でどう過ごしているはずなのだろうね。
海神が「完成」していたらそうなっていたであろう同じように「ホムラ」という名前を忘れまるで別人が憑依してしまったかのごとく神たらしめられてしまうのだろうか。それが「運命に逆らっていない状態」なのだとすればそちらの方が「苦しみ」にも見えるけど、だからこそ死に際に「ホムラ」に未練が持てないような「彼自身の」とは言い難い「赤霄将軍の」人生をこのホムラは歩まされてきたのかな。彼はすでに「紅色」と「金色」の力を扱うし、恐らく武神として「完成」しているのだろうから、ついに済度が完成し「運命に逆らわない道」へ戻ることができたときどんな状態になってしまうのか急に恐ろしくなってくるという(怯
川岸に戻ると外は薄暗くなっていて、川面には五穀豊穣を願う灯籠が流れてる。彼女がそのたくさんの願いをのせた灯籠の中に「天下太平を祈るものはいくつあるだろう」と呟くと、もし誰もが天下太平を祈らず自分自身の願望を祈っているならそれこそ天下が本当に太平になった証ではないかとホムラ。ふと流れてきた小舟に彼女の手を引いて飛び乗ると、そこに置かれていた火のついていない灯籠をひとつ手に取って、だから君も「君自身の願いをかけてみて」と指先から小さな炎を芯に灯す。
その鮮やかで優しい暖色の花灯を受け取った彼女は、幼い頃には確かにたくさん持っていたはずの「私はこれが好き」「私はこれが見たい」「私はこうして生きたい」というそんな願いが「衡寧城の奪還」とはどこか違うように思われて、それよりも今目の前に居るこの美しい一柱の神に祈るなら「もっともありふれた願いを残したい」と、心の中で「来年の春ホムラが造った一斛春を飲めますように」と念じ、さらに「ホムラと一緒に」とだけ口に出す。
主帥任官の祝宴の日に初めて「君自身の望み」を尋ねられたときには「心で思っても人には言えなかった」と言っていた彼女が、今は心で思ってる「いちばんの望み」だけを留めず彼に伝えられるようになっている。たぶん突き詰めれば「来年の春」でも「ホムラが造った」でも「一斛春」でもなくていい、何よりも「ホムラと一緒に」が今の彼女の祈りなのだろうね。
そして「僕も君と同じ願いを」と言い添えるこのホムラは、きっと今このとき300年前のあの同じ木の下で討たれても、最期に思い浮かべるのは「天下太平」の景色なんかじゃなく「どうかもう一度君と一緒に」になるのではないかな。つまり彼女は今300年前の彼にできなかったことができるようになっている、と同時に彼もまたそれができるようになっている。これまでわたしは海神の物語の中で「今度は彼が救う番」「今度は彼女が救う番」という尺度で彼らの相思相愛を語ってきたけれど、今回「互いに救うと同時に救われている」文字通り「ひとつの心魂」がふたりの「赤い双魚」の示すところなのだなとめちゃ感じたよ。
殺戮の気
ここまで数年間に渡る連戦を重ねてきた衡国軍はまだまだ回復の目途が立たず補給にも余裕がない。対する丘国軍は騎兵の機動力を活かして山間の要地を固め物資を運ぶ道も厳重に守ってる。今が攻めるべきときではないと誰の目にも明らかである中、衡朝は哭沙関を足掛かりに「北進」の軍令を下した。彼女が幼い頃に追われたかつての故郷「衡寧城の奪還」を朝廷が正式に掲げたわけである。
関外へ放った斥候や偵察騎兵は相次いで消息を絶ち、長引く戦の中で兵糧も馬草も減り続け、戦況は案の定ほどなくして行き詰まってしまうけど、何やらこちらが兵を動かそうとすればその先にはまるで待ち構えていたかのように丘軍の伏兵が現れて、作戦を変えても布陣を変えても敵は不自然なほど正確にその動きを読んでくる。誰かがこちらの情報を流しているのではないか、味方の中に裏切り者がいるかも知れない、そんな疑念が軍中に広がり兵士たちの士気まで下がり始める。
そこへようやく前線から戻った斥候が「丘軍の西側の防衛線に守備隊が交代する短い時間だけ兵の配置が薄くなる場所がある」という密報を持ち帰る。彼女はこれを戦況を崩す唯一の糸口と見て、ホムラとふたり初めて敵将をひっ捕らえたあの夜と同じ、始めに「物資が集まる要所を襲う軍」が敵陣の後方で奇襲の火の手を上げ、その隙に「正面から攻め込む軍」が関前の開けた地帯を突くという「軍を二手に分ける計略」を打ち立てた。ただし今回はホムラの率いる精鋭軍が気を引く側、彼女の率いる主力軍が突破側である。
ところが、計画通りであれば夜陰に乗じて謀略戦が始まるはずだった頃、関外の荒野には突然の豪雨が吹き荒れた。平地は濁流で満たされ、山壁はなだれ崩れ、濃霧が視界を遮り、たいまつには火さえともらない。雷鳴に落ち着きを失った軍馬が暴れたり足を滑らせたりで落馬する兵士さえいる、もはや隊列も組めない、そんなところを丘軍の遊撃騎兵に急襲され、さらに東側を任せたホムラ軍も苦戦してるのか「久しく感じていなかった激しいめまい」にまで襲われ始める彼女。これ馬に振り落とされている彼女は騎兵に囲まれながら歩兵として戦ってるってこと? (震
深手を負い、ほとんど本能だけで戦い続けながら、無情にも「致命的な一撃が振り下ろされようとした瞬間」なぜか彼女の頭の中はとても澄み渡っていて、こんなところで死ぬものか、私はまだ「自分のための願い」を叶えられていない、という想いだけが鮮明に脳裏をよぎる。ふたりの約束はすでに「死に際の一念」が変わるどころかそれ自体が「彼女を戦場で生き延びようとさせる力」にさえなっているのだね。涙
するとそこへ「豪雨の中でも決して消えることのない烈焔」が一筋の赤い流光となって崖の上から落ちてくる。それはよく見れば単騎でありながら千軍万馬を彷彿とさせる「恐ろしい仮面をつけた将軍」で、ホムラは剣光を散らしながら泥水の中の彼女をすくい上げ駆け抜けて離れた岩場の浅い洞穴へ間一髪一時退避するけれど、石洞にふたりきり今は敵の姿さえ見えないはずなのに彼は張りつめた様子で全身から「殺戮の気」を立ち上らせたまま、そして彼女は「まるで殺意が噴き出そうとしているかのような感覚」に息苦しく「手の甲の印が焼けつくように痛み始める」と。
なるほどこれもどうやら彼の「どの世界にも共通する」不変項になっていそうだな? ホムラは我を忘れたような状態でまるで何かに操られているかのごとく彼女に斬り掛かろうとするが、恐らく武神も海神も彼の物語における「神」という存在は「神力で治める」という神としての役割と「ホムラ」という個人とが完全には一致しない。神格とはただその身体を力や役割の「器」にしている状態を指していて、これが完成するほど個人としての人格と衝突するニュアンスなんじゃないかな。たぶん今回のホムラは器として完成しているのだろうから本当ならその神力で「最後まで戦場を席巻する」ような役目を果たすべきときだけど、今になって「ホムラ」という個人が目覚めてしまったから彼女を守るために「戦線から離脱する」という武神らしからぬ行為に及んでる。こうなるとまるで本来の彼が「強大な何かに支配され暴走しながらも必死に抗っている」ように見えるけど、実は神格と人格とが受け入れ合い彼が力に支配されるのではなくむしろ力を制御しているようにさえ見えるようになるのが世界法則に準じた本来の姿なのだと思う。
海神の場合は自然神として「海や海風を従わせ天変地異を制する」ような役割を担い、力は「深海」という古い海の力に由来するものと見えたけど、武神の場合は英雄神として「殺戮の気」っていう人が抱く闘志だとか相手に負けずあくまで戦おうとする強い意気込みのようなものを根元に神力を発揮すると見える。彼が神のような戦力を振るう時につけている「獰猛な仮面」は影絵芝居では「戦場であまりに美しい容姿を凶相に見せるため敵将の鎧を溶かして作らせた恐ろしき面」だなんて語られていたけれど、かつて赤霄将軍が対峙してきた全ての武将たちの、あるいは彼自身のそれが宿っているようなものとすればこれを引き剥がされてようやく彼女の声が「ホムラ」に届くようになるのも腑に落ちる。
あとは「命力」が神力を補える代替になる仕組みも共通項になってそうだよね。今回ホムラは寿命を終えていて魂に命力がないから依り代である彼女が代わりに消耗するけども、未完成の海神のホムラは力を使うたびに自分の命の大部分を削っていたように思う。もしかして海神に「心臓を捧げる信者」が必要だったのは彼らは寿命を終えてから神になるのではなく生きたままその役割を負わなければならなかったからなのかな(いいえ
いずれにせよ彼女の呼び掛けによって「ホムラ」を取り戻した彼は彼女の鎧を脱がせ優しい手つきで傷口を手当てすると自分の衣を被せて休ませてやるのだが、肌寒い石洞で薄手の肌着一枚となった彼のあまりに冷え切った腕に触れた彼女が「寒くないか」尋ねると「300年も前に死んだ人間に体温があると思う?」なんていつもの調子で冗談を返してきたりする。
彼女はその一言でこれまで身近に感じてきたホムラが再び歴史の向こう側の死者に押し戻されたような気がして傷付いてしまうけど、思えばこれまで何度も彼に手を引かれ、あるいは髪や首や唇に触れられるたびに覚えてきたその「冷たい指先の温度」は彼女が「もっとホムラを身近に感じられるようになるもの」として繰り返し積み重ねられてきたはずなのに、これを切っ掛けに同じ感触が「彼が300年前に死んだ赤霄将軍であることを思い知らされるもの」に変化してしまうのよね。あるいは「もっとホムラと長く一緒にいられるもの」として降り止まないことさえ願った「雨」も、戦場ではもっと戦況を過酷なものにして「武神を呼び覚ますもの」になってしまってる。
個人的にはあんなに分かりやすかったホムラの心情もこの場面からもっと複雑で読めないものになっていったように思う。彼は「そんな冗談は好きじゃない」と消沈する彼女に「じゃあ少しだけ寒い」「心配なら君のぬくもりを貸して」と言い直し身体を寄せてくるけれど、「人間だった時の感覚をもう一度思い出させてほしい」とは彼の本音としてすごく切実な想いのように聞こえるし、きっと今自分が「人の姿で現世に留まる武神の魂」でなく「ホムラ」ならどんなにいいかと切に願っているのだろうと思わされる一方で、どこか叶わないことを始めから理解している人の声色だった気がするよ。
ずっと「彼女と一緒に同じ目線で」生きることをただ楽しんでいるばかりに見えていたホムラがここから「最後に彼女に伝えたかったこと」を懇切丁寧に教え説きまるで自分が去った後も彼女が決して「恩も情も抱えたまま道に迷う人生」に戻ってしまわないよう「遥かな高みから」導いてやっているようにしか見えなくなっちゃって、これ以降そこに見え隠れする彼の「葛藤」やふたりの「擦れ違い」みたいなものにだんだん読むのしんどくなってくるんだよな。涙
衡寧城の花火
残存部隊を束ねてようやく軍隊を再編できる頃、次は自分が精鋭騎兵を率いて急襲に出陣したいと申し出るホムラに「もしまた制御不能な状態に陥ってしまったら」と彼女は気が気でないが、自分の手の届かないことにまで頭を悩ませる必要はないからと彼は袖から短笛を取り出して「別の事で心を満たせるように」今はもう伝承が途絶えてしまったのだという「故縁の帰還」なる古調を奏で始める。
その旋律に込められているのは「長い間離れ離れだった人と再会する」という願いかと尋ねられたホムラは、それに加え「長い間離れていた地に戻る」想いが込められているものと諭し、さらに「この曲を忘れる前に君は再び衡寧城の地を踏むことになる」などと言い添えて出征することからきっと彼女には「彼女自身が故郷へ帰り着く未来」で今は心を満たしていて欲しいと考えてのことなのだろうけど、彼女の中には「ホムラが戦場から帰ってくる未来」以上に心を満たせる願いがすでになくなっているのよね。彼が伝えているのは「君は帰れるよ」、でも彼女が思っているのは「ただあなたが帰ってきますように」っていう。
それから二十日間軍報が途絶えていたホムラ軍は宣言通り丘鉄城側の軍令を代表する印章を押さえ降伏を取り付けて無事に帰還、丘の紋入りの印籠を「副将」から「主帥」に献上すると、今度はふたりきりになれる静かな場所で「ホムラ」から「彼女」に贈りたいものとして「塤」という陶器製のオカリナのような笛を彼女の手に握らせる。主帥として常に気を張っている君が安らげる時間をあげたいと言うホムラに「私は笛を吹けないから」と彼女が受け取りあぐねると、彼は「じゃあ心を休めたい時は僕のところに持っておいで」なんて言う。こんな真剣な面持ちで…
これも彼が渡そうとしたものはたぶんこれから先も彼女が主帥としての役割だけで人生を終えることがないよう「彼女が彼女として安らぐ時間」を作るための笛、視線はかなり「自分がいなくなった後」へ向いているように見えるのに、吹けないなら吹き方を教えてあげる、ではなく結局「僕に持って来て」と言ってしまうあたり彼自身が「彼女に彼女として生きて欲しい」と「その彼女の傍で僕も生きたい」を切り離せず矛盾するふたつの本音を吐露しているようでもあり、結果彼女が受け取ったものは「彼の傍だから安らげる」笛になってしまってる。
戦勝の宴に沸く幕舎がやがて寝静まる頃、彼女はもうすぐ悲願の城を取り戻せることよりも、自分の望みを聞くためにここに留まるだなんて言っていたホムラがついにそれを叶えてくれたあと果たしてまだ現世に留まる理由が他にあるだろうかと不安に駆られてる。わけもなく別のことを考えてしまうのは「こんなに長い間戦って何年も抱き続けてきた執念がいよいよ実現するとなったらその先の日々には何が残るのか急に分からなくなってしまったからかも知れない」なんて彼女が見解すると、それなら執念以外のことを考えればいい、雲が散るところを見たり、知らない曲を聴いたり、自分にしか分からない絵を描いて、またひとかめの酒を仕込み、そうやってただ生活すればいいのだとホムラは含め諭すけど、想像してみるほど彼女の脳裏には「彼と一緒にそう過ごした時間」ばかりが蘇る。
そろそろ炎の小さくなった蝋燭の芯を切るハサミを握らせた彼女の手に自分の手を重ね「切り過ぎれば火は消えて切り足りなければ明るさに欠ける」ものと刃先の角度を整えながら導くようにこれを動かすホムラは、たぶん衡寧城を取り戻したいという執念はこれまでずっと彼女を生かしてきた火なのだからそれを「もう必要ない」と全部切ってしまうのでなくこれから生きるための灯りへ変えていけばいいと言ってくれてるんだよね。でも彼女はその冷え切った手、浮かび上がる魂引の印、そして切り落とされて銅皿の上に黒く焦げて丸まった蝋燭の芯を見て「彼をこの世に留めている執念が尽きたら彼自身も消えてしまうかも知れない」になる。彼が伝えているのは「君の火をどう残すか」、でも彼女が思っているのは「ただあなたの火が消えたらどうしよう」なんだよね。
敗残兵力を制圧し、とうとう城門を落として彼らの入城が叶うとき、他国の統治下で十数年にわたり耐え忍んで生きてきた衡国の旧民は沸き立って涙を流しながら鋭持将軍を「再世の武神」と声高に称える。衡皇帝は大いに喜び彼女を「鋭持鎮国将軍」に昇格させ、城市内で執り行われることとなった盛大な祝勝式典ではついにホムラとの初めての約束「衡寧城の花火」が果たされる。
ただしふたりはあの夜都で思い描いていたようないちばん高く立派にそびえ立つ高楼で手が届きそうなほどの大輪の花火を眺めているわけではなく、城下の一角にある廃墟と化した旧城の瓦礫の中で遠く衡寧城内から届く色とりどりの花火の残光がかろうじて髪や服を光らせては消える荒れ地からこれを望んでる。そこには彼女が生まれ育った家があると言い、ところが今はいくら探し回っても無傷の壁の残骸すら見付からないのだと。
ホムラは何でもないような顔をして雑草を踏みながら「僕が昔住んでいた家もひょっとしたらまだ王都にあるのかも知れないし跡形もないかも知れない」、けれどそれは「今の僕には関係のないこと」であり「地上のものは絶えず現れては滅びていく」もの、でも「ただ土地だけはずっと生き続ける」ものだから、そこにはやがて崩れて消えるような城や祠を築くのではなく一緒に生き続けるようなものを育てたいのだと言って、紅の背中に括られていた荷駄から「腕ほどの長さしかない苗木」を取り出すと「厳かな儀式」のようにさえ見える所作でしゃがみ込んで土を掘り始める。
つまり最後は彼女に「永遠に同じものを保持すること」ではなく「変化していく世界に未来を託すこと」を教えているわけだよね。建物も国も所有者も変わっていく土地で失った過去を完全に取り戻すことはできない、だから今度はこれから育つものを一緒に植えようという未来。しかも「百年後この場所が誰のものでもこの木は土地とともに生きる」とまで言う。これはかなり徹底して「いま現世に生きている彼女さえいなくなった後」を含めた時間。それでも今この瞬間に木があって、酒があって、君と僕がいれば「決して春を逃すことはない」と彼は言い切る。
彼女は同じように隣にしゃがみ込んで一緒に土を掘りながら、ふと手元の小さな苗木が滝のように流れ落ちた花火の紫色の光に照らされた瞬間「それが何なのかうまく言い表せないような何か」に胸打たれ思いがけず涙が込み上げてきたりして、もしかしたらその何かとは「戦火が絶えず続きいつ死ぬかもわからない時代に誰かが初めてこれほど純粋に永続を信じていること」なのかも知れない、なんて言うんだよ。わぁぁん(号泣
だって、そもそも彼女が「永続を信じる」なんてことできるわけがないやん。故郷は一夜で奪われ家族も皆殺しにされて、戦場では明日生きている保証すらない、ようやく衡寧城へ戻ってみても昔の家も街並みも残ってない、戦争も終わっていない、ホムラがいつまでいるかも分からない、百年後なんて自分は生きてさえいない、それなのに、もしかすると今の私は生まれて初めて「何かがずっと続いていく」ことを本気で信じているのかも知れない、という自己認識に涙がこぼれるだなんてさ。
たぶんその永続も同じ国が永遠に続くとか同じ街が永遠に残るとかそういう感覚ではないんだよね。むしろ世界は変わっていく、季節も生命も更新され続ける、それでも何かは次の季節へ渡せる、そしてホムラとの縁もそこに一緒に残るのではないか、この人との関係には「次」があるのではないか、みたいな、きっと物凄く漠然とした直感のようなものなのだろうと思う。わたしそんな気持ちになったこと人生で一度もないよ。結婚式で「永遠の愛」を誓い合ったこともあるのにさ、別に本当に苗木が大樹になり枯れ木になりそれが新芽の肥料になってもこの場所にふたりの古縁が永遠に存在し続けるだなんて信じたこと一度もない。仮に信じれた瞬間があったとしてもこんな宝石のような涙流れないと思う(最低
壊れないように手の中に包み込んで抱きしめたくなるような珠のような恋をしたのだね。年年歳歳赤霄樹の下にて故縁は常にあり、一斛春は香り高くあれ、で堪らずスマホをそっ閉じして鼻をかみに行きました。ふたりの故縁が巡る季節とともに永遠にここにありますように。春が来るたび一斛春が香り高く熟しますように。
功臣の粛清
衡皇帝は勝勢に乗じてさらに北進の意を固め、鋭持鎮国将軍には丘国中央へ「追撃」の勅命を下した。征討の師団は再び進軍に発つこととなるが、果たしてこの戦争の終わりはどこにあるのか、さらにいくつかの城を落としたところか、丘国の君王を屈服させ和議を乞わせるところか、将兵たちの心には少なからず空虚感が生まれてる。それでも衡軍はただひたすら北へ北へ次々と関所を破り、やがて彼らは「長らく平和に浸り民も城兵も戦争の残酷さを忘れていた」と思われる丘国「孤岫城」を攻め落とした。
もちろん彼女は占領後も軍紀を守り、略奪はするな、民家には入るな、女性や子どもを脅かすな、違反者は斬ると厳命し、あくまで民間人を保護することに徹してはいるけれど、ふと道端に立つ10歳ほどの少女がくっきりとした両目で瞬きひとつせずただじっとこちらを見ていることに気が付くと、その子がかつて敵国軍によって衡寧城を攻め落とされ家族を皆殺しにされた自分自身であるかのように思えてならなくなる。奪われた故郷を取り戻すという目的が果たされて征討そのものが目的化された今、彼女は「ある少女の郷土へ軍を率いて踏み込んだ」かつて自分の人生を破壊した側の位置に立っていることを自覚してしまったわけである。
すると「久しく感じていなかった激しいめまい」に襲われ立っていることもままならなくなって、ホムラは直ぐに彼女を連れ出しひとけのない庭の欄干で休ませてやるけれど、これまで「ホムラの殺戮の気が膨張すること」による気の不調和から引き起こされてきたはずのめまいが今回は「私自身の心が揺らいだせい」だろうことを自覚している彼女が「でもこのまま戦い続ければ他の人の郷土を踏むことになる」と打ち明けたことで彼は彼で何かを悟ってしまったのかな。「戦いをやめたらあなたはここで私と雲を見て、曲を聴いて、絵を描いて、お酒を造ったりしてくれる?」という問いにしばらく沈黙したあと「君が望むなら一人でもそういうことはできる」とホムラ。
ここで彼女が「武神は永遠に戦火の中でしか目覚めない」ことをとても具体的に直感してるんで、恐らくこれまで「崔九」が語って来た「武神の本来」もまるっとただの伝承という位置付けでなくある程度世界設定として正しいものと解釈してしまっていいかもね。武神の存在はこの延々と続く戦火に絶えず引き起こされる殺戮の気と密接に結びついている。武神の魂は「天門」に向かい「天地」へ還る。海神が海に還っていながら「もしかしたら海に祈ればこの天変地異を奇跡のような力が鎮めてくれるかも知れない」存在なのだとすれば、たぶん武神は天地に還っていながら「もしかしたら闘志を燃やせばこの紛争を奇跡のような力が収めてくれるかも知れない」存在、くらいのイメージでもいいかも(勝手に
するとここへきて丘国が突然使者を遣わし「王子を人質として差し出す代わりに兵乱を収めたい」と衡朝に和睦を求めたことで、彼女は鋭持鎮国将軍として直ちに国境へ赴き会盟せよと命じられ、副将ホムラには「皇弟」を君主とし衡寧城に仕えるよう皇命が下ることになる。ところがホムラは「彼女について自分も国境へ向かう」ことを頑として譲らず、結局ふたりで軍を率いて会盟の地へ発つわけであるが、なるほどこれが「我が身を以て劫を遮り心を解く」なんて言ってた最後の「劫を遮る」になるのだね。
哭沙関方面へ向かう同じ烈火道でも彼らは「より険しく人目につかない山谷の小道を選び」峡谷へ入るがどういうわけかここにも「どんな手段でこの隠密経路を知ったのか分からない丘国の伏兵」が待ち伏せていて、さらに遅れて現れた衡国の援軍まで「密旨」を掲げて彼女に矢を放つ。ホムラは「300年前と同じだ」と確信したように呟くが、すると彼の語る赤霄将軍の本当の最期「来る予定だった援軍が来なかった」も恐らくは「来る予定だった援軍が敵として現れた」と同義だったのだろう。今回は丘国側の和平交渉を利用した功臣の粛清、つまり鋭持鎮国将軍の功績が自分の権威を脅かす前にと衡皇帝が彼女を謀反者として抹殺するよう自国軍に指示を下してた、そして300年前のホムラも同じ場所同じ条件で戦死したと。
ただし違うのは「君は孤軍ではない」とホムラ。殺気立った叫声が押し迫り、退路は断たれ、四方を全て敵兵に囲まれているただ中で彼女に自らの「獰猛な仮面」を手渡すとそれをつけるよう促し、受け取った彼女がためらいなくこれを被るとなんとふたりは心魂が融合し「私達」が一柱の武神となって「神の視点で」敵陣を切り開く展開に。まったくこんな戦闘アニメのような覚醒シーンが実質もっとも濃い恋愛描写としてこの物語を回収していることに驚きを隠せないよ。「あなたが見えない」「今、君が僕だ」とか、「私達は何者なの?」「武神だ」とか、まじでたまらない気持ちになる。涙
ふたりの人格が消えずに残ったまま神格や神力を受け入れていて、かつふたつの心魂が合わさってひとつになっている状態が実は最強なのかな? 思えば羅鏡の儚き声にも彼女が彼に腰を抱かれながら同じ青い瞳になって身体中を海神の力が駆け巡り天地を巻き込むような高波と嵐をふたりで堰き止めるシーンがあったよね。あのときはふたりとも生きてたんで身体はふたつあったけど(言い方
逆命と岐路
ここはホムラと心魂をひとつにした彼女が意識の中で彼の死後300年間の魂の記憶を垣間見ているというていで大きく三つの場面が描かれているけども、なんだかとっても大事なことを言ってるようなので一旦気になるとこ全部覚え書き←
まずは戦死直後、烈火道の古木の下からなぜか一歩も動くことができない武神となったホムラの周囲には「誰かが弔いに来なければ時間経過とともに散り二度と元には戻れなくなる」とされる「残魂」と呼ばれる人の魂たちが漂っており、そのうちのひとりが「神仙とは姿を現さずどこへでも行けるものなのになぜ武神さんはどこへも行かないのか」尋ねてきたりしてるんで、本当なら彼は今「武神として自由に動き回れる魂」なのだろうと思われる。
これにはホムラ自身も困り果て、「戦が終わって僕の魂は天地に還るべきなのにどうしてこの木から離れられないんだ」などと独り言つが、ここで言う天地とは本編世界で言うざっくり「深空」を指しているのではないかな。世界の深層「一編の童話」によれば実は「星の心にいちばん近い海底」というのもまた始めは深空とひとつだった場所であり、彼らは眠りにつくときにそこへ「還る」なんて言うんでこれに近いニュアンスなんじゃないかと。
すると木陰で「木箱から鎧を着た皮影人形を取り出し修理している」老人が「それはあなたの今生が逆命に落ちたからです」などと話し掛けてくるんだが、やはり「崔九」はあの鬼媒師と同じ300年前から同じ姿でどこにでも現れる軍団のひとりだったらしい。仙人みたいなイメージなのかな?
ホムラはここで崔九から自分の命運が「逆命」に落ちていること、それは彼が本来歩むべきだった「正途」の命運とはまた別の「岐路」の層の中で自分のために命を落としたある人がまだこの世にいるために起こることで、その人がいずれ彼と同じ轍を踏み、彼の「業」を代わりに引き受け、新たな武神となり永劫囚われることで彼はようやく解放される、その人はそのためにここに来るものと知らされる。この辺すっきりと理解できてるわけではないんやが、崔九の言葉そのままの意味であれば「烈火道で討たれた赤霄将軍の今生」というのは「志を遂げられず非業の死を迎えなお因果が尽きないため死後も魂が現世に拘束されている」ところからが「本来あるべき正途という進行から外れ逆命という状態へ落ちている」という話になりそうな。逆を言えば「志を遂げる余地のある生涯を送り一念で神になることなく生を全うする」のが彼の「正途」だったとも読めるよね。
ホムラは自分の代わりになるために来るという「誰だか分からないけど確かに気配は感じられる」その人を「済度」して別の道へ送ることを決意。済度の何たるかは「武神のみぞ知ること」だからと崔九の口からは語られないが、これ「彼女がまだこの世にいる」と言われてからずいぶん音沙汰ないまま結局100年300年と経つのはその間彼女は何度か人間として生まれ変わってるって話なのかな? あるいはこれから新たに生まれる魂として命力のない状態でどこかにいたようなニュアンス? (悩
ふたつ目の場面はそこから約200年、ホムラは変わらず同じ木の下で「いつ来るか分からない彼女の気配だけを感じながら待っている状態」であるが、その日は「山魅」なる山の物の怪がやって来て、武神は「殺戮を司るもの」でありその力があれば「自分だけ自由気ままに楽しむ」ことさえできるのになぜわざわざひとりの人間の「済度」を望むのか、その一念で彼女の「業」を代わりに背負うことにでもなれば「神格が崩れて心魔に呑み込まれる」可能性だってある、などと忠告してくるのだが、この一念で神になろうが魔になろうが構わない「そもそもこの一念そのものが彼女の存在から始まったのだから」とホムラ。これは冒頭の彼女に少し重なる心境だね。
そして最後の場面はほとんどおまけみたいなものだけど(ぇ、雁洲城の古寺で「生の趣」を勧めてくれたあの西域の高僧「慧瀾」は幼い頃「見習いの小坊主」としてここで武神の御姿を仰ぎ見たことがあったらしい。軽い自己紹介のあとに「ここの守り神様でいらっしゃいますか?」などと臆せず喋り掛けてくる小坊主に「僕はひとりしか守らない」とホムラは改めて宿志を語る。あの古寺で再会した慧瀾には「済度は慈悲でも護念でもなくこの身を差し出して」もたらすものだとホムラは語っていたが、それはここで「彼女が執念を手放すのを助けるのに慈悲や護念ではまた執念を生んでしまうから」と彼自身が決めたことだったのね。彼の済度はとにかく彼女が一念で神に成ることも魔に憑かれることもなくただその生を全うできればそれでいいのだと。
なるほどようやく理解したけれど(おそい、ここに「切り過ぎれば火は消えて切り足りなければ明るさに欠ける」蝋燭の芯の話が繋がってくるのではないかな? 要は「執念」だけで燃やしてきた火は命尽きるとき一緒に何もかもが消えて最期の一念で神や魔になってしまうけど、適度に執念を切りながら生きるための灯りに変えていれば「私はまだ自分のための願いを叶えられていない」みたいに「その魂が全うした生」の火が最期の最期まで消えないっていう。崔九が済度の何たるかは「武神のみぞ知る」と言ったのは、たぶん「体験者であるあなたがいちばんよく知っているはず」的な意味合いだったんじゃないかと。
ひとつ印象深いのが、彼女はそうして彼の記憶の中を駆けているような状態からどこか長い川の一滴の水となって「このまま海へ流れ込もうとしている」ような心地に陥いると言うの、たぶん戦いの中で「烈火へ投げ込まれた蝋燭のように」命力を消耗し「そのまま尽きてしまうような感覚」に近いんじゃないかとは思うんだが、これを「何かに岸へ引き上げられた」ような気がしてこの烈火道の戦場に意識を戻すのだよね。もし仮にホムラが引き上げてくれたのだとすれば、ほら、別世界には「陸と海は混じらない」からとひとり行方をくらまそうとする海神に「私が海になる」と言って心を捧げてしまった彼女がいるじゃない。もちろんこれが直接的な世界の接続になるとは思わないけども、モチーフとして並べるとなんと言えばいいか、なんか、なんか(語彙力
そうして手足に感覚が戻ると身体中の傷が激しく痛み出し、晴れない硝煙の匂いと目の前には敵軍の屍だけが残されて、いつの間に戦は終わっていたのだと理解すると同時に「殺戮の気」をまとったホムラの異変に気が付く彼女。彼は「生死を共にした戦友が」「僕を殺すなら屍山血河の中で」などとまるで死の瞬間から抜け出せない不成仏霊のようなことを呟くが、彼女の呼び掛けにはきちんと返答していたように見えたし、ぶっちゃけわたしはこの去り際に「風が秋の声を巻くときが故縁の帰還」だと告げ天に昇るホムラが彼女の案じたように「執念を代わりに背負って心魔に呑まれた」とは見えなかったかな。
むしろその身を以って済度を大成し両者ともに縛りからは放たれホムラは武神として天地に還ったのだろうな、くらいに個人的には見えてしまいましたねぇ。
故縁の帰還
衡丘両国の停戦盟約は数年後に丘で新しい君主が即位すると同時に破られ再び戦乱の世が訪れると、衡寧城の民は公的には「会盟を目前に戦死した」ことになっている鋭持鎮国将軍を今度は「再世の武神」として崇拝し始める。彼女はもちろんホムラの望む通り「執念」からは解放され「神にも魔にもならなかった」けど、結局「何者でもないただの彼女の願い」が「ホムラと再会すること」だったから、その後は「顔の大半を古い仮面で覆い常に最前線で切り込む命知らずの寡黙な女兵士」に転じ、戦場である故縁と再会するために、そしてただひとかめの一斛春を分け合って飲むために戦火を生き、哭沙関で戦死した。
天涯孤独である彼女に弔いはなく、長い間「残魂」として現世を漂い、生前の記憶をほとんど失ってしまったような頃、銀鼓村の王旗は「衡」でも「丘」でもない「彼女の知らない漢字」を掲げてるというんで恐らく相当長い月日が流れているはずだとは思うけど、なんとホムラはある日彼女のお骨を拾うためここへ戻って来るのよね(驚
うーんこれも正直めちゃくちゃ解釈が割れそうなとこだけど、ぶっちゃけわたしはこのホムラがあの別れから「何年後に転生して幼少期から別の人生を歩み直しどこかで記憶を取り戻して骨を拾いに来た」というプロセスを挟んでいるようには見えなかったかなぁ(苦悩
理由は大きくふたつあって、ひとつは「顔を仮面で覆った女兵士」として戦線に立ってきた彼女が「とにかく死を恐れず幾度となく絶体絶命の窮地に陥りながらもそのたび奇跡的な生還を果たす」などと語られることからあるいは彼女が「本来の寿命を全うするまで」ホムラは人として新たに生を受けることなく「武神として」長らく彼女の傍にいたのではないかと感じられるため。もちろんわたしの勝手な解釈でしかないがw
もうひとつは『一念済度』で彼女と過ごした時間をあまりに鮮明に覚えているように見えたから。それこそ「崔九」のような助言者に言われてただ迎えに来たわけではない「風が秋の声を巻くときが故縁の帰還」だと伝えたからにはちゃんと約束を果たすよっていう彼の意思みたいなものをすごく感じたのよね。「こんな姿は誰にも見せない方がいい」と感じられるほど壮絶だった彼女の死後の魂が「修復の必要な状態」であることを知っていて、かつ修復手段を得るために時間をかけて遥か西海まで赴いていた、だから「待たせたね」って言う、そして白骨の山から彼女の遺骨をひとつずつ拾い「春」の書かれたかめに納める…、もし仮にこれが誰かの助言なら、あるいは前世の記憶のように薄ぼんやりと感じられるような気配なら、骨かめにドンピシャで「春」なんて書けるもんかね? 本編ホムラは過去世で自分が奏でたあの貝笛の調べさえ彼女に「こんな曲だった」と口ずさまれても「初めて聴いた」認識なのにだぜ←
むしろ忘れてしまっているのは彼女の方なのだよね。あなたは私の家族? 友達? 夫? と聞かれて「たぶん全部なったことがある」なんてホムラは答えているけども、この「たぶん」は「記憶はないけどそう感じてる」というより「僕たちは戦友であり主帥と副将であり魂引であり互いに恋情を抱いた相手だったけどたぶん他にも全部なったことがある」ってニュアンスの「たぶん」ぽかったような気する。加えて「君がこの一生を忘れてしまっても構わない」と言うのも個人的には「覚えていない相手に覚えている人が言う言葉」と読めたかな? もしこのホムラが「来世」のホムラなら「この一生」より「あの一生」の方がしっくりくる気がするし(勝手に
とは言えこのホムラが武神とは明らかに違う状態であることも確実で、彼女は自分と彼とが「陰陽を隔てている」ことを理解している。陰陽は典型的に生者と死者が生死によって隔てられていることを指して使う表現だと思うしホムラもそれを訂正していない。何よりあれだけ「死者」として強調されてきた彼の「冷たい指先」は今は残魂である彼女にとって「火傷するほど熱い」ものになっている。このホムラが「人間として赤ちゃんから生まれ直した来世である」とは言えなくとも「生きている」「生身の身体がある」ことは確かだと思う。
長々綴ってしまったが、これらを踏まえてラストのホムラは「転生した来世のホムラ」ではなく「武神という神格だけをどこかに置いてきた同じ今生・同じ記憶を持つホムラ」なんじゃないか? というのが読んで最初に抱いた本当に率直なわたしの見解になるのかも。もちろんめちゃくちゃ飛躍してるがどことなく本編6部4章「海底神殿と融合してしまった海神の力だけを切り離しそこへ置いて彼女との契約という鯨泥の灯りを頼りに生身の姿で記憶もそのままに臨空市に帰って来たホムラ」にも通ずるものがあるような? 改めて彼は「そういうことができる」設定なのかも知れんぞ(いいえ
個人的には「西海」や「氏人国」も一旦「海神篇」への時系列上の橋ではなくあくまで「並存世界」であることを意識させる継ぎ目だったのではなかろうかと今は理解しているよ。ある世界では「人間の体と魚の尾を持つ者の住む氏人国」を目指し旅をするふたりの物語、またある世界では「人間の体と魚の尾を持っている彼」と彼女の物語、全ての並存世界が「重なり合い揺らいでいるから」形を変えて現れる共通項のひとつ、みたいな。まあこの辺全部妄想なんだけど(殴
今スト禅語だとか史記典故だとかわたしがあまり得意ではない中国古典がもう本当にめちゃくちゃ多くてぶっちゃけ意味あんま分かってないけどなんとなく雰囲気で読み進めてしまった言葉たちをきちんと調べて読み直したら全部解釈変わるかも知れないんだけどw、何がどうであれホムラは本当に彼女があの夜あの赤霄樹の下にわけもなく涙が溢れるほど「永続」を信じた「故縁の帰還」を果たしてくれたのだからそれでいい、もうそれだけで何も要らないよ←
記憶の彼方に置き忘れていたような何か特別な感情が芽生え始めた瞬間の感覚、味わったことのない珠のような恋情、ああもう一度恋がしたいこんな恋がしてみたいと思えるようなたくさんのときめきを今はただありがとうの気持ち(しみじみ